第12節 夜明け前の最終突撃
空がわずかに白み始めた。
夜と朝の境目――
戦場で最も危険な時間帯。
風が止まり、森が息を潜める。
その静けさは、嵐の前のものだった。
ミーナは震える声で言った。
「……朝が来るのに……どうしてこんなに怖いの……」
カイルは唇を噛みしめ、
何度も深呼吸をして気持ちを落ち着けようとしていた。
「大丈夫だ……大丈夫……朝になれば……」
だが、その声は自分に言い聞かせているだけだった。
リュシアは壕の外を見つめていた。
薄明かりの中で、森の影が揺れている。
(……動いてる)
足音ではない。
呼吸でもない。
もっと遠く、もっと低い“うねり”のような気配。
(……たくさんいる)
胸の奥が静かに冷えていく。
そのとき、森の奥から怒号が響いた。
「突撃だぁぁぁぁッ!!」
敵兵の叫びだ。
夜明け前の最後の突撃。
ハルツが叫ぶ。
「全員構えろ! ここが踏ん張りどころだ!」
兵士たちが銃を構え、
ミーナが泣きながら耳を塞ぎ、
カイルが震える手で銃を握る。
リュシアはスコップを握り直し、
薄明かりの中に揺れる影を見つめた。
(……来る)
森の影が一斉に動いた。
足音が地面を震わせ、
叫び声が空気を裂く。
ミーナが叫ぶ。
「いやっ……!」
カイルは歯を食いしばり、
ミーナを庇うように前に出た。
「来るなら……来いよ……!」
だが、リュシアだけは違った。
影の動き、足音の重さ、
呼吸のリズム――
すべてが“見える”ように感じていた。
(……右側が薄い)
リュシアは反射的に叫んだ。
「右に来る!」
兵士たちが驚いたように振り返る。
「右だと……? まだ見えないぞ!」
ハルツだけが迷わず動いた。
「右を固めろ!」
次の瞬間、
薄明かりの中から影が飛び出した。
兵士たちが応戦し、
土が跳ね、空気が震える。
ミーナは泣きながらリュシアにしがみつく。
「リュシア……もう無理……!」
カイルは震える声で言う。
「俺だって……怖ぇよ……!」
リュシアは二人の手を握り、
静かに言った。
「大丈夫。まだ崩れてない」
その声は、妙に落ち着いていた。
だが、敵の勢いは止まらなかった。
森の奥から次々と影が現れ、
塹壕に迫ってくる。
兵士の一人が叫ぶ。
「数が多すぎる! 持たねぇ!」
別の兵士が叫ぶ。
「撤退だ! ここはもう無理だ!」
塹壕の中がざわつく。
ミーナが震える声で言う。
「撤退……? どこに……?」
カイルは顔を青くした。
「後ろも危ねぇだろ……!」
ハルツは一瞬だけ目を閉じた。
その表情は、戦場でしか見せない“決断”の表情だった。
「……撤退はしない」
ミーナが息を呑む。
「え……?」
カイルが叫ぶ。
「無理だろ! 数が違うんだぞ!」
ハルツは静かに言った。
「後ろに下がれば、子どもたちが真っ先に狙われる。
ここで踏ん張る方がまだ生き残れる」
その言葉は、残酷なほど現実的だった。
リュシアは空を見上げた。
夜明けの光が、森の影を薄くしていく。
(……もうすぐ朝)
だが、敵の足音は止まらない。
(……来る)
胸の奥が静かに熱くなる。
リュシアはスコップを握り直し、
前に一歩踏み出した。
ミーナが叫ぶ。
「リュシア、だめ……!」
カイルが手を伸ばす。
「戻れよ……!」
だが、リュシアは振り返らなかった。
(……ここで終わらせる)
その感覚は、恐怖ではなかった。
もっと別の、言葉にできないもの。
ハルツがリュシアを見た。
その目は、戦場でしか見せない“覚悟”の目だった。
「……行くぞ。ここが正念場だ」
そして、
