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リュシア戦記  作者: たつと
第1章 孤児院の底で
14/18

初めての銃声 後半

銃声が一瞬だけ弱まった。

 だが、それは静けさではなかった。

 嵐の前の、息を潜めたような空気だった。


兵士の一人が塹壕の縁から顔を出し、叫ぶ。


「敵、散開してる! 正面だけじゃねぇ、左右にも回ってるぞ!」


その声に、周囲の兵士たちがざわついた。

 前だけを見ていればよかった状況が、急に崩れたのだ。


ミーナが震える声で言う。


「どういうこと……? どこから来るの……?」


カイルは唾を飲み込み、周囲を見回した。


「わかんねぇ……でも、囲まれてるのかもしれねぇ……」


リュシアは空気の変化を感じていた。

 銃声の方向が散り、足音が増え、風がざわつく。


(……近い)


胸の奥が静かに熱くなる。


そのとき、塹壕の反対側から突然、兵士が転がり込んできた。

 肩から血を流し、息が荒い。


「後ろ……後ろから来てる……!」


ミーナが悲鳴を上げた。


「後ろって……ここ、前線の裏じゃ……!」


兵士は苦しげに言った。


「森の中を……抜けられたんだ……! もうすぐ来る……!」


その言葉が終わるより早く、

 塹壕の後方で枝が折れる音がした。


カイルが叫ぶ。


「来た……!」


ハルツが即座に動いた。

 銃を構え、子どもたちの前に立つ。


「全員、伏せろ! 前と後ろ、両方に敵がいる!」


兵士たちが慌てて体勢を変える。

 塹壕の狭さが、今は致命的だった。


ミーナは泣きそうな声で言った。


「どうすれば……どうすればいいの……!」


ハルツは短く言い放つ。


「生き残れ。それだけだ」


その言葉は冷たかったが、嘘はひとつもなかった。


次の瞬間、後方の茂みから敵兵が飛び出した。

 距離は近い。

 銃を構える余裕もない。


兵士の一人が叫ぶ。


「近接だ! 構えろ!」


だが、子どもたちに近接戦闘などできるはずがない。


カイルが震える声で言った。


「リュシア……逃げるぞ……!」


だがリュシアは動かなかった。

 敵兵の足音、呼吸、土を蹴る音。

 すべてが鮮明に聞こえた。


(……来る)


胸の奥が静かに冷えていく。


敵兵が塹壕に飛び込んだ。

 兵士たちが押し返そうとするが、混乱している。


ミーナが叫ぶ。


「いやっ……!」


カイルがミーナを庇い、倒れ込む。


リュシアは、倒れた兵士の足元に転がっていた“別のもの”に気づいた。


銃ではない。

 短いスコップだ。

 塹壕を掘るための、ただの工具。


だが、今はそれしかなかった。


リュシアは迷いなくそれを掴んだ。


敵兵がミーナに手を伸ばす。

 その瞬間、リュシアはスコップを振り上げた。


重い音が響き、敵兵がよろめく。

 兵士がその隙に押し倒し、止めを刺した。


ミーナは震えながらリュシアを見た。


「リュシア……」


カイルも息を呑んだ。


リュシアは、ただ、手の中の血の付いたスコップと死体を見つめていた。


(……私は、何をしてるんだろう)


胸の奥が、静かに軋んだ。


ハルツが振り返り、短く言った。


「よくやった。だが、まだ終わりじゃない」


その声は冷たかったが、どこか現実的な重さがあった。


塹壕の外で、再び銃声が響く。

 敵はまだいる。

 戦場は、まだ終わらない。


リュシアはスコップを握り直し、前を見た。


(……生きるために、戦う)


その感覚が、ゆっくりと形を持ち始めていた。




塹壕の外で、風の流れが変わった。

 それは、ただの風ではなかった。

 空気が重く、湿り、どこか鉄の匂いが混じっている。


リュシアはその変化を感じ取った。

 胸の奥がざわつく。

 (……来る)


次の瞬間、森の奥から一斉に銃火が噴き上がった。


「伏せろ!」


兵士たちが叫び、塹壕全体が揺れる。

 土嚢が砕け、木片が飛び散り、空気が裂ける。


ミーナは悲鳴を上げ、カイルが彼女を抱き寄せた。


「くそっ……どんだけいるんだよ……!」


兵士の一人が叫ぶ。


「敵の増援だ! 数が違う、押し返せねぇ!」


その声は、絶望に近かった。


ハルツが塹壕の縁に立ち、銃を構えた。

 その姿は、戦場の混乱の中で異様なほど静かだった。


「全員、撃てるだけ撃て。ここが崩れたら後ろはない」


その言葉に、兵士たちが歯を食いしばりながら応戦する。


銃声が連続し、火花が散り、敵兵の影が揺れる。

 だが、押し返せない。

 敵は波のように押し寄せてくる。


ミーナが震える声で言った。


「もう……もう無理……!」


カイルは必死に叫ぶ。


「ミーナ、立て! ここにいたら死ぬ!」


ミーナは涙をこぼしながらも、震える足で立ち上がった。


リュシアは二人の背中を押しながら、前を見た。

 敵兵の影が、塹壕の縁に迫っている。


(……近い)


胸の奥が静かに熱くなる。


そのとき、塹壕の反対側から別の兵士が叫んだ。


「後ろも突破された! 挟まれるぞ!」


ミーナが絶望した声を漏らす。


「そんな……!」


カイルは歯を食いしばった。


「どうすりゃいいんだよ……!」


リュシアは静かに言った。


「……動くしかない」


その声は、妙に落ち着いていた。


敵兵が塹壕に飛び込んできた。

 兵士たちが応戦するが、混乱している。


ハルツが叫ぶ。


「子どもたち、こっちだ! 走れ!」


その声に、リュシアたちは反射的に動いた。

 塹壕の狭い通路を走り抜け、別の遮蔽物へ飛び込む。


背後で爆発が起き、熱風が背中を押した。

 ミーナが倒れ込み、カイルが彼女を引き起こす。


リュシアは振り返らなかった。

 振り返れば、動けなくなる気がした。


遮蔽物の裏に飛び込んだ瞬間、

 リュシアは“音”に気づいた。


銃声でも、爆発でもない。

 もっと低く、重く、地面を震わせるような音。


(……何かが来る)


次の瞬間、森の奥から巨大な影が現れた。


敵の装甲車だ。


兵士が絶叫する。


「装甲車だ! 下がれ、下がれぇ!」


ミーナが泣き叫ぶ。


「そんなの……無理だよ……!」


カイルは顔を青くした。


「終わりだ……!」


だが、リュシアはその影を見つめていた。

 胸の奥が、静かに冷えていく。


(……まだ終わってない)


その感覚は、恐怖ではなかった。

 もっと別の、言葉にできないもの。


ハルツが叫ぶ。


「全員、散開しろ! 夜になる、闇に紛れろ!」


空を見上げると、太陽が沈みかけていた。

 戦場が、夜に飲まれようとしている。


そして、夜の塹壕は――

 昼よりも、もっと恐ろしい。

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