メルハ18歳(2)
小船に乗った指名手配犯ウルドゥーニャを海上で逮捕したのは明け方だった。
帰宅したカレヴィは上機嫌で、メルハの「おかえり」に微笑んでみせる。
「礼をしなければな。何がいい?」
表情を明るくさせて、メルハは紺寄りの紫の双眸を見上げた。
「なら、ちゃんとしたキスをしてくださる?」
服か靴か、宝石か。物でもねだられるかと思っていたのか、カレヴィは眉を上げた。一歩距離をとる。
「私は未成年に手を出す変態ではないぞ」
カレヴィは二十六を迎えたが、メルハはまだ十代。大人としてメルハを恋愛対象にするには罪悪感が勝つのだとふざけたことを言う。
「残念でしたわね、わたくし十八になるの」
未到来の日付だが、今月で一歳カレヴィに近づく。
「なぜキスなど欲しがる?」
「わからない? カレヴィが好きだからよ、おばかさん」
開いた口がふさがらないようだ。その隙に、メルハはカレヴィの顔を両手で捕える。
「大好きよ」
つま先立ちになってファースト・キスを押し付けた。顔を赤くしたのはメルハのみ。
キスされた側は垂直に床に尻餅をつく。青くなって、そのうち死人のように白くなってしまった。
「み、未成年に……猥褻……、……倫理……良俗……」
ブツブツ口を隠しているが、聞き逃せない単語にメルハはカレヴィの耳を引っ張った。
「二年前にとっくに成人してます! お忘れですの?!」
当時の誕生日には「十六歳おめでとう」と年齢を言っていたし、成人だからと一杯だけごく軽い酒をジュースで割って注いでくれたのはカレヴィだった。ただのパイナップルジュースの味しかしなかったくらい薄いカクテルを。反対に彼は蒸留酒を希釈することなく飲んでいたけれど。
酒を飲ませても、彼の中ではメルハはいまだ幼い少女なのだ。
「はっ……メルハは今月で十八になるのか」
立ち上がってもふらふらとして壁に額をぶつけている。激しいうろたえぶりは他に類を見せなかった。面白かったが、大人扱いしてもらえないメルハの心中はやや荒れ模様だ。
翌日、妙によろめいて弱っているカレヴィが現れた。いかにも人生で初めてこんなに頭を使ったという暗い目元で。
「メルハ、こちらへ」
誘われてソファに隣同士座った。カレヴィが抱えていた書類を渡される。
紙をめくりながら、戦争ーー二人が婚約に至った経緯から端を発して王太子の第一子誕生のお祝いの影に行われた粛清、などなどカレヴィが関わった悪事について説明された。
「それが何か?」
綴られた紙の束を横に置いて、メルハはカレヴィの肩に頭を預けた。自分のものより大きな手を取って、膝に置く。
「十四のときはわからなかったけれど、あのときは終戦したばかりでなにもかもが落ち着いていなかったわ。戦争でかかりっきりのときには大人しかった連中が王位を巡ってお兄様とわたくしを争わせて共倒れを狙っていたのね」
メルハにとっては兄が王位継承者となることは決まったことだった。お互いに暗殺騒ぎが続き、被害が大きくなる前に追い立てるようにソンダーブロに送り出されて、気落ちしたこともあるけれど。
三年してもイブリーカ帝国に残っていた曇り汚れを浮かせてこそぎ落とすべく帝国は頭を下げて国外のカレヴィに協力を求めた。他国の軍部に頼るなどあってはならないことである。ぎりぎりまで悩んだ。結局、ソンダーブロ州がグルーウィス王国から独立した私軍を持っていること、決して表沙汰にしないと固く約束させたことによりカレヴィの独断専行が可能となった。ソンダーブロ州に旨みはなく骨折り損のくたびれ儲けではある。
強いて言うならば、両親と兄の存命によりメルハの笑顔を守れたことこそが報酬だろう。
「さすがに、お兄様とカレヴィが揃って一昼夜かけて台所掃除なんて馬鹿げたお話、鵜呑みにはできなかったわ」
愛する人が隠そうとしているのなら、見て見ぬ振りも嫁の懐の広さの見せ所というもの。
「いいの」
弧の形につくられた、唇に乗る濃い紅も大人になったメルハには似合うと自負する。この上なく色気と魅力を底上げする色。
「浮気以外は知らんぷりしてあげる」
きゅう、と太ももに置かれた手を握る。
「メルハ」
