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リュシア戦記  作者: たつと
第1章 孤児院の底で
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第5節 徴募兵制度と別れ


戦争が始まってから数ヶ月が経った頃、街には新しい噂が広がり始めていた。


――子どもまで徴募されるらしい。


最初は誰も信じなかった。

 だが、街の掲示板に貼られた新しい布告を見たとき、人々は言葉を失った。


「読み書きができる十二歳以上の孤児は、徴募兵として軍の訓練を受けること」


孤児院の子どもたちはざわめいた。


「嘘だろ……?」

 「なんで子どもまで……」

 「戦争って……そんなに人が足りないの?」


院長は布告を見つめながら、深く息を吐いた。


「……こんなこと、あってはならないのに」


その声は震えていた。


翌日、軍の役人が孤児院にやってきた。

 灰色の軍服を着た男たちは、無表情で子どもたちを見渡した。


「読み書きができる者は前へ出ろ」


子どもたちは怯えながらも、次々と前に出た。

 リュシアもその列に加わった。


役人は一人ひとりの名前と年齢を確認し、書類に記入していく。


「リュシア・アルヴェン、十二歳」

 「はい」


役人はリュシアを一瞥し、淡々と頷いた。


「徴募対象だ。準備をしておけ」


その言葉は、リュシアの胸に重く沈んだ。

 だが、恐怖はなかった。


(……戦争に行くんだ)


そう思った瞬間、胸の奥がざわついた。

 あの“熱”が、また静かに灯る。


役人が去ったあと、孤児院の中は混乱に包まれた。

 泣き叫ぶ子ども、怒る子ども、呆然とする子ども。


「嫌だよ……戦争なんて……」

 「なんで俺たちまで……」

 「死んじゃうかもしれないんだぞ!」


院長は子どもたちを必死に落ち着かせようとしていたが、その顔は青ざめていた。


リュシアは部屋の隅で静かに座っていた。

 胸の奥のざわめきが、いつもより強い。


(怖い……のかな。でも……)


怖さと同時に、胸の奥が熱くなる。

 その矛盾した感情が、リュシア自身にも理解できなかった。


夕方、院長がリュシアを呼んだ。


「リュシア……あなた、本当に行くのね」

 「はい」


院長は悲しそうに微笑んだ。


「あなたは……優しい子よ。本当は、こんな場所に行かせたくないの」

 「……大丈夫です」


リュシアは淡々と答えた。

 だが、院長はその表情の奥にある“何か”を感じ取っていた。


「怖くないの?」

 「……わかりません。でも……胸が、変な感じがするんです」


院長は目を伏せた。


「あなたは……心が傷つきすぎて、怖さを感じられなくなっているのかもしれないわ」


リュシアはその言葉の意味を理解できなかった。

 ただ、胸の奥のざわめきだけが、確かに存在していた。


夜、孤児院の子どもたちは眠れずにいた。

 泣き声があちこちから聞こえ、誰かがすすり泣き、誰かが布団を握りしめて震えていた。


リュシアは布団の中で目を開けていた。

 胸の奥のざわめきが、いつもより強い。


(私……どうなるんだろう)


不安はあった。

 でも、それ以上に胸の奥が熱くなる。


(戦争って……どんなところなんだろう)


その疑問が、リュシアの心を静かに満たしていった。


徴募の知らせが届いてから、孤児院の空気は一変した。

 子どもたちは不安で眠れず、夜中に泣き出す声があちこちから聞こえた。


リュシアは布団の中で静かに目を開けていた。

 天井の木材には古い染みがあり、風が吹くたびに軋む音がした。

 その音を聞きながら、彼女はただ目を閉じたり開いたりしていた。


翌朝、軍の役人が再び孤児院に来た。

 玄関前に子どもたちが並ばされ、名前を呼ばれる。


「リュシア・アルヴェン」


呼ばれた瞬間、周囲の子どもたちがリュシアを見た。

 羨望でも、心配でもない。

 ただ、誰かが選ばれたという事実に反応しただけの、乾いた視線だった。


リュシアは列から一歩前に出た。

 役人は淡々と書類に印をつける。


「今日の夕方、迎えが来る。それまでに荷物をまとめておけ」


荷物といっても、リュシアの持ち物はほとんどなかった。

 古い服が数枚と、院長がくれた小さな布袋だけだ。


昼過ぎ、孤児院の裏庭で、年下の子どもたちがリュシアを囲んだ。


「戦争に行くんだって?」

 「死んじゃうの?」

 「帰ってくるの?」


質問はどれも幼く、答えを求めているというより、ただ口に出しているだけのようだった。


リュシアは首を横に振ったり、軽く頷いたりした。

 何を答えても、子どもたちはすぐに別の話題に移っていった。


「いいなぁ、軍服もらえるんでしょ」

 「ご飯もいっぱい食べられるのかな」

 「戦争って、どんなところ?」


リュシアは答えなかった。

 子どもたちも、答えを期待していなかった。


夕方、院長がリュシアを呼んだ。

 小さな部屋で、院長は古い木箱を開け、布で包まれたものを取り出した。


「これを持っていきなさい」


それは、手のひらほどの大きさの古いロザリオだった。

 金属部分は黒ずみ、紐は擦り切れていた。


「あなたのお母さんが……昔、ここに寄付してくれたものよ。覚えているかしら」


リュシアは首を横に振った。

 院長は微笑んだ。


「そうよね。あなたが小さかった頃の話だもの」


ロザリオを手渡されても、リュシアの表情は変わらなかった。

 院長はその無表情を見つめ、少しだけ目を伏せた。


「……どうか、無事で」


その言葉に、リュシアは小さく頷いた。


日が沈む頃、軍のトラックが孤児院の前に停まった。

 エンジンの音が大きく響き、子どもたちが窓から顔を出して見ていた。


役人が名前を呼ぶ。


「リュシア・アルヴェン」


リュシアは布袋を抱え、トラックへ向かった。

 院長が後ろからついてきた。


「リュシア……」


呼び止められ、リュシアは振り返った。

 院長は何か言いたげに口を開き、しかし言葉を飲み込んだ。


代わりに、そっとリュシアの肩に手を置いた。


「……気をつけて」


リュシアは短く頷き、トラックの荷台に乗り込んだ。


扉が閉まり、孤児院が遠ざかっていく。

 子どもたちの姿も、院長の姿も、やがて見えなくなった。

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