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アリスの結婚

作者: 桂木

 卒業式の前日、婚約破棄された。

 幼い頃に親に決めらた婚約だったけれど、私は彼のことが好きだったし、彼も私のことを「大好き」と言ってくれて、何度も結婚ごっこをした。けれど、いつしかだんだん私に冷たくなり始めた。

 破棄の理由は、好きな人ができたから。私が面白みのない女だからと言われた。

「何を言っても、笑ってるだけじゃないか。人形を相手にしてるのと一緒だよ。辛気臭い。それにいつも妹を虐めていたし。

今迄婚約破棄を待ったのは、君に対する思いやりだよ。婚約破棄されたなんて学校のみんなに噂されたら辛いだろ。」

 でもね、学校では噂されていたのよ。

 そう言う彼がいつもエスコートしており婚約者に選んだのは、喜怒哀楽がハッキリしている私の義妹。ハッキリしていると言えば聞こえはいいけど、感情が抑制できないと言った方がいいくらい。そして義妹だけれど、うっすらと血は繋がっている。父が亡くなった後、母は今の継父と再婚した。その母が亡くなって継父は愛人だった今の継母と結婚した。継父は母の従兄だったから、その娘も血が繋がっていると言えば繋がっている。

 婚約破棄された私は卒業式が終わるとそのまま、結婚までの行儀見習いという名目でわずかな持参金を持たされて郊外の修道院に行かされた。

 修道院長は婚約破棄され、家から体よく追い出された私にひどく同情してくれたけれど、私はそんなに悲しくなかった。家では私はいつも除け者だったし、継父母や義妹、特に義妹に嫌がらせを受けていたから。

 

 ある日、突然、家の使用人が継父からの手紙を持って修道院に来た。その手紙には私の結婚が決まったのですぐ帰るように、と書いてあった。この手紙を持ってきた使用人が私の迎えらしい。

 急すぎる。普通は何日か前に知らせると思う。それに、今迄修道院にお世話になったのだから、後見人である継父が来れないにしてもせめてお礼の手紙を持たせるとかあると思うのだけれど。

 継父の非礼を詫びる私に修道院長は、

「いいのですよ。

貴女が言わないので黙っていたのですが、お相手の方から貴女と婚約すること、今迄貴女がお世話になっていたことのお礼の手紙と寄付が届いていたのです。

義理固い貴女が何故言わないのか不思議に思っていましたが、知らされていなかったのですね。

お手紙の文面や書かれている字からはとても礼儀正しい誠実な方のように思いましたよ。きっと貴女を大切にしてくれるでしょう。幸せにおなりなさい。」

そう言って送り出してくれた。

 家に帰ると継父母はニコニコしていた。

「お前の結婚が決まって、私も肩の荷が降りたよ。婚約破棄された娘だけれど、立派な人と結婚させなければお前の死んだ母親に申し訳ないからね。

明日、男爵が博覧会に誘ってくださっているから、是非行ってきなさい。」

 帰るなり継父はそう言って、私に部屋へ下がるように言った。名前すら教えてくれなかった。

 私は自分の部屋に行った。私の部屋のほとんどのものは無くなっていた。多分、妹と継母が漁っていったのだと思う。「修道院に行くのだから、身の回りのものだけにしなさい」と言ったのは、私の物を盗るためだったのね。母が婚約の時に父から贈られたという髪飾りは持っていって正解だったわね。

 乱暴にドアが開けられた。義妹だ。

「ホーン男爵、平民の女と同棲していて、相手は妊娠しているらしいわ。持参金も形ばかりで良いって、よほど結婚を焦っているのね。お飾りの妻なんて、人形のアンタにピッタリ。」

 私の結婚相手はホーン男爵というらしい。けれど、ホーン男爵は結婚していたはず。愛人が妊娠したから愛想を尽かされて、離婚されたのかしら?

