メルハ17歳(3)
「疲れたのか?」
返事の代わりに不満気に睨まれてしまい原因をあたる。カレヴィの感覚ではとくにパーティ参加者から失礼にされたこともなかったし、姫と呼んだ頃はメルハの機嫌はよかったのに。
バルコニーに行くぞ、と手を引くと黙ってついてくる。
「どうした?」
顔を覗き込もうとすると、逸らされた。
「わたくしに初めて会ったときにもニコニコなんてしなかったくせに……」
「メルハの母国内ならば愛想くらい振る。お前も少しは笑え。私を……グルーウィス王国を悪者にしたくなければな」
「お国のためでしたのね! きれいな女性たちにでれでれするのも義務でお仕事だっておっしゃるの?!」
挨拶をするたびに好意には好意を返すつもりで笑顔でいたが、誰の外見を褒めるようなこともしていない。鼻の下を伸ばしたとはいつのことやら。
「なにを言いたいのかわからん」
「どうせわたくしは子どもですわよ!」
メルハは握った拳を突き出した。カレヴィの脇腹に届いたが、痛みなどない。
「いまのはなんだ?」
「殴ったのよ! お、怒ったって謝りませんわ! カレヴィが悪いんですもの!」
間抜け面を晒す。反対にメルハは泣きそうだ。
「なぐっ……た……? 」
あれではぽん、と撫でられたのと変わらない。あの力が肩に落とされたとしても肩たたきにもならない。気が抜けて膝が崩れるかと思った。
「ふ、はは! ……くっ……くくくっ」
殴られたばかりの腹を押さえた。気迫のわりにコシも入ってないし体重のひとかけらも乗っていない拳だった。メルハが本気の全力で繰り出した一撃だっただけに、くすぐったすぎて笑いが止まらない。
「メルハ、お前、それはかわいいがすぎるだろう……」
うっすら涙さえ浮かぶ紺寄りの紫の瞳を細める。メルハはめったにもらえない「かわいい」がここで出たことに納得いかないのか、精いっぱい目つきを剣呑にしてみせている。それをなごませるように親指でやんわりと目尻を伸ばしてやった。
「私の愛想がよすぎると?」
「だって! カレヴィはいつもツンとしているわ」
「なんと言っていたのだか。女にでれでれ、か? 男にも笑ってやっただろうが。それも将来的にメルハを手に入れるためだ。メルハが隣にいてくれて嬉しいと外から見てわかるくらいでなければ、いくら口で大切にしていると言い張っても嘘くさいだろう。私はこの国からメルハを幸せにできる男なのだと信頼を得たい」
するりと手を握る。手袋越しではあるが、メルハからも指を丸めこんできた。
「メルハにも協力してほしい。グルーウィス王国に来て間違いではなかったと証明するんだ。だがもしイブリーカに置いていってほしいのなら、そう言え」
希望すれば置いていくつもりでいる。尋ねながら肺の奥がツキリとした。姫は何もわからなかった子どもの域を脱しようとしている。ソンダーブロの土地柄とアーティサーリ家のことを知ったうえで彼女が離れたいと願うのなら。強引には引き留められない。グルーウィス王国にメルハの幸せを求めるなら、婚約者を降りてでもカレヴィは送り出そう。
はじめに歓迎しようとした姫が部屋に閉じこもって交流を拒絶していたことが、カレヴィはずっと気掛かりだった。なにかの拍子に「やはり故国に帰りたい」と言われれば、かわいい姫の意思を尊重する。
「ここには残らないわ。わたくしは、カレヴィのお嫁さんになるのですもの」
覚悟は決めているようだ。カレヴィがメルハを大事にして守ろうとしていることは、本人に伝わっている。しかし婚約したから、他に道がないから、という諦めであってはならない。
「まだ婚約中だ。どうとでもしてやる。国益など関係なく、メルハが生きたい場所で生きていけるようにーー」
拳よりよほどしっかりした衝撃だった。メルハの渾身の体当たりを抱き留める。身長がずんと伸びて体重がぐんと増えても、まだまだか細い。
「冗談でもおやめになって。……わたくしを手放すだなんて、それこそ許しません。絶対、ぜったい嫌よ」
「すまん」
あやすように背中を叩く。ドレスの上の肩甲骨が寒々しいほどに白い。これが何十人の男の視線を奪ったやら。
「私の嫁になるのはメルハひとりだけだ。他を検討したこともない。これからも当然ないと誓おう」
「国を越えてお嫁にまいりますのよ。わたくしには、カレヴィしかおりません。家族はあなただけなの。……それを、わかってください」
声は沈みきっていて、ピンクがかった紫の目の縁に浮かぶものがある。カレヴィは焦って返事をする。以前は家族や国が恋しくて泣いていたが、この場ではカレヴィが泣かせたのだから柄にもなく焦りもする。
「わかった。わかってる。もう今夜は笑わなければいいのか?」
ーー嫉妬、だったのか。
少女から大人の女性になりつつあるメルハの成長を垣間見た。
「全員に同じように接するのならいいわ」
会場に戻った後は型に嵌めたような顔で、老若男女すべてに対応した。カレヴィにまとわりつく熱視線は増える傾向にあれども、メルハは先ほどまでよりかは気にすることをやめたようだった。