夜明け前の最終突撃が始まった。
敵の影が塹壕に雪崩れ込んだ瞬間、
世界は音と震動だけになった。
怒号、土の崩れる音、
何かがぶつかり合う衝撃。
視界は薄明かりに揺れ、
敵味方の区別すら曖昧になる。
ミーナは泣き叫び、
カイルは必死に彼女を抱き寄せる。
「ミーナ、伏せろ……! 伏せてろ……!」
その声も震えていた。
リュシアは前に立っていた。
影の動き、足音の重さ、
呼吸のリズム――
すべてが“見える”ように感じていた。
(……右から一人。左から二人。正面は……多い)
胸の奥が静かに冷えていく。
ミーナが震える声で言う。
「リュシア……戻って……!」
リュシアは振り返らなかった。
(……ここで止める)
その感覚は、恐怖ではなかった。
もっと別の、言葉にできないもの。
敵の影が塹壕に飛び込む。
兵士たちの怒号が重なり、
空気が震える。
ハルツが叫ぶ。
「右を固めろ! 崩れるぞ!」
兵士たちが動くが、
敵の勢いは止まらない。
カイルが叫ぶ。
「無理だ……! 数が違う……!」
ミーナは泣きながら耳を塞ぐ。
「いやだ……いやだよ……!」
そのとき、
リュシアは“違和感”を感じた。
(……一人、速い)
足音が他と違う。
呼吸が浅く、速い。
動きが軽い。
(……こっちに来る)
リュシアは反射的に身を翻し、
ミーナとカイルを押し倒した。
その頭上を、何かが風を切って通り過ぎる。
ミーナが震える声で言う。
「リュシア……なんで……」
カイルは息を呑んだ。
「お前……見えてるのか……?」
リュシアは答えなかった。
敵の影がさらに迫る。
兵士たちの動きが乱れ、
塹壕の中が混乱に飲み込まれる。
ハルツが叫ぶ。
「持ちこたえろ! 夜明けまであと少しだ!」
だが、その声にも焦りが滲んでいた。
ミーナは泣きながら言う。
「もう無理……もう無理だよ……!」
カイルは歯を食いしばり、
ミーナを庇いながら叫ぶ。
「ミーナ、立て……! 生きるんだよ……!」
その声は、限界を超えた叫びだった。
リュシアは前に出た。
スコップを握りしめ、
影の動きを見つめる。
(……右から二人。左から一人。正面は……)
胸の奥が静かに熱くなる。
(……全部、来る)
その瞬間、
リュシアは走り出した。
ミーナが叫ぶ。
「リュシア!!」
カイルが手を伸ばす。
「戻れよ……!」
だが、リュシアは止まらなかった。
ハルツがリュシアを見た。
その目は、戦場でしか見せない“覚悟”の目だった。
「……あの子は、戦場を“見て”いる」
兵士が叫ぶ。
「どうするんですか、隊長……!」
ハルツは短く息を吐き、
決断を下した。
「――全員、リュシアに合わせろ。
あの子の動きが、この塹壕を守る」
その声は、夜明けの光よりも強かった。
敵の波が押し寄せる。
だが、リュシアは迷わなかった。
影が動く前に動き、
足音が近づく前に察し、
呼吸が変わる前に反応する。
兵士たちは驚いた。
その動きは、まるで“戦場に慣れた兵士”のようだった。
ミーナは震えながら呟いた。
「リュシア……あなた……」
カイルは息を呑んだ。
「……人間なのか……?」
リュシアは答えなかった。
ただ、前を見ていた。
そして――
夜明けの光が、塹壕を照らした。
敵の足音が止まる。
森の影が薄れ、
空気が変わる。
ハルツが低く言った。
「……止まった。夜明けだ。敵は引く」
ミーナが泣き崩れ、
カイルはその場に座り込んだ。
リュシアは静かに空を見上げた。
(……終わった)
胸の奥が、ようやく温かくなると同時に倒れこんだ。