「ホーン男爵に感謝しなくてはね。支度金もタップリくれたし。何よりアンタと結婚してくれるんだもの。この家のことは心配しなくていいわよ。私が彼と結婚して継ぐから。やっとこの家が私達のものになるんだわ。

アンタが結婚して出て行くのが待ち遠しいわ。」

 そう言うと、ケラケラ笑いながら部屋を出ていった。

 母は家つき娘だった。親戚の父を婿養子に迎えて家を継いだ。父と母の子供は私一人だったから、本来なら私が婿養子をとって家を継ぐはずだ。けれど母は継父と再婚して、継父がベルフォード伯爵を名乗り、母の亡き後すぐに継母と結婚した。私は嫁に出され、義妹が婿養子を貰うという。この家は完全に継父母に乗っ取られてしまった。その晩は泣きながら寝た。

 泣きながら寝たので、翌朝は顔が浮腫んで目が腫れていた。使用人に水を持ってきてもらい冷やしたので、男爵が迎えに来る昼にはなんとか見られる顔になっていた。

 昼過ぎに男爵はやってきた。社交界に出ていない私は初めてお会いする。

「男爵、ようこそ。娘は男爵と結婚できるので嬉しさのあまり、泣きながら寝たようです。」

「そうですか。」

 その男性は私の方をチラッと見ただけだった。それから「お嬢様をお借りします」と言った。

「ええ、どうぞ、どうぞ。」

 継父は私の紹介もせずに私を送り出した。

 ホーン男爵の馬車に乗り込む。向かいの席に座っている男性が私の未来の夫、ホーン男爵。

 ホーン男爵はずっと窓の外を見ている。この人は愛人がいて妊娠しているという。その人のことを愛しているけれど、世間体のために私と結婚するのね。私との結婚は不本意だから、窓の外を見て私の方を見ようとはしないんだわ。

 私もこの結婚は本意ではないけれど、当主の継父が決めてしまったから仕方ないわ。お互い様ね。お互いに相手には干渉しないで生活しましょう。

 けれど、形だけとはいえ結婚して夫婦になるのだから、少しはお互いのことを知っていた方が良いのではないかしら。どうしても夫婦で出席しなければならない夜会とかもあるでしょうし。さすがにそういう場に愛人と行くわけにはいかないもの。大スキャンダルになって、家名に傷がつくから。

 馬車がある建物の前で止まる。展覧会の会場に着いたのね。

「どうぞ、アリス嬢。」

 馬車から降りるのに手を貸してくれる。

「ありがとうございます、ローランド様。」

 私がそうお礼を言うと、男爵は怪訝な顔をした。

 お名前を間違えたかしら?たしか、ホーン男爵のお名前はローランド様だったはず。デビュタントはしたものの、学生だったのでほとんど社交界に出ていなかったし、卒業後は修道院にいたので自信がない。それとも、体裁のために結婚する好きでもない女に名前を呼んで欲しくない?

「ローランドは兄の名前です。私の名前はハロルドです。」

「え、お兄様のお名前?」

 私は困惑した。

 どういうことかしら?お兄様ということは、ローランド様は廃嫡されたということ?もともと弟の方が継ぐ予定だった?

 私は困惑が顔に出ていたみたいで、苦笑された。

「博覧会の会場に行く前に、あそこのカフェで少しお話ししましょうか。」

 そう言って、男爵は歩き出した。

 付き添いもなく男性と二人きりで、、、

「大丈夫ですよ。私達は婚約もしてますし、ここは屋外で人目もありますから、変に思われることはありません。男女の二人連れもいっぱいいるでしょう?この場で立って話している方が目立ちます。」

 そう言われて、カフェの椅子に座った。

 私を椅子に座らせてから、男爵も座った。

「何をお飲みになります?今日は暑いですから、炭酸入りのレモネードなどどうですか?」

「では、それを。」

男爵が注文すると給仕はすぐにレモネードを二つ持ってきた。

 懐かしい味。まだお父様が生きていらした頃、動物園に連れて来てもらった時に飲んだことがある。私はこの男性と結婚させられて、継父母と義妹に家を乗っ取られる。家を護れなくてごめんなさい。涙が滲んでくる。

