雨後
雨の夜はいい。シトシト降る雨音が子守歌になる。降り過ぎるのはダメだ。女の金切り声、駄々をこねる子供の声みたいになってしまう。
隣の部屋から女の嬌声がした。雨の夜はいつもこうだ。隣の男は雨が降ると欲情するらしい。大方ポルノ映像でも観ているのだろう。しばらくすると、嬌声は大イビキに変わった。どちらにせよ眠れそうにない。
7:30。バタン、音を立て、隣の男は今日も出勤していった。布団から起き上がりカーテンを開ける。雨は止んでいたが空はまだ灰色だ。
アパートの二階のこの部屋から、道路向かいの一軒家の裏庭が見渡せる。そこに、派手な色をしたオスのキジが現れた。頭を上下し何か啄んでいる。雨の後は羽虫が湧く、それを食べに小動物がやってくる、そして小動物は啄まれる。裏庭という小さな世界で、食物連鎖が繰り広げられている。裏庭をよくみる、近くには地味な色のメスのキジもいた。どういうわけかキジは良くツガイでいる。夫婦仲が良いのだろう。
そこへ家主の老婆がやってきた。ツガイのキジは別々の方向へ逃げて行った。
ポロン。趣味のギターを弾き始める。私はニートだ。ギターを弾き始めて何年か経った。中々上達したと思う。
ポロロン。アパートでギターの練習が出来るのは、勤め人が出払った後しかない。私だって気を遣っている。全くの話、夜中にポルノ映像を垂れ流す男よりも。「楽器の演奏などはやめましょう」この何年かで二度、ポストに注意喚起のビラが入っていた。それで気遣うようになったのだが。
昼食を摂って、昼寝をして、少し文庫本を読んで、パソコンの前に座って、バタン、隣の男が帰ってきて、夕食を摂る。ガララ、ガララ。隣の男が洗濯を始めた。三日に一度は洗濯をしている。洗濯なぞ女がやるものだ。三日に一度、母が取り込みに来てくれる。こうやってボンヤリしているうち、一日はすぐ終わってしまう。ニートは案外忙しい。
バタン!土曜の深夜。耳をつんざくドアの音で目が覚めた。隣の男が酔っぱらって帰って来た。
すぐにも大音量が聞こえてくる。動画か何かを観ていると思われる。時折壁や柱を殴るような音もする。暴力。勤め人というのはかくも、粗野で野蛮なものなのか。隣の男だけがたまたまそうなのかもしれない。とするなら、わざわざ私の隣の部屋に配置しなくても良いではないか。運命とやらはずいぶん意地が悪い。
大音量の中、横になり、眠る事も出来ず、ヒトについて考えた。ヒトは狩猟採集で生計を立てていた。個々は脆弱であっても、集団で狩りをすることにより、生態系の頂点に立ったのだ。やがてより安定した生活を求め農耕を始めた。富を蓄えられるようになり、文明を築き始める。ヒトの欲望は留まることをしらない。より豊かに、より安全に、より安楽に!ついには労働すらすることなしに生活が出来るようになった。それを実践しているのが私だ。これまでのヒトの歩み、親の稼ぎによって。その点では運命に愛されている。私こそヒトの行き着く先である。
いつの間にか大音量は止み、大イビキが聞こえて来た。隣の男はそのまま寝てしまった。
---日曜の朝。天窓から灰色の空が見える。外は雨が降っているらしい。
昨夜の事はあまり記憶にないが、飲み過ぎてしまい、帰ってくるなり床の上で寝てしまった。体中が痛い。・・・、隣の部屋から女の声がする。三日に一度は来ているようだ。
隣のヤツはたぶん無職だ。自分が部屋にいると気配が必ずあるから。三日に一度訪れる女は母親だろう。生活の世話を焼いてるんだろう。たまにギターを弾いている、テレビゲームをやっている、テレビを観ている、これがヤツの全て。早く寝て早く起きる。退職した年寄りがそうなるように、ヤツもまたそういう生活というわけだ。きっとすぐにボケてしまうだろうな。
さて、オレには生活を世話してくれる女なんていない。二日酔いでフラフラしながら、弁当を買いに行った。
オレは独り。昼間からアルコールで感覚がマヒしている。道路沿いの、新築の一戸建ての庭で、ボールを持った女の子が不思議そうに自分を見ていた。ニコッと笑いかける、女の子は家の中に逃げ込んだ。いい子だ。オレを変なヤツだとちゃんとわかっている。
父親はきっとオレより年下に違いない。あの一家からしたら、まともなヤツラからしたら、オレは頭のおかしいヤツという事になる。別に構いやしない。仕事中はへえこらしてるんだ。休みぐらいは好き勝手やるさ。確かに感覚はマヒしている、おかげで愉快だね、空っぽの人生でも。
弁当を買って、アパートの近くまで来ると、道路にキジがいた。カラフルなオス。アスファルトの上に何か美味いものでもいるのか?いきなり走り出してオスのキジに詰め寄った。バサバサバサ!ビビったキジが田圃の方に飛んでいった。ハッハッハ!面白いね。と、反対方向に、地味なメスのキジが逃げて行った。おやおや、ヤボだったかな。カップルの間を引き裂いてしまった。
サッサと部屋に引き返そう。水を飲んで、一眠りして、起きたら弁当を食おう。階段を上がると、鈍い太陽が顔を覗かせた。いつの間にか雨は止んでいる。ケエッ!ケエッ!キジが鳴いた。そうして、猟師に撃たれてしまう。諺では。キジの肉は美味いのかな。