プロポーズのときにはフルネームを呼ぶのが定番だけれど、きっとわざと、家名をつけなかった。そんなものは邪魔なだけだったから。どこに属していても好きなことに変わりない。
「私と結婚してくれるか」
「喜んで」
角ばった指が前髪に触れ、顔の輪郭をなぞるように降りてくる。メルハは目を伏せる。カレヴィの唇が落ちてきたのは頬だった。
「これがいま私にできる限界だ……、許せ」
すっぽりと抱きしめてから離し、「寝る」と寝室に引っ込んでしまった。メルハはソファから立ち上がってぱたぱた無意味に歩き回る。カレヴィの残り香と腕の感触を堪能しては赤くなった頬を押さえた。
カレヴィとメルハが名実ともに夫婦となるにはこれからさらに二年を要することになる。長すぎる婚約期間に我慢できなくなったメルハがちょくちょく結婚を迫るのだが、カレヴィがなだめすかして彼女の二十歳の誕生日まで引き伸ばしたからだ。おかげで誕生日が結婚記念日、セカンド・キスは結婚式当日の誓いのキスだった。
結婚して一つに統合してもらえた寝室は広い。ベッドの上でカレヴィにしなだれる。
「やっとよ。やっと、メルハ・アーティサーリと名乗れるの。六年も待ったわ」
「最後の二年は……悪あがきだったな」
「なんに対しての?」
「婚約中にお前に好いた男でも現れたら仲人くらいは務めてやろうと思っていた」
保護者の立場で守ることはするが、極力男として触れたりましてやキスなどしないようにしていた。
「こちらに来た当初お前は十四の子どもだった。もとより私は女に好かれるような性格はしていない」
見た目はともかく好戦的で、冷淡だ。「恋に発展するとは思わなかった」と弱気な夫を新妻は笑い飛ばす。
「無駄な考えね。わたくしはカレヴィを愛してるのだから」
「私も愛している。メルハが泣くとしたら辛いが、イブリーカには返してやらん」
「返さないで」
繋ぎ止めていて。
まぶたを閉じるとカレヴィから唇を合わせた。
「明日の朝になっても同じことが言えるか見ものだな」
翌日には何も言い出さなかった。朝は寝こけていたのもあり、幸せいっぱいだったから。式から一ヶ月もするとメルハは彼の意図を体を以て思い知った。
「ちょっと……その……回数……、減らしてくださる?」
「却下だ」
あえなく否定されて、メルハはあたふたした。言葉でも態度でも愛を伝えてくれるし求められるのは女として嬉しい。が、体力には限界があるし節々が痛いし日中の長めの昼寝が常態化しつつある。民から堕落していると思われたくない。
俯くメルハにカレヴィは口角を上げる。
「……と言いたいが、考えておこう」
と答えて、するりと後頭部を撫でてくる。そのまま引き寄せられて、唇を吸われる。
夫婦の時間は日を置いてくれた。いつしか寝る前のキスだけでは物足りなくなったメルハからねだりーー以前とほとんど変わらないことになった。
二人の間に生まれた女児は誰が見ても間違いようもなくカレヴィの遺伝子を受け継いでいた。抱っこしているメルハの子だとはわからずとも、カレヴィの子だと領民から指差される。両親の愛を一身に受けた彼女は、強く優しくたくましく育つ。
That’s how they started their love. Period!
最後までお付き合いくださりありがとうございます。
1話目で申し上げましたが、「つよつよヒロインは泣くより誰かを愛したい」のヒロインの両親のお話です。
思ったより長くなったのと、登場人物ほぼ被ってないので別作品として数えていただければと思います。世界が同じなのでシリーズとしてまとめるかもしれませんが。
若い分まだ甘ちゃんで弱いところもあるカレヴィでした。
喋りも硬い。
娘には口調も柔らかくなってます。
お話の一部は史実上のとある事件を参考にしております。作者がまこちしょちゅがうめじなお国出身なので、標準語に寄せつつ方言入れてみました。
よろしかったら、読んだよの印に星ひとつでも染めていただけると嬉しいです!
また別な作品でお会いできますように。
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