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第1話 日常①

アカリの足の傷は、驚く速さで癒えた。

ブッカー博士に、さすがだね、と笑いながら言われ、頭をポンとされた時には、心がくすぐったさを感じた。

厳しい訓練に休養はなかったが、さすがに熊は良くなかったと判断されたのか、その後の模擬戦闘で熊やその他の猛獣が出てきた事は今のところない。

ただ、匂いの加工が人工的になされて、アカリの鼻をもってしても、本体の匂いを完全に消し生き物だと判別できない匂いが化学的に作られた事は、嗅覚に多くを頼って戦うアカリにとっては一抹の不安を残した。


キャプテンは宣言通り、アカリを見かけたら声をかけてくるようになった。

特に、食堂での食事のタイミングが重なった時は、例外なく同じテーブルに座る。

もちろん、今日も例外にはならない。


「アカリ!」


十人がけの長いテーブルについて、献立のライス&ビーンズをつついていたアカリは、赤い瞳を弾んだ声の方向に向けた。

昼時の食堂は、食事をとる隊員も多くガヤガヤしているが、自分に向けられたキャプテンの声はいつでもハッキリと聞こえた。

予想通りキャプテンが、にこにこしながらテーブルの前に立っている。

しわのない隊服からは、洗剤の匂いが漂っているのを敏感なアカリの鼻が捉える。

キャプテンの後ろには、仲が良いのかキャプテンとよく一緒にいるダンという隊員もいた。

彼はたばこを吸うようで、彼の身体は常に煙草の匂いを纏っている。隊服の着方も不器用なのか、ボタンを付け忘れたり、チャックがちゃんと閉まってなかったり、何となくだらしない印象を受ける。

キャプテンが二人は同期なのだと以前アカリに紹介してくれた。


「キャプテン、ダン」


抑揚のない声でアカリは彼らの名を呼ぶ。決まり事のようになっていた。

キャプテンは笑顔で手をあげ、ダンは顎をクイッと上にあげてアカリに挨拶をした。

許可も求めずに、彼らは当たり前のようにアカリの向かい側に座って、自分達の食事を始める。

皿の上には、アカリの二倍はある量のビーンズ&ライスが乗っていた。特大のクッキーも添えられて。


「今日は何の訓練をしているんだ?」


キャプテンは、口の中のものを飲み込むと、アカリの顔を見て恒例の質問を投げかける。


「いつもと同じだ。そっちは?」


アカリも、何でもない事のように前回と同じ返事を返す。

視線すら上げなかった。


「こちらも、平常運転だ」


頭の上に爽やかな返事が降ってきた。

そうか、と言い、アカリはまたトマト味に味付けされたメキシカンライスを掬って頬張った。

口の中に広がる程よい酸味に身体も喜んでいる。


「最近は特に困った事はないか?」


アカリの赤い瞳が、キャプテンの緑色のそれを射る。


「特にない」


「そうか、それなら良かった。困った事があったら遠慮なく言えよ」


あぁ、と言いながら水の入ったプラスチックのグラスを手に取ると、アカリは水をゴクッと飲んだ。

グラスをテーブルにコトッと戻したが、アカリの視線はグラスの中の水の上を泳いでいる。


「困ってはいないが、午後から隊長に呼ばれているんだ。もしかしたら、任務の話かもしれない。ローズ博士が、私は近々任務に出ると言っていたから」


「どの隊長だ?ファイフィールドか?」


キャプテンの問いに、あぁ、とまた小さい返事をする。


「そうか。ファイフィールド隊長は、お前に脱臭加工をした熊を準備するほど熱心な隊長だから、少し心配だな。気が重いのか?」


浮かない様子のアカリに心配そうな声がかかる。


「あぁ。少しな」


「心配するな。初任務で、そこまで無謀なものはふって来ない。隊長たちだって任務を成功させる責任がある訳だしな。俺たちなんて、トルネードの後に洪水のあった街での住民の救出活動だったぞ。すごい厳しい訓練をしていたのに、実際にやった事はボートに乗って街中を回る事だけだった。意義ある活動だったが、戦場に送られると思ってたから、拍子抜けだったよな、ダン」


そう言ってキャプテンは隣で昼食をかきこんでいた戦友の背中を叩いた。

唐突に背中に衝撃を受けて、ダンは口の中のものが変なところに入ったのか咳き込む。

目に涙を浮かべて、彼はキャプテンを睨んだ。


「おい、カイ、急に話に俺を巻き込むなよ」


キャプテンは、ははは、と笑いながら、悪い悪い、と謝った。


「お前も覚えてるだろ、俺たちの感動的な初任務」


ダンは、喉のどこかで感じる異物感を払うために、喉から「ん゛~」と変な音を出している。

仕返しとばかりに、いたずらっぽい声でキャプテンの恥ずかしいエピソードを披露する。


「忘れる訳ないだろ。お前にべったりくっついてボートを降りなかったあのおばさん元気かな。怖がるふりして際どいところばかり触られて、お前の方が本気で震えてたもんな。チラチラ服の裾をまくって、あの獲物を狙う目はすごかった。お前が拒絶しないから、あのおばさん結局お前の背中を押して水の中に落としたあげく服の中に手を」


「うるさいな、やめろよ、そんな話」


キャプテンが真っ赤になって叫んだ。

ダンは、怒るキャプテンにお構いなくアカリに向かって話を続ける。


「極めつけは、水の中であのおばさんを無理やり引き剝がして自分から振り払ったんだけど、それを隊長にタイミング良く見られたんだよな。隊長は激怒して本部にすぐに報告、ほんでこいつは直属の上司に警告を出されたんだ。次やったら除隊だと。初任務でかわいそうだったよな」


同情的な言葉とは裏腹に、ダンはケタケタと笑っている。

キャプテンは真っ赤になってそっぽを向いた。


「あれは悪夢だったんだ。今更ほじくり返すな」


「こいつ、あれがトラウマになって、しばらく中年のおばさんの近くに寄れなかったんだぜ。俺たちの部隊におばさんがいなくてラッキーだったよな」


キャプテンが本気で恥ずかしがる姿を初めて見たアカリも、ダンの笑いにつられて少しクスッと笑ってしまった。

話の内容は正直何が面白いのか分からなかったが、それに対するキャプテンとダンのリアクションや声に心を動かされた。

それを見たキャプテンとダンは、ピタッと静止しダンの笑いもスイッチを切ったように止まった。


「気がまぎれた。ありがとう。私も、災害救助の任務が来る事を願う」


空になった皿の乗ったトレーを手に持ち、アカリは立ち上がった。


「じゃぁ、また」


「あぁ」


今度はキャプテンがアカリのような返事をして、固まっていた。


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