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1.魔族の王女


 ーーー天が、割れる。


 誰もがそう思ってしまうほど、天候は荒れていた。

 空を覆い尽くす濁った灰色の雲から、無数の稲光が走る。雨足は強くなり続け、抉れた地面を絶えず打ち付けていた。



「……アリシアさま、ここはもうダメです!逃げましょう!」



 背後からそう声を掛けられたアリシアは、ゆっくりと首を横に振ってから空を仰いだ。

 天に向かおうとしていた大きな黒い影が、眩い光に貫かれて崩れ落ちる。その影は落下の途中で人の形となり、アリシアにはそれが遠目でも兄弟なのだと分かった。


(ああ……これで、残ったのは私だけ。魔族の血を継ぐ者はーーー王女である私、ただ一人しか残っていないのね)


 アリシアは魔族の王女だった。

 眼下に広がる魔族の住む国は、もう原形をとどめていない。

 家族や国民の命の灯火は、吹き荒ぶ風に攫われるよう、あっという間に消えてしまった。

 世界最強の力を持つとされる魔族の血は、もうアリシアにしか残されていなかった。


 それでもアリシアは、悲しいと思っても涙が出なかった。その涙は、はるか昔に枯れ果ててしまっていたからだ。

 体を打ちつける雨の雫が、まるで涙の代わりになったかのようにアリシアの頬を滑り落ちる。



「アリシアさま、お願いです!」


「アリシアさま、あなただけでもお逃げ下さい……!」



 アリシアに仕える二人の側近が、必死に逃げろと訴える。アリシアはまた首を横に振った。


 いつか、この日が来ると思っていた。

 今までの魔族の横暴を、いつか償わなければならない日が来ると。

 そしてその日が来たとき、アリシアは逃げることはしないと決めていた。



「……ラウル、フレデリカ。こちらへ来てちょうだい」



 アリシアが名前を呼ぶと、二人は悲痛な面持ちでゆっくりと近付いて来た。

 それぞれの手を取り、アリシアは微笑む。



「二人とも、今まで私に仕えてくれてありがとう。……どうか、生き延びて」



 最後の言葉に、ラウルとフレデリカがすぐに反応を示した。

 けれど口を挟ませる暇もなく、アリシアは魔族の力を使う。二人の体は眩い光に包まれ、空高く舞い上がった。


(二人の素性が、どこまで調べられているか分からないけれど……。無事に生き延びて、新しい人生を歩んでほしい)


 家族よりも大切だった側近たちの姿が見えなくなると、アリシアは振り返った。

 そこには大勢の騎士の姿がある。皆が剣を抜き、アリシアを睨みつけるように見ていた。


 先頭に立っていた一人の男性が、一歩前に出て口を開く。



「……第三王女、アリシア・グレネルだな」



 雨に濡れた栗色の髪が男性の額に張り付いていた。それを鬱陶しそうに掻き上げると、薄紫の瞳がよく見える。

 その瞳を鋭く細めながら、男性はアリシアに一歩一歩近付いて来た。

 アリシアは体の前に両手を添え、完璧な王女の立ち姿を崩さない。



「……はい。私がアリシア・グレネルです」


「世界最強の魔族の力で、対抗しようとしないのか?もしくは、他の魔族のように暴言を吐いて逃げ惑うとか」



 は、と嘲笑うように唇の端を持ち上げた男性が、アリシアの目の前で立ち止まる。



「それとも、同情を誘う作戦か?残念だが、魔族は誰一人生かしておけない決まりだ」


「……面白いことを仰るのですね」


「なに?」



 男性の整った顔が歪む。アリシアはにこりともせずに続けた。



「私の言葉が、今更あなた方の心に響くとは思えません。……私たち魔族は、道を踏み外しました。覚悟はできています」


「覚悟……か。ずいぶんと簡単に言うんだな」



 棘のある言い方だった。その棘は、アリシアの心をちくりと刺す。

 魔族の王女でありながら、魔族の蛮行を止められなかった。止められる力さえなかった。

 その事実を、簡単に命を差し出すことで解決出来るとでも言うのかとーーーそう、責められている気分になる。


(……分かっているわ。私一人の命に、全てを無に返すほどの価値はない。だから彼らは、魔族の存在そのものを討つという覚悟を持って、今ここにいる)