「アリス嬢。」

 男爵が声をかけてきた。

「この結婚は貴女にとって不本意だということは承知しています。

私は五男で家を出ていましたが、四人の兄は亡くなったり養子に出たりしていて私に後目が回ってきたのです。

しかし、私と年の釣り合うような女性は既に結婚しているか婚約者がいる。それに私にはお聞きおよびかとは思いますが、敬遠される色々な事情がありましてね。そんななかで両親が探してきた結婚相手が貴女です。」

 色々な事情とは平民女性と一緒に暮らして相手の女性が妊娠しているということでしょう。他にも何かあるのかしら?

「私の両親は貴女のことを『学校卒業後は結婚迄修道院で暮らして社交界に出ないなんて、今時なんて貞淑な娘だ』と言っていますが、妹に婚約者を取られ、卒業と同時に継父に修道院に入れられたのでしょう?」

 たしかにその通りだけど、随分と人の傷つくことを言う人ね。

「不本意な結婚でしょうが、両家の当主が決めたことです。貴族社会で生きるには従うしかありません。

そこで、考え方を変えませんか?結婚とは契約です。私は両親を安心させ、貴族社会で信用を得るためにもそれなりの家のご令嬢と結婚したい。貴女もあの人たちからは離れたいでしょう?修道院にいてもいつ政略結婚のコマにされるかわからない。私など足元にも及ばない素晴らしい男と結婚できるかもしれないけれど、ろくでもない男かもしれない。

ならば、私で手を打ちませんか?我が家は貴女と同じ伯爵家ですし、幸い領の経営も上手くいっていて借金もありません。それに私は王宮で職を得ています。贅沢な生活はさせられないかもしれませんが、妻として貴女を尊重し愛することはお約束します。

どうでしょう、悪くない提案だと思いますが。」

 そう言って、手を差し出した。

 この手を取ってしまえば、家は継父母や妹に完全に乗っ取られてしまう。けれど、この手を取らなくても乗っ取られてしまうでしょう。そして、ひどい男性と結婚させられるかもしれない。亡くなった両親も家よりも私が幸せになる方を喜んでくれるはず。多分、この人は私のことを大事にしてくれる。

「よろしくお願いします。」

 そう言って私は男爵の手を取った。男爵は「これで契約成立ですね」と笑った。

 それから男爵は

「博覧会に行きましょう。夜遅くまでやっているとはいえ、良家の子女を暗くなるまで連れ回すわけにはいきませんからね。」

そう言ってまた笑った。


 男爵に送られて家に帰ると、継父母と妹が妹の結婚式の相談をしていた。

「かわいいステラの結婚式だ。貧相な結婚式で恥をかかせるわけにはいかない。豪華にやろう。」

 継父がそう言った。

 家は継父母と義妹の贅沢で借金まみれのはず。お金は大丈夫なのかしら?

「さっさとアリスを結婚させればいいい。伯爵家の財産のほとんどがアリスが結婚するまで引き出せなくなっている。アリスを結婚させれば金は入ってくる。アリスは結婚するから、結婚支度の信託預金をおろそう。それで借金を返したらいい。

