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第1話 トレーニング④

熊は、頭から数メートル、アニメのように綺麗に飛んで、ドサリと落ちた。

目が限界まで見開かれ、口から泡が出ている。

よく見ると、歯はほとんど折れていた。

アカリの足を噛んでいた歯は全て折れて、足に刺さり切らなかった歯は地面にバラバラと転がった。

アカリは、痛みに顔をゆがめながら、先ほどまで熊の口の中にあった震える足をゆっくり地面に置いた。

歯が刺さっていたところの皮膚が破れ、中の赤い肉がのぞき血が出ている。

残った歯を一本一本手で抜いていくと、奥で白色が見える噛まれ痕もある。骨まで届いた歯もあるかもしれない。


「火薬の匂いで気づかなかった。こいつもターゲットの一つか?こいつで最後か?」


アカリは三人の兵士の方を向き、緊張を解かずに聞いた。

熊の次はライオンが出てくるかもしれない。

おもむろに、兵士の一人がゴーグルとマスクを外した。

見知った若く精悍な顔が出てきた。目の下の傷に記憶があった。

アカリは僅かの親しみを込めて、彼をキャプテンと呼んでいた。


「キャプテン、お前だったのか」


キャプテンは地面に転がる熊を観察している。

気絶した熊の状態を確認し、顔に隠し切れない賞賛の色が滲む。


「そうだ。見事だった。お前の鼻をごまかすために、少し加工もしていた。お前、そんな可愛い顔して人間とは思えないタフさだな。軍人の鏡だ」


「この豚か?嗅いだ事ない匂いだったが、結局火薬の匂いで何も分からなくなった。私を人間扱いするな」


キャプテンは最後の一言に、即座に何か言いたげな表情で口を開いたが、そのまま一度口を閉じた。

再度口を開いたときには、ふざけたような表情に変わり、口調も務めて軽くしているのが分かった。


「そうか。とっさの判断でよくやった。すごいな、お前は。足は痛むか?結婚前の身体に傷が残ったら大変だ。研究室で博士に診てもらおう。今日の訓練は終わりだ」


アカリはその一言で、溜息をつく。

こわばった肩の力を意識して抜こうとした。

両手首をこれ見よがしにキャプテンの目の前に差し出し、重りをちらつかせる。

キャプテンは苦笑しながら男らしさを感じる長い右の中指にはまっている指輪を、右手首の重りにかざした。


―ピッ

機械音と共に、重りがパカッと開いてドスンと地面に落ちた。

それを、すみません、と未だにゴーグルとマスクをつけている二人の兵士が回収する。

右手首の次は左手首の重りにかざす。

―ピッ

重りが取れると、まるで腕が丸ごと中古から新品に取り換えられたかのように感じた。

軽すぎる腕を回すと勢いが出過ぎて、そのまま飛んで行くんじゃないか、という程だ。


キャプテンはアカリの足元を見る。

顔がわずかにこわばるのを、アカリは見逃さなかった。

自分の足が気持ち悪いのか、それとも痛々しい傷に反応したのか。真意はわからない。

しかし、何も言わずに身をかがめると、右左と素早く指を重りにかざした。


「ほら、受け取れ」


アカリは躊躇している残りの兵士たちのために、痛む足を彼らに向かって振って重りを足から投げ飛ばしてやった。

足は軽くなったが自分の意思とは関係なく震え、傷が熱を持ってきているのがわかる。

兵士たちは、ひっと言いながら、反射的に両手を出して重りを受け止めた。

それを確認して、アカリはまたキャプテンに苛立った目を向ける。


「足がすごく痛む。豚を出してくるなんて思わなかった。想定外だった」


「俺たちも訓練直前まで知らなかった。あんな奴をお前に向けたくなかったから、何とか俺がお前をノックダウンさせたかったが、お前強すぎだろ。その見た目で反則だ。あと、あれは豚じゃなくて熊だ」


アカリは、そんな事はどうでも良いというように、ハンッと鼻を鳴らす。

その横顔には、愛らしさが漂っていた。

透き通るようなピンク色の肌に、赤い大きな瞳、艶のあるピンクブラウンのストレートの髪は後ろで一つにまとめてある。

清楚で温かみのある色合いだが、日頃から無表情で感情の起伏が殆どないため、とっつきにくい印象を与える。

常時着ている軍服と、人間のものとは思えない足も、周囲の人間を遠ざけるために一役買っていた。

何の頓着もなく、アカリは顔の汚れを軍服の袖で拭った。

しかし、軍服も汚れているので、大して綺麗にはならなかった。


キャプテンのように、アカリに向かって軽口をたたく人間は、非常に珍しかった。

また、彼女を真正面から直視する人間は、更に珍しい。

キャプテン以外の二人の兵士はその場でゴーグルとマスクを顔につけたまま、チラチラと顔を小刻みにアカリの方に向けては勢いよく逸らすという事を繰り返している。

彼らの視線の先の女は、興奮の名残で潤んだ瞳に薄い泥の膜の下でピンク色に上気した頬と、血を流し震える逞しい足が対照的で、その常ならざる雰囲気が絵画に描かれる女神のようだった。

足の下に小さな血だまりができている。


「お前自分を傷つけるような戦い方はやめろ。さっきのは仕方なかったが、お前の自分が傷つくのを厭わずに敵に突っ込む姿勢は俺は大嫌いだ。今、車を取って来てやるから待っていろ。さすがのお前でも、もう休んだ方が良い」


お前の好悪などどうでも良い、と直感的に思ったが、足の痛みが気になり言い返す気にもならなかった。

コクリと首を縦に振ると、もう動けない、というようにアカリはドサリと枯れ葉の上に腰を下ろし目を閉じた。

サクッと小気味よい音が、アカリのお尻の下で鳴った。

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