 大勢いる騎士たちからの殺気は、アリシアの肌をずっと突き刺している。目の前の男性の瞳もずっと冷ややかだ。



「……私に出来る、最期の罪滅ぼしです。どうぞ私を討ち、魔族の支配に終止符を打ってください」


「……では、そうさせてもらおう」



 男性がするりと剣を抜く。普通の王女ならば、その切っ先を見ただけで体が震えてしまうだろう。

 けれど、アリシアは普通の王女ではなかった。平然とした表情を崩さない様子を見て、男性は眉をひそめる。



「なるほど、確かに覚悟だけはありそうだ」


「………」


「一瞬で葬ってやろう。約束する」


「……ありがとうございます」



 アリシアの言葉に、男性はより眉をひそめた。

 アリシア自身も自分の言葉が可笑しくて笑ってしまう。けれど、実際に表に出して笑うことはしない。


(心からの笑い方なんて、もう忘れてしまったわ。……そうね、心残りがあるとしたら、私は……)


 男性が剣を構える。その綺麗な構えを見たあと、アリシアはそっと瞼を落とした。


(……心から幸せだと、もう一度誰かと笑い合いたかった)


 剣が風を斬る音がする。雷鳴が轟き、地面を揺るがす。

 アリシアの意識はプツリと途切れ、深い暗闇の中へ落ちていった。






 ***


 目が覚めたとき、アリシアは夢を見ていたのかと思った。


 最初に目に飛び込んできたのは、高い天井に豪華な照明。そして視線を下げれば、アリシアの体は上質なベッドに横たわっていた。


(……私が住んでいたお城の部屋じゃないわ。でも……)


 ゆっくりと体を起こすと、ジャラ、と金属がぶつかり合う音が響いた。

 そしてアリシアは片足に違和感を覚え、体に掛かっていたブランケットをそっと捲る。



「………」



 やはり夢ではなかったと、アリシアはそう思った。

 片足に嵌められた金属の足枷は、この豪華な部屋にはおそろしく似合わない。足枷はベッドの脚に繋げられており、アリシアはその場から動くことが出来なかった。


(今更逃げるつもりなんてないけれど……どうして、私は生きているの?)


 気を失う前の最後の記憶を思い返してみても、アリシアにはその理由が分からなかった。

 アリシアに剣を向けていた男性は、確か“魔族は誰一人生かしておけない”と言っていたはずだ。


 部屋の中を見渡しながら思考を巡らせていると、扉がカチャリと音を立てて開く。

 そこから入って来た衛兵らしい服を着た男性は、起き上がっているアリシアを見て目を丸くした。



「………っ!!」


「……あ、あの……」


「うわぁ!!魔族が、魔族が目を覚ましたぞっ……!!」



 衛兵はそう叫びながら、あっという間にいなくなってしまった。取り残されたアリシアは、ぐっと唇を噛む。


 しばらくすると、廊下からバタバタと複数の足音が聞こえてきた。再度開かれた扉の奥から現れたのは、アリシアの見覚えのある男性だった。

 躊躇いなくベッドまで近付いて来た男性は、アリシアを見下ろすと端正な顔を歪める。



「……アリシア・グレネル」


「……はい」



 返事をしながら、アリシアは一つの考えを導き出していた。

 魔族の最後の一人である王女として自分は捕らえられ、国民の前で公開処刑されることになったのでは、と。


 ところが、次に男性の口から放たれた言葉は、アリシアが全く予想もしていないものだった。



「君は……マクラウド国第三王子シリウスと婚姻を結ぶことになった」


「……え?」


「つまりーーー俺の妻になるということだ」



 感情のないその薄紫の瞳に見つめられ、アリシアはしばらく言葉を失っていた。



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