それに男爵からかなりの支度金を貰っている。ウチがもらった金だから、ステラの為に使おう。」

 それは私の結婚に対しての支度金のはず。義妹の結婚に使っていいお金じゃない。

「何を言っているんだ。かわいい妹に恥をかかせたいのか?譲ってやるのが当然だろう。全部独り占めしようなんて、なんてひどい娘だ。」

 継父は怒鳴りながら、私を殴った。

 私が居間から逃げ出すと、使用人が来客を連れてくるのに出会った。私の婚約者の男爵。男爵は私の頬を見て、何があったのか聞いてきた。

「いえ、なんでもないですよ。あまりにもわがままな事を言うので、つい手が出てしまいました。

男爵と結婚するまでにはキチンと躾し直しますから、心配は御無用です。」

「躾、ですか。けれど婚家である我が家の家風に合うようになってもらわなければならないので、連れて帰っても?」

「ええ、是非。

アリス、ぐずぐずしないでさっさと支度してきなさい。男爵をお待たせするなんて、とんでもないことだぞ。」

 私は部屋に行った。

 継母と妹が私の物を漁って、ほとんど持って行ってしまったので、私の部屋には物がない。今日、外出した隙に、残っていたわずかな物も無くなっていた。あるのはくたびれた寝衣と下着くらい。あと、文具が少し。トランクひとつに全てが収まってしまった。

 人の気配がして、ドアの方を見ると男爵が立っている。

「それが持っていく全部ですか?

使用人は誰も来ないのですね。だからと言って、女性に荷物を持たせるわけにはいきません。私が持って行きましょう。部屋に入っても?」

何もない部屋だし、婚約者だし、荷物を取りに入るだけとはいえ、男性を自室に入れるのは、、、

「ありがとうございます。自分で持てます。」

 私はそう言った。

 ほとんど中身が入っていないとはいえ、トランクは意外と重い。それでもなんとかドアのところまで運ぶ。

「ここからは私が持ちましょう。」

 男爵がトランクを運ぶのを代わってくれた。

 階段を降りて玄関まで行く。誰も見送ってくれない。私を見送ってくれるような使用人はほとんどが辞めさせられていたから。

 私達を乗せて馬車は動き出した。

 動き出すと涙が出てきた。

「痛みますか?ハンカチを水で濡らしてもらってくれば良かったな。」

「大丈夫です。

それより、貴方に申し訳なくて。」

「申し訳ない?何がですか?」

 男爵の問いに私は自分の結婚支度用の信託財産や男爵からもらった結婚の支度金が継父家族に使われてしまい、嫁入りの支度ができないことを詫びた。

 男爵はあまり驚いていないようだった。

「ああ、そんなことですか。それならば、今から私が貴女に言うことほど大層なことではないです。」

 それ以上のこととは?

「貴女の頬を見て、咄嗟に我が家で行儀見習いをさせると言って貴女を連れ出しましたが、実はですね、王都の邸には私一人なのです。

貴女のお継父上からなるべく早く結婚をして欲しいと言われて、両親はその準備のために領に帰っていまして、こちらに戻ってくるのは明日なんです。」

 男爵は申し訳なさそうに言った。

 継父に殴られた私を家から連れ出してくれたことは感謝するけれど、ご両親がいない邸に行くわけにもいかないし、昼なら学校の友人の家を訪ねて泊めてもらえるかもしれないけれど、こんな夜に訪ねるのはあまりにも非常識だわ。でも、私はどこに行けばいいの?ホテルに泊まろうにも、お金を持ってないし。

「それでですね、私の友人の家に泊まってもらおうかと。」

「え、急に行ってはご迷惑では?私なら大丈夫です。家に戻ります。」

 戻りたくないけれど、ご両親のいない男性一人の家に泊まるわけにはいかない。それに、私を泊めるなら男性ではなく女性の友人の家でしょうから、妊娠しているという愛人の家かも。他にも愛人が何人かいるのかもしれない。いくらお飾りの妻になるとはいえ、そんな家には泊まりまくない。

 男爵は私が遠慮をしていると思ったのか「そこは大丈夫です。」と言った。

「学生時代からの友人でして、互いに迷惑をかけたりかけられたりですから。」

 学生時代からの友人なら男性で、男爵の邸に泊まるのと変わらないのではないかしら。いえ、むしろ婚約者でない分、もっと良くないかも。男爵は私の懸念に気付いたのか、「友人の家には奴の婚約者と妹がいるので大丈夫ですよ。」と苦笑いをした。

