メルハ17歳(4)
パーティを終えて滞在日数は残り三日、メルハとカレヴィは繁華街へ下りて来た。ソンダーブロ州へ持ち帰るお土産を物色しつつ観光する。
ガラス貼りの店の中には目玉商品の横に他国の国旗が添えられていた。
「輸入雑貨を扱っているお店が増えたわね」
「国交が増えたからな」
右に左に視線を動かすカレヴィはどの店に入るか品定めしているのだと思った。
「10-0」
警戒せよーー呟いた暗号は振り向いたメルハに向けられたものではない。人混みに潜んでいたガタイのよい男たちがするすると二人の横につく。メルハにもお馴染みのソンダーブロ州の軍人だ。
立ち塞がったのは高級品とわかるものを身につけた男たち。十代から三十代まで揃っていた。ソンダーブロ州から連れてきた護衛代わりの軍人が素早く筋肉の壁をつくる。
ひとりが肩の隙間からカレヴィを見据えて要求を示した。
「我らがメルハ王女殿下をお返し願いたい」
長らく耳にしていない尊称だ。いつまでも保守的で過去に固執する人種だという自己紹介だった。
「ほう」
至極興味なさそうに返した。隣でメルハが毅然と尋ねる。
「あなたがたはなに?」
「拉致被害者を取り戻すために活動しております」
一部のイブリーカ帝国国民は、子どもだった末姫が国の和平を盾に拉致を許されたのだと信じてやまない。事実無根なのに。
「殿下、我々がお救いいたします」
陶酔した台詞に熱意が籠るほどに、こちらの空気は冷えていく。
「救うとはどこからの視点の話か言え」
カレヴィの目が釣り上がる。
「とうぜん、殿下を慕うイブリーカ帝国民だ、蛮族めが」
「おやめなさい。わたくしはグルーウィス王国に帰ります」
もはやイブリーカ帝国は生国ではあっても故郷ではない。メルハはカレヴィのそばにいることを望んでいる。
「あなたさまのお国はここだ。おわかりいただけないのなら、力ずくでも」
「力ずく。よい響きだ。イブリーカでは騎士の決闘というのだったか」
暴力行為に同意したカレヴィの腕を引くが、メルハの力ではびくともしない。
「決闘、ええ、殿下にお戻りいただくのに必要であれば。
子どもの頃からの感化洗脳を受けたのですよ。おかわいそうな王女殿下」
洗脳は耳障りのよい言葉で、優しい態度で対象に取り入ることからはじまる。精神的な繋がりを確立したあと、思い通りに育てて大人になってから搾取、性的虐待を主な目的とする。厄介なのは、利用された子どもたちは被害者である自覚がないことだ。
メルハとしては、成人してからもカレヴィが抱擁以上の身体接触をしてこないことにまどろっこしさを感じてもいるというのに。カレヴィがメルハに物品を請求したり無理強いしたことだってない。
「そんな事実はないわ。こちらはカレヴィ・アーティサーリ。グルーウィス王国からの賓客よ。わたくしの正式な婚約者でもあります」
国際問題を起こす気か、と脅しつけた。これで引いてくれればよいのだけれど。
「その男と引き離せば、あなた様もそのうち状況を理解できましょう。幼かった殿下に頼らねばならなかった怠惰な大人たちをお許しいただきたい」
この者たちが出張るのが三年前、グルーウィス王国に旅立つその日だったのなら。憂いていたメルハは「助かった」、と感謝したのかもしれない。
国に決められた婚約者の思いやりを知ってしまったいまは。カレヴィからの愛を欲するいまは。
「いやよ。……カレヴィ」
絡めた腕を解いて、ぎゅっと胴体に巻きつけた。カレヴィの手が包むようにして肩に添えられる。
「メルハ王女殿下!」
伸びてくる手は、人の頭ほども厚みのある筋肉に阻まれメルハまで届かない。
「荒事がお好みならば私の軍の者がお相手しよう。なに、素人相手ならば刃物や武器は持ち出さぬ」
屈強な体が邪魔をしてくれるおかげで視界が悪い。何が起こっているのか、メルハは聞こえてくる物騒な音で判断するしかなかった。カレヴィが鍛え上げたソンダーブロ軍はここにきて運動不足を補っている。旅客機の座席は膨らんだ筋肉には狭かっただろう。護衛できたとはいえ軍の全員が離宮に泊まれるはずもなく、精鋭中の精鋭のみを残して窮屈な宿に押し込まれた。筋トレも満足にできなかった鬱憤を晴らす。
汚い悲鳴が響いた。
「強い護衛に守られて出て来ぬとは卑怯ではないかっ!!」
服の破れた男たちは後方で見守っていたカレヴィを挑発した。
「私との直接対決をお望みか」
「そうだ。かかってこい!」
「よかろう」
コートを脱いでメルハに預ける。首元も緩めて袖も捲り上げた。
「メルハ。どこまでやっていい?」
「どこまで、って……」
婚約者の横顔は落ち着いているようで闘争心がくすぐられている。売られた喧嘩は買う、ということだろう。
「命は取らん。頭蓋骨くらいはへこませてやってもいいか?」
頭骨など負傷したらどのみち脳の損傷に繋がる。
「だ、ダメよ!」
「なら鼻とあごまでは許容してもらう」
下ろしていた前髪をかき上げて後ろへ流す。紺に近い紫の両眼に火がつく。
訓練のときにも見せたことのない顔だ。
ーー結果。
心配するまでもなかった。五人がかりでカレヴィに飛びかかった貴族たちは情けなくも敗れた。それぞれ四肢を封じようと連携を見せたものの、順当にカレヴィの打撃を受けていた。多勢に無勢を咎めようと、離れて見守っていたメルハが走り出して、辿り着く前に五人全員地面に伏している。
ソンダーブロから付き従ってきた部下たちが意識のない男たちを仰向けに転がしながら、逆流した鼻血で窒息しないか具合を見てまわった。
「しかるべきところに突き出しますか、若頭」
「身分証だけは控えを取ってあとは捨て置け。どうせ雑魚だ」
「へいっ」
軽い体操を済ませたカレヴィは汗ひとつ流さず、メルハに預けていたコートを受け取って袖に腕を通す。
「土産はあと誰に買うのだったか」
一分前の暴行がなかったことにされていた。模擬戦闘などソンダーブロ州で見慣れているとでも考えているのか。
「そんな話をしている場合ではないでしょう」
「なんだ、怖かったか?」
「怖かったわよ! カレヴィが怪我するのではないかって、いなくなってしまうのではないかって思ったわ」
彼女が胴体に抱きついているために、コートのボタンが止められない。ゆるやかに薄い肩にまた腕を回す。
「メルハは、私に利用されたと思うか?」
戦争に勝利して嫁される年端もいかぬ王女。隣国で洗脳されたとされる。
「だったらわたくしに説教なんてしないで飼い殺しにでもしているでしょう」
十四で渡航してきてかれこれ三年が過ぎた。昨年十六歳で成人した日に結婚してお手付きになっていたっていいのに。純潔どころか唇でさえカレヴィは奪ってくれない。
グルーウィスについて学びたいと言えば教師を選ばせてくれた。行きたいと言った場所には率先して連れていく。他国の友人に会うのでも。メルハの心も身体も自由だった。
国交においても公平なものを結んでいる。メルハの父母はカレヴィが両国に起きた戦争において戦死者を最小限に留めたことを感謝しているし、兄はカレヴィの戦い方を尊敬している。




