第8節 中継地の夜
中継地の夜は、孤児院とは違う種類の静けさに包まれていた。
遠くで砲撃のような音が響き、地面がかすかに震える。
それでも、兵士たちは慣れた様子で焚き火の周りに座り、黙々と食事をとっていた。
リュシアたち徴募兵は、基地の端にある小さなテントに集められた。
薄い布の向こうから、兵士たちの笑い声や怒鳴り声が聞こえる。
ミーナは膝を抱え、落ち着かない様子で周囲を見回した。
「……怖いね、ここ」
リュシアは答えなかった。
テントの入口が開き、ハルツが入ってきたからだ。
焚き火の光に照らされたハルツの顔は、深い皺と古い傷跡で刻まれていた。
片方の目の下には、斜めに走る古い切り傷。
その目は、暗闇でも光を失わない獣のようだった。
ミーナが息を呑む。
カイルでさえ、わずかに背筋を伸ばした。
ハルツは子どもたちを見渡し、低い声で言った。
「ここから先は、遊びじゃない。前線は……人が死ぬ場所だ」
その言葉は淡々としていたが、妙に重かった。
彼が“何人も殺してきた”という噂が本当だと、誰もが直感した。
ハルツは腰を下ろし、古い水筒を開けて一口飲んだ。
その仕草は慣れていて、無駄がない。
「お前ら、戦争を知らんだろう。知らなくて当然だ。だが……」
ハルツは火の方を見た。
炎が揺れ、彼の顔に影を落とす。
「戦場じゃ、泣いても叫んでも誰も助けちゃくれん。助けられる余裕がない」
ミーナが小さく震えた。
カイルは唇を噛んだ。
リュシアは、ハルツの横顔をじっと見ていた。
その目には、恐怖も怒りもない。
ただ、深い疲れと、諦めに似た静けさがあった。
(この人……)
リュシアは言葉にできない感覚を覚えた。
孤児院の大人たちとは違う。
優しさも、冷たさも、どちらも持っていないようで、どちらも持っているような。
ハルツはふとリュシアの視線に気づき、目を細めた。
「……なんだ」
「……別に」
ハルツは鼻で笑った。
「変なガキだな。普通は俺を見ると目を逸らす」
ミーナが慌てて言った。
「だ、だって……ハルツさん、怖いですもん……!」
ハルツはミーナを見た。
その目は鋭く、冷たかった。
だが次の瞬間、ほんのわずかに目元が緩んだ。
「怖いくらいでちょうどいい。俺は優しい人間じゃない」
その言葉は冗談ではなかった。
むしろ、事実を淡々と述べただけのようだった。
ハルツは火のそばに置いてあった古い軍靴を指で叩いた。
「俺は戦場で何人も殺した。必要だったからだ。後悔はしてない」
ミーナが息を呑む。
カイルは目を伏せた。
リュシアは、ただ静かに聞いていた。
ハルツは続けた。
「だがな……」
火の光が、彼の目に映った。
「……人間ってのは、どれだけ冷たくなっても、どこかで“誰か”を思い出すもんだ」
その言葉は、彼自身に向けたもののようだった。
ミーナが小さく呟いた。
「……誰かって、誰?」
ハルツは答えなかった。
ただ、火を見つめ続けた。
リュシアはその横顔を見て、胸の奥に小さなざわめきを感じた。
それが何なのかは、まだわからなかった。
やがてハルツは立ち上がった。
「寝ろ。明日は早い」
そう言ってテントを出ていく。
背中は大きく、重かった。
ミーナは震える声で言った。
「……あの人、本当に怖いね」
カイルは短く言った。
「でも……ああいう人がいないと、戦場じゃ生き残れないんだろうな」
リュシアは答えなかった。
ただ、ハルツの残した言葉が頭の中に残っていた。
――どれだけ冷たくなっても、どこかで“誰か”を思い出す。
その“誰か”が誰なのか、リュシアにはわからなかった。
けれど、ハルツの声には嘘がなかった。
その夜、リュシアはなかなか眠れなかった。