 結局私はその日は男爵の友人の家にお世話になった。申し訳ないことに、その友人に「婚約者と妹がいるとはいえ、男の私が一緒なのは落ち着かないでしょうから。」と別邸に行かせることになってしまった。それなのに、男爵はその友人の家に泊まろうとして友人を呆れさせたり。友人は強引に男爵を別邸に連れて行った。


 翌日、王都に戻ってきた男爵のご両親は私が友人の家にいるのを知って、慌てて迎えに来てくれ、行儀見習いという名目で、私は王都の男爵の邸で暮らすことになった。

「まあ、繕い物もお上手ね。今時のお嬢さんはお針子まかせかと。」

「いやいや、その辺のお針子よりも上手いぞ。」

 修道院にいた私は針仕事は大抵のことはできた。修道院にいたなら当然のことなのだけれど、男爵のご両親はとても感心して「良いお嬢さんが来てくれた」ととても喜んでくれた。

 男爵のご両親が私のことを喜んでくれる度に私は心苦しくなった。結婚に際して支度金をくれたのに、継父が妹の結婚の準備に使ってしまって、私はなんの支度もできない。新しいドレスはおろか、結婚式のドレスも準備できない。こんな娘が嫡男の相手でいいのかしら?持参金がないどころか、渡した支度金までも私ではなく妹の結婚の支度に使われているのに。

 男爵は王宮の仕事が忙しいようで、邸に帰ってくるのはいつも遅かった。休日の日も出かけることも多々あった。

 結婚が近づいたある日、男爵から話がある、と言われ、温室に呼び出された。なんのお話かしら?とてつもない不安が私に覆いかぶさってきた。決して面白い物ではなく、むしろ気分を害する物だという確信があったから。

 温室で男爵と向かい合って座る。

「以前、私は家を出ていたと貴女にお話ししましたね。私は五男でしたから家を継ぐとは思っていなくて、家を出て王宮騎士をしていました。当然、才もなく家を継ぐ見込みのない男には縁談なんかきません。私は知り合った平民の女性と結婚するつもりでいました。けれど、彼女との結婚に向けてのいろいろな手続きをとっているうちに兄が亡くなり、私に跡目がまわってきました。そして両親に勧められるまま貴女と婚約した。

その時、彼女は妊娠していました。

世間的に言えば、私は家を継ぐために彼女を捨てたのです。そして、家に相応しい貴族令嬢と結婚する。

けれど、捨てたとはいえ、一度は結婚を考えた女性ですし、生まれてくるのは私の子供です。そのことに責任を持たないといけません。」

 その方を愛人としてこの家に迎えたいということね。

 男爵は目を逸らしたあと、私をまっすぐ見た。

「結婚すれば貴女を妻として尊重し、愛すると約束します。そんなことはないでしょうが、彼女達が訪ねてきてもこの家には一切入れません。

しかし、貴女にとっては面白くないでしょうけれど、私は父親として生まれてくる子供にはできるだけのことをしてやるつもりでいます。

話はそれだけです。」

 私はどう返事をしたらよいのかわからなかったので黙っていた。私の沈黙を負の感情のせいだと思ったのか男爵は「こんな男が夫になるなんて失望しましたか?」と聞いてきた。

「いいえ、ただ、どのようにお返事していいのかわからなくて。ごめんなさい。

でも、貴方が『別れたのだから後は知らない。』と言うような方でなくて良かったです。」

「そう言ってもらえて、安心しました。愛想をつかされるのではないかと。」

 そう言って、安心した顔をした。

 男爵は度々その女性や子供と会っているようだったけれど、その話を私にすることはなく、私もきかなかった。

 けれど、一度だけ私はその子のことを口にしたことがある。私が事故に遭い子供を望めなくなった時だ。私は自分を離縁してその女性を妻に迎え、その子を後継にすることを提案した。

