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リュシア戦記  作者: たつと
第1章 孤児院の底で
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第9節 前線への行軍


森を抜けた瞬間、空気が変わった。

 焦げた匂いが風に混じり、遠くで爆音が響く。

 地面には新しい轍が刻まれ、ところどころ土がえぐれていた。


ミーナが足を止め、震える声で言った。


「……ここ、本当に……戦争してる場所なんだ」


カイルは無言で前を睨んだ。

 その顔には強がりと不安が入り混じっていた。


ハルツは隊列の先頭で立ち止まり、振り返った。

 その目は鋭く、声は低く、迷いがなかった。


「ここから先は“前線区域”だ。声を出すな。列を乱すな。命令は絶対だ」


その言葉だけで、子どもたちの背筋が自然と伸びた。


行軍はさらに続いた。

 木々の間から、壊れた馬車や焦げた荷物が見える。

 兵士のものと思われるヘルメットが転がっていた。


ミーナが息を呑む。


「……誰か、ここで……」


ハルツが短く言った。


「見るな。歩け」


その声には、感情がなかった。

ただ、戦場を知る者の“判断”だけがあった。


リュシアはヘルメットを一瞬見たが、すぐに前を向いた。

 胸の奥が静かに動いたが、足は止まらなかった。


前線手前の陣地に到着すると、兵士たちがリュシアたちを見てざわついた。


「ガキじゃねぇか……」

 「徴募兵かよ、終わってんな」

 「前線に子どもを送るなんて、国も落ちたな」


ハルツは周囲を鋭く睨みつけた。


「文句があるなら上に言え。こいつらは“兵士”だ。扱いは同じにしろ」


その声には、冷酷さと軍人としての規律があった。

 兵士たちは舌打ちしながらも黙り、視線を逸らした。


ミーナは小さく息を吐いた。


「……なんか、怒鳴られたみたいだったね」


カイルは肩をすくめた。


「さぁな。ただ……あの人、何考えてるかわかんねぇ」


ミーナは頷いた。


「うん……優しいとかじゃなくて……ただ怖いだけ、って感じ」


リュシアは二人の会話を聞きながら、ハルツの背中を見ていた。

 そこに優しさはなかった。

 ただ、戦場の規律を守るための冷たさだけがあった。


陣地の奥へ進むと、ハルツが立ち止まった。


「ここが今日の寝床だ。荷物を置け」


そこは土嚢で囲まれた小さな壕だった。

 地面は湿っていて、冷たい空気が漂っている。


ミーナが不安そうに言った。


「……ここで寝るの?」


ハルツは淡々と答えた。


「文句を言うな。前線じゃ屋根があるだけで贅沢だ」


カイルは舌打ちしたが、何も言い返さなかった。


リュシアは壕の中を見回した。

 湿った土の匂い、遠くの爆音、兵士たちの怒鳴り声。

 すべてが、孤児院とは違う世界だった。


(……ここで、戦うんだ)


その実感が、ようやく胸の奥に沈んでいった。


壕の前で荷物を置くと、子どもたちはしばらくその場に立ち尽くした。

 風が吹くたび、どこか遠くで爆発音が響き、地面がわずかに震える。


周囲には兵士たちが散らばり、黙々と作業を続けていた。

 銃の整備、弾薬の仕分け、壊れた装備の修理。

 どれも淡々としていて、特別なことではないように見えた。


ミーナはその光景を見て、小さく息を吐いた。


「……静かだね。もっと騒がしいのかと思ってた」


カイルは周囲を見回しながら言った。


「静かな方が怖ぇよ。何が起きるかわかんねぇから」


その言葉は、妙に現実味があった。


リュシアは銃の整備をしている兵士たちを見つめた。

 金属を擦る音が規則正しく響く。

 孤児院でも、武器そのものは珍しくなかった。

 ただ、ここで扱われている銃は、

 “人を殺すために使われている最中のもの” だという点が違っていた。


(……匂いが違う)


