第4話 報告①
アカリは、言われたとおりに治療の帰りにローズ博士の研究室に立ち寄るべく、鼻を軽く押さえながら歩いている。
このエリアは、いつ来てもアカリの鼻を刺激する。
日が暮れてしばらく経つため、人の気配はほとんど感じないが、暗い廊下に2,3の開いたドアから溢れる研究室の明かりが眩しかった。
ローズ博士の研究室のドアも開いていた。
研究室に近づくと、中でPCのモニターを眉間に皺を寄せてじっと見ている博士が見える。
モニターの端から、博士のブロンドの髪と化粧っ気のない横顔がのぞいているが、集中しているからかアカリの存在には全く気が付いていないようだ。
鼻にかかった眼鏡にモニターの映像が反射しているが、何の映像かはっきりは分からない。ただ、眼鏡の色がコロコロ変わる事から、画面が忙しなく移動している事だけはわかった。
コンコンコンッ
博士に来訪を伝えるため、ドアを軽くノックする。
無機質な音が、しんと静まり返った廊下に響いた。
目を上げたローズ博士とアカリの目が合った。
ローズ博士は、キーボードのキーを一度叩いた。眼鏡の上の反射が止まった。
「足を見せてくれ」
立ち上がりながら、ローズ博士は視線をアカリの足に向けた。
アカリは、ペタペタと足音をさせながら、ゆっくりローズ博士に向かって歩く。
ローズ博士も立ち上がり、コツコツと静かな足音を響かせ机の前に回った、膝を床につけてアカリを待つ。
アカリは黙ってローズ博士の前にただ立った。
左足の甲には、透明だが分厚く、ザラザラとした感触が見た目で分かるシールのようなものが何か所にも貼られていた。その下には、縫い合わされた傷口が少しぼやけて見えている。
ローズ博士は、ゆっくりとアカリの目を見上げた。心なしか顔が歪んでいる気がした。
「痛むか」
表情とは裏腹に、ローズ博士の声は淡々としていて感情が読めなかった。
「痛い」
アカリはサラリと答える。
ローズ博士は再度足の傷を確認し立ち上がった。
机の端にパンツスーツに包まれた細い腰をかけて、体重を少し乗せる。腕を組めば、いつものポーズの出来上がりだ。
「熊が出てきたみたいだな。ご丁寧に匂いまで加工して。軍の奴らも随分熱心だな」
「あの豚は嗅いだことない匂いだった。ローズ博士がやったんだと思っていた」
興味のないゴシップを聞いているかのように、淡々と続ける。
「あの熊は私じゃない。他の誰かがやったみたいだが、私も誰かは知らない」
ローズ博士は言いながら、壁に備え付けられている本棚に向かった。
目線を上から斜めに走らせ、何かを探している。
沈黙が流れた。
アカリはその間ぼんやりとローズ博士の机を見ていた。モニターの後ろに整然と置かれたキーボードとマウスがチラッと見える。掃除をしたばかりなのか、机の上には埃一つ見当たらない。もう深夜になろうと言うのに、コースターの上のカップの中にはコーヒーが入っているようだった。
カフェインの匂いだけで、アカリの目まで冴えてくるようだ。
「あ、いたいた」
背後で、若い男の低いが張りのある声がした。
バッと振り向くと、開いたドアの前にキャプテンが立っていた。
汚れた軍服とブーツから、ほのかに土と緑の匂いがした。
アカリがつけた汚れかもしれない。
アカリをみて、うっすらと微笑を浮かべる。明るい緑色の目が細められる。
帽子を取っているため、綺麗に整えられた色の薄い金色の髪も研究室の明かりの中で輝いていた。
その輝きは、見るものに爽快感を与えた。
ローズ博士も目をドアの方に向け、軍服を着た若いキリリと爽やかな男の顔を確認した。眉を少し寄せて声をかける。
「カイか。どうしたんだ、こんな夜中に」
「アカリの治療が終わったと聞いたので、様子を見に来ました。傷の具合が少し心配だったので」
そう言えば、キャプテンはカイと呼ばれていたな、とアカリはぼんやり思う。
目の前では自分の事が話題に上っているようだが、まるで他人の話をしているように聞こえた。
二人の視線を感じ、アカリはめんどくさそうに答える。
「このくらいの傷何でもない」
全身に回る疲労感に、身体はもちろん口まで重たくなったようで、ただでさえ少ない口数がさらに減る。
痛み止めが切れてきたのか、足の甲から感じる痛みもジワジワと強くなってきているのを感じる。
キャプテンは見るからに安堵の色を顔に浮かべ、心なしか肩の位置が下がったようだった。
顔のこわばりが取れると、キャプテンの顔にも隠れていた疲労の色が見えた。
「そうか。良かった。熊と戦う女なんてお前くらいだ。実際の任務でも熊と戦ったなんて話は聞いた事がない。傷が回復するまで、お前には過度な演習を振らないよう上に頼んでみよう」
キャプテンが、冗談めいているが気遣いを感じる声を響かせた。
(その必要はない)
「その必要はない」
自らの心の声が、自分とは違う声で聞こえ、アカリは眉をひそめた。
視線の先でキャプテンも怪訝そうな顔をしている。
緑色の目から放たれる視線は、本棚の前のブロンドの女に鋭く刺さっていた。
ローズ博士は、分厚い本を手に持つと体をキャプテンに向けた。
「この子は近々初めての任務に出る予定だ。その時に向けて、できる訓練は全て受けさせた方が、この子にとっては良いだろう」