「結婚前に私は『貴女を妻として尊重し愛する』と約束しましたよね。貴女が私のことを嫌いになったのなら仕方ないですが、そうでないのなら離婚はしません。貴女は私の妻として、この家の女主人としてこれ以上ないくらい立派に役目を果たしてくれています。離婚する理由が見つかりません。

『後継が』と貴女は言いますが、あの子は私の子供ではあるけれど、この伯爵家の子供ではありません。それに私と貴女の間には一人とはいえ娘がいます。この国では女子にも爵位の継承権がありますから、後継はいます。」

 そう、言ってくれた。

 

 男爵からもらった私の支度金は義妹のために使われてしまっており、また、両親が私の結婚の支度に用意してくれていた信託財産も引き出されている。結婚の支度がまったくできない私に男爵は「私の妻になるのに、私に相談なく勝手に支度されても困ります。この家に合うような物を私が用意しますから」と言って用意してくれた。

 二度も支度金を払わせることになって、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。けれど男爵は

「あれは支度金という名目だけれど、実際は今後貴女があの人達と関わらないための手切金と思っています。だから、気にしないでください。」

そう言った。

 私と男爵の結婚式は彼の領で行われた。結婚式の後、夫となった男爵が私に継父達家族が住んでいる王都の邸や他のものを取り戻したいか聞いてきた。

「もちろんですわ。お祖母様の持参金の一部だった宝石類だけでも。あれは、ベルフォード伯爵家とは関係ないお母様個人のものですもの。けれど、そんなことができるのですか?継父は乱暴な男です。貴方にも乱暴を働くかもしれません。それで貴方が怪我でもなさったら私は嫌ですし、申し訳ないです。」

「少し揉めるかもしれませんが、大丈夫ですよ。私に任せてください。」

 王都に戻ると、若い弁護士が私を訪ねてきた。男爵が自分の学生時代の友人だと教えてくれた。なら男爵を訪ねて来るはず。なのに何故、弁護士と名乗って私を訪ねてくるのかしら。

 弁護士は結婚のお祝いを述べた後、男爵に話しかけた。

「ハル、奥様の全ての財産を取り戻したいということでいいのか?」

「ああ、そうだ。ウチの弁護士に頼んだら、自分はもう歳だから引退することに決めている、とお前を推薦してきたんだ。お前が父親の後を継いで弁護士になるなんて、驚いてるよ。学生時代、法律関係は毎回赤点だったじゃないか。」

 そう言って男爵は笑った。

 弁護士は私の方に向き直り、書類を二枚私に出した

「奥様、書類に目を通していただき、納得いただけたらサインをお願いします。」

と言った。その二枚の書類は同じ文面で、私の財産管理をこの弁護士に任せる旨が書いてあった。私の財産なんて、継母と義妹が漁った残りのわずかなものしかない。弁護士に管理をお願いするほどのものではないし、報酬を払うお金もないもの。

 私はどうしたらよいかわからなかった。けれど、先程の男爵とこの弁護士の会話からすると、男爵が弁護士を頼んだみたい。この契約書にサインするのが正解じゃないかしら。私は二枚の書類にサインした。

「これで、契約は成立ですね。契約書をどうぞ。一枚は奥様が、もう一枚は私の事務所に保管します。」

 そう言って、弁護士は一枚を私に渡した。

 私が書類を受け取ると弁護士は鞄に書類を収めた。

「お任せください。最優先でこの仕事を片付けますよ。」

「よろしくお願いします。」

 私はそう言ったものの、何を片付けるのかしら。

 玄関まで男爵と弁護士をお見送りに行く。

「お前の親父さんのウデは信頼してるよ。」

「ひどいなあ、これでも王都で人気の敏腕弁護士なんだぞ。」

 弁護士は笑いながらヒラヒラと手を振って帰って行った。

 弁護士を見送った後、

「あの、弁護士を頼むほど私には財産なんて。いただいた支度金も妹の結婚に使われてしまっているし。」

「いずれはご自分で管理をしていくとしても、最初から全てを管理するのは大変ですよ。彼に任せましょう。彼の家は代々続く弁護士ですし、荒事にも慣れています。

私は今から王宮に行ってきますが、もし貴女の継父家族が訪ねて来ても決して会ってはいけません。外出も私と一緒でなければダメです。窮屈に思われるかもしれませんが、貴女の身を守るためです。少しの間だけですから。」

