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メルハ17歳(5)

 買い物から離宮に戻ってすぐ、カレヴィは王太子に連絡を取った。男同士で酒を飲むからメルハは王太子妃を誘って夕食をとり先に寝ておけと言付けをもらい、義姉とデザートワインまで楽しんだ。


 翌朝にカレヴィが部屋に帰った様子はない。兄に引き止められているのだろうか。

 お土産は部下を遣って購入した。メルハは訪問客の対応で手一杯で、時間は飛ぶように過ぎていく。


 カレヴィが戻ってきたのは翌々日で、連日飲まされ二日酔いなのかカレヴィは頭が痛そうにしている。出国する明日までには体調がよくなるといいが。

 侍女に用意してもらった薬と水を差し出す。


「頭痛のお薬よ」


「ああ」


「お水を飲んで」


「ああ」


 コップを受け取って口をつける。メルハはカレヴィの座るソファの端に座って、くいくいと彼の服を引っ張った。


「横になって」


「……」


 もはや考えるのも断るのも面倒くさいのか、言いなりにころりと横になった。にやける口許を片手の指で押さえつつ、自らの膝の上に乗る波打つ金茶の髪(キャラメル・ブロンド)を撫でる。ひと撫でするごとにまぶたが落ちていく。彼が疲労困憊、といった様子を強がらず見せてくれる。そばに近寄らせるのも、寝顔を晒すのも気を許しているから。それをさせられる存在であることがメルハは誇らしかった。


「王太子殿下が御成りです」


 身を起こそうとしたカレヴィの肩をやんわりと下に押す。兄の前だからなんだ。むしろ婚約者として良好な仲を見せつけるよい機会ではないか。


 妹に膝枕をされている男に、王太子はフッと意味深な笑みを向ける。


「借りができちゃったなぁ」


「私はここまで大事にするつもりはなかった……」


 ぼそりとカレヴィがこぼす。


「一斉清掃ができて助かったよ。いや、お見事」


「お兄様とカレヴィはお酒を嗜んでいたのではなかったの? 一昨日からお掃除していたの?」


「どうしても気になるこびり付きがあってね、カレヴィ殿のおかげできれいさっぱり! 風通しがよくなるよ。ありがとうございます!」


「換気扇でも磨いていたの……?」


 王城の厨房ともなれば大規模で換気扇も大型となる。掃除も大変だろう。しかしそれをアーティサーリ家次期当主が?


「私が酔った勢いでゴリ押ししてしまってね」


「取り返しがつかなくなる前に片しておくのは道理だ」


「まことに……心より御礼申し上げる、カレヴィ殿」


 一礼は長かった。頭を上げたときには悪戯っ子のような笑顔に戻り、兄は退室していく。メルハは呆気に取られた。

 カレヴィは、一国の王太子に頭を下げさせるに値する何かをさせられた、のだ。


「お兄様がごめんなさい」


 下から伸ばされた手がメルハの頬を目指して空中に留まった。いつも睨まずとも鋭い紫紺の瞳(マルベリー)がこの時ばかりはゆるんで眠そうにしている。


「よい。……明日ソンダーブロに帰るのでいいか、メルハ」


「ええ。カレヴィの体調が良くなってからね」


 ふぅ、と小さく息をついてカレヴィは目を閉じた。











 メルハとの買い物から帰宅した日、カレヴィは襲われたことを王太子に報告した。彼は聞くやいなや血相を変えた。妹の危機に重きを置いた。呼びつけられた国王と王妃までもがカレヴィに謝罪する。


 過去、戦争が終結しても国内が騒がしい中、未成年の王女だけは平穏に暮らしてほしいと隣国にーーなかでも武に勝るソンダーブロ州に送り出したというのに。いまだイブリーカは国力が心許なく、奸臣を炙り出せずにいる。


 王都を逆時計回りに周回した昨日。目標のほとんどは貴族だったが、隠れ家や屋敷に侵入して偽造工作や隠蔽の証拠をかき集め。王太子失脚を目論んで動いていた者の拘束、拷問、系譜の引きずり出し、諸々。始めたからには終わらせねばならない。滞在の最終日に間に合わせた。


 頭脳を使って大枠の指揮していたのは王太子だが、両国の軍を合わせて現場で動かしていたのはカレヴィだ。観光と称して最新の地理を事前に把握できていたのは幸運だった。数日をかけて各地に部下たちを散らしていた目的というのも、半分は余暇を与えたつもりだったのだが。

 表沙汰にはできない軍の出動を最終的に実行したのはカレヴィであり寡兵での暗中飛躍に自ら鉄腕を奮ってしまった。


 これ以後もカレヴィが率いる軍については、いついかなる時でもイブリーカ帝国の領空でも領海でも侵犯の罪に問わぬ、と確約をもらった。メルハが生きている間に限定はされてしまったが。カレヴィの心ひとつで、メルハを女王に据えることも容易になった。

 実現可能とはいえ、そんな将来を空想したことはない。彼女が望むのならいざ知らず。カレヴィは婚約者を不安にさせるものを許せなかっただけだ。


 やっと全てを終わらせ、メルハのやわらかな膝の上でまどろむ。

 詳細は知らずとも、彼女は兄の所業を謝罪した。


「よい。……明日ソンダーブロに帰るのでいいか、メルハ」


 天上にある頬に触れようとして、止める。


 連れ帰ってもよいのか、と訊いた。


 人を嬲ることに特化したこの手で、誰からも愛される王女の手を引いて。この娘を愛するのはなにも、カレヴィひとりだけではない。陽光に縁取られてきらめく人。


 ぐっしょりと足から頭まで赤黒い闇に塗れたカレヴィと共に来てくれるのか。

 これまで誰に触れるでも、気にしたことがなかった。敵でも味方でもカレヴィが綺麗事だけで生きてきていない事実を知るのはみな同じこと。


 けれどメルハはあまりにも純粋な好意を示す。戸惑うほどに。メルハだけが、カレヴィが本気で人間相手に武装して戦う様子を見たことがない。少女の愛は眩しい。


 唇が震える。危ない兆候だ。寝不足というものは精神を乱しさらに不安を煽る。


 そうこう考えているうちに、白い手がカレヴィの手を迎えに来た。まろやかな線を描く頬に当てられる。


 「ええ、」と答えを聞いて息をついた。











 お別れをしにきてくれた国王夫妻の後ろにいる官僚たちの顔ぶれが半数ほど変わっている。それぞれの仕事の都合もあり、次官たちの代理出席なのだろう。


 カレヴィとメルハが帰国してから一週間後、王女拉致被害を訴えていた一派は瓦解したとの報道が流れた。その陰ではソンダーブロ州諜報部隊の出動があったとかなかったとか、誇張表現でおかしく作り話をする低俗新聞に載っており世間を賑わせている。


 他に嫁ぎ先の候補がなかったから唯一の独身だったカレヴィ・アーティサーリに元王女が任されたのではない。イブリーカ帝国の元王女が相手であれば既存の婚約を破棄してでも結ばれたいとする家はどこにでもあった。

 戦時中にも誇り高く振る舞い、流れる血を最小限に抑え敵味方なく魅了していたソンダーブロ軍の将帥だからこそ預けようと国王陛下は判断を下した。


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