油と金属の匂いに、焦げた空気が混ざっている。

 それが、戦場の匂いだった。


陣地の端では、担架が運ばれてきた。

 兵士たちが慌ただしく動き、血のついた布が風に揺れる。


ミーナは顔をそむけたが、悲鳴は上げなかった。

 孤児院で死を見たことがあるからだ。

 ただ、ここでの死はもっと“近い”。


カイルは低く呟いた。


「……ここじゃ、死んでも騒がれねぇんだな」


兵士たちは誰も泣かない。

 怒鳴り声も、嘆きもない。

 ただ、淡々と負傷者を運び、治療し、また次の作業に移る。


その静けさが、かえって恐ろしかった。


リュシアはその光景を見つめながら、胸の奥に重いものが沈んでいくのを感じた。


(……ここでは、死ぬことも、生きることも、特別じゃない)


孤児院で聞いた“戦争”という言葉は、

 ここではただの現実でしかなかった。


風が吹き、遠くでまた爆音が響いた。

 その音は、まるでこの場所の呼吸のように規則的だった。


そのとき、近くの兵士が怒鳴った。


「伏せろ!」


次の瞬間、乾いた銃声が空気を裂いた。

 陣地の兵士たちが一斉に地面に身を伏せる。


ミーナは反射的にしゃがみ込み、カイルは歯を食いしばった。


リュシアは、ただその音を聞いていた。

 胸の奥が、静かに震えた。


(……これが、戦争の音)


孤児院では聞いたことのない音だった。

 でも、どこかで知っていた気もした。


銃声が響いたあと、陣地の空気が一瞬だけ張り詰めた。

 しかし兵士たちはすぐに元の作業へ戻る。

 驚きも、怒号もない。

 まるで、雨が降ったのと同じ程度の出来事のように扱われていた。


ミーナはしゃがんだ姿勢のまま、周囲を見回した。


「……誰も、驚いてない」


カイルは低く答えた。


「ここじゃ、これが普通なんだろ」


その声には、恐怖よりも“理解しようとする必死さ”があった。


リュシアは立ち上がり、遠くの空を見た。

 灰色の雲の向こうで、また小さな閃光が瞬く。

 その光は、孤児院の夜に見た雷とは違う。


(……あれは、人が撃ってる光)


胸の奥が静かにざわついた。

 怖いのかどうか、自分でも判断がつかない。


そのとき、背後から重い足音が近づいてきた。

 振り返ると、ハルツが歩いてきた。


彼は子どもたちを見下ろし、短く言った。


「伏せるのが遅い。次は死ぬぞ」


その声は怒鳴り声ではなく、ただの事実を述べているだけだった。

 ミーナは小さく肩を震わせたが、泣きはしなかった。


カイルが言い返すように口を開きかけたが、ハルツの目を見て閉じた。


リュシアはハルツの言葉を聞きながら、

 (……死ぬ)

 という言葉が、妙に現実味を帯びて胸に沈んでいくのを感じた。


ハルツは子どもたちの反応を確認すると、視線を前線の方向へ向けた。


「敵が近い。ここは安全じゃない。すぐに配置につくぞ」


その言葉に、ミーナが息を呑んだ。


「……もう?」


ハルツは振り返らずに答えた。


「戦争に“準備ができるまで待つ”なんて時間はない」


それだけ言うと、彼は兵士たちの集まる方向へ歩いていった。

 その背中は、戦場の空気と同じ重さをまとっていた。


リュシアたちは壕の前に立ち、遠くの空を見つめた。

 爆音は続き、煙は流れ、兵士たちの足音が絶えない。


ミーナが震える声で言った。


「……ねぇ、リュシア。怖い?」


リュシアは少し考えてから答えた。


「……わからない。でも……ここは、怖い場所だと思う」


ミーナは小さく頷いた。


「うん……私も」


カイルは拳を握りしめた。


「でも……逃げられねぇんだよな」


その言葉は、子どもが言うには重すぎた。


そのとき、また銃声が響いた。

 今度はさっきよりも近い。

 兵士たちが一斉に動き出し、怒号が飛ぶ。


「持ち場につけ!」

 「急げ、敵が動いてる!」


戦争が、確実に近づいていた。


リュシアはその音を聞きながら、胸の奥が静かに震えるのを感じた。


(……これが、戦争)


孤児院で聞いた言葉は、

 今、目の前の現実として形を持ち始めていた。

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