と不思議なことを言った。

 私を追い出した継父家族が私を訪ねてくるわけもなく、出かける用事もないので夫である男爵の言いつけを守って家で過ごしていた。


 弁護士と会ってから一週間くらい経った。

 今夜は母の友人、ドーソン子爵家の夜会に招かれていた。夫婦で、というよりデビユタントしてから初めての夜会。

 夫となった男爵にエスコートされて行くのだけれど、男爵が帰ってくるのは早くても夕方遅く、夜といってもいい時間。それから支度をして行ったのでは、大遅刻ね。ドーソン夫人はあまり良い印象を持ってもらえないかも。

 まだ昼過ぎなのに男爵は帰ってきた。何かあったのかしら。

「今日はドーソン子爵家の夜会じゃないか。夫婦で行く初めての夜会だからね。君に相応しくなるよう、念入りに準備しないと。

仕事が終わる時間になると、今日中に片付けなければならない書類が持ち込まれるから、早退して来たんだ。

早くいくのもだけど、あまりにも遅刻して行くのも失礼だしね。」

 ドーソン子爵夫人はお母様の友人なので小さな頃何度か遊びに来たことがあるけれど、久しぶりだし、それも夜会でなんて緊張する。

「ベルフォード伯爵家とはずっとお付き合いしたくて招待状を送っていたのですけれど、来るのはいつもあの男の一家ばかり。貴女の元婚約者も一度も婚約者である貴女をエスコートしないで、あの、妹ばかり。他家のことに口出しするわけにもいかないし、私も主人も気を揉んでいましたのよ。

男爵はいろいろ事情がおありだけれど、将来とても有望な方なの。結婚を希望する令嬢も大勢いたけれど、アリスが一番相応しいと思うわ。

男爵、アリスは私の親友の忘れ形見なの。必ず幸せにしてあげて。」

 ドーソン夫人がそう言うと、男爵は笑いながら

「いえ、それは無理です。私は幸せにしてもらう方ですから。」

と答えて、周りの笑いを誘っていた。その夜会には学生時代の仲の良い友人もいて、再会を喜んでいた。

 皆でダンスをしたり、歓談したりしていると、新しい人が入ってきた。義妹と私の元婚約者。彼らが歩くと皆、潮が引くように道を開けた。

「夫人、ごきげんよう。父は出かけているので、私達だけで参りましたの。

あら、アリス、アンタ、男爵と一緒に来たのね。」

義妹はいつも私を馬鹿にしたような言い方をする。

「お父様は王宮にお泊まりですわ。ご存知ないのかしら?

それにアリスはホーン男爵の夫人ですもの。一緒に来て当然ですわ。」

 ドーソン夫人は少し苛立ったような声だった。

「それに私どもはベルフォード伯爵ご夫妻をご招待しましたから、ご夫妻で来るのは当然でしょう。」

 私の元婚約者、今は義妹の婚約者が夫人の言葉に答える。

「ですからベルフォード伯爵はお出かけですのでお嬢様を。」

 その元婚約者の返事に周りから一斉に笑いが漏れる。

 男爵が笑いながら言った。

「まだ、ウチには娘はいませんが、早く欲しいですね。私は男兄弟でしたからね、両親も女の子を希望してますよ。この国では女性も家を継げるし問題ないですから。」

「男爵は先日結婚なさったばかりではないですか。早く後継をと思う気持ちもわかりますが、もう少し二人だけの生活をお楽しみになっても良いのでは?」

 そばにいた男性がそう言って笑う。他の男性も話に加わる。

「女の子はドレスだ、アクセサリーだと金がかかっていけませんよ。」

「まったく、この人は娘に甘いんだから。先日も娘に新しいドレスを仕立てて。妻の私にはハンカチ一枚でも『もう、持ってるじゃないか』と言うくせに。」

 周りの人は義妹達に挨拶すらせず、義妹達を外して会話を楽しんでいる。それどころか、物理的にも明らかに距離をとっている。

 ただでさえ自分が中心にいないと気が済まない義妹なのに、こんなにもあからさまに避けられている状況に我慢できるはずはない。私の方へ来た。いきなり私の腕を掴む。

「ちょっと、皆が私達を無視するのは、アンタがさせてるの⁈

私がアンタの婚約者と結婚するからって、そんな幼稚な嫌がらせはやめてよね。アンタにはちゃんと相手を用意してあげたじゃない。」

「アリス、ステラの言う通りだ。そんな幼稚な意地悪はやめた方がいい。」

 婚約破棄されたとはいえ、好きだった人にそんな意地悪をする人間だと思われたなんて悲しくなってくる。

 そんな私の気持ちを救ってくれたのは夫である男爵だった。

「ミス・ガードナー、妻の腕を離してもらえますか?

それから、君、元婚約者とは言え、私の妻の名前を気軽に呼んでほしくはないですね。

でも、感謝はしていますよ。君が婚約破棄をしてくれたおかげで、私はこんな素晴らしい女性を得られたのだから。」

 男爵がそう言うと周りもうなずいていた。

 義妹はムッとしたようで、それが顔に出ていた。感情を顔に出すなど、淑女失格なのに。

「ミス・ガードナーですって?

私は伯爵の娘なのよ!呼びかける時はレディとつけるべきだわ。あなた、貴族のくせにそんなことも知らないの?

こんな客もよんでるなんて、とても失礼だし不愉快だわ!」

 周りは呆れたように義妹達を見ている。

 ドーソン夫人は軽蔑の目で義妹達を見る。

「招待されてもいない夜会に押しかけて大きな声を出し、他の方にケチをつける。そちらの方がとても失礼ですし、不愉快ですわ。」

 そう冷たい声で言った。

 義妹の顔は怒りで真っ赤だ。

「たしかに招待状は来なかったわ。けれど、毎月この日は夜会だったじゃない。今回は招待状を出し忘れているのかと思って、気を利かせて来てあげたのに。それを『押しかけて』なんて言われたら、たまったもんじゃないわ。

子爵のくせに伯爵令嬢の私に向かって、何様のつもりなの⁈」

 ホール中に響く大きな声を出している。

 ドーソン夫人がゴミでも見るようにな目をして言い返す。

「あなたこそ、ご自分が何者か理解ってないみたいですわね。」

「夫人、何を仰っているのです?ステラはベルフォード伯爵のお嬢様ですよ。ご存じのはずです。」

 元婚約者の返事に夫人は笑い出した。

「この女がベルフォード伯爵のお嬢様ですって?ベルフォード伯爵のお嬢様はアリスだけよ。アリス一人だけ。

その女はベルフォード伯爵夫人と結婚したガードナー氏の娘というだけじゃないの。それを『ベルフォード伯爵のお嬢様』と名乗るなんて、なんて厚かましいのかしら。」

 周りの人達もクスクス軽蔑した笑いを漏らしている。

 男爵が元婚約者に「誰にでも間違いはあるのだから早く帰るよう」と言った。

「間違いですって!男爵、アンタの方が間違っているわよ。こんな夜会、来るんじゃなかったわ!」

「男爵、何の権利が有って僕やステラに帰るように言うのですか。それに何が間違いなのか、ハッキリ仰ってください。」

 男爵はため息をついた。

「そこまで言うのなら、ハッキリ言いましょう。

招待を受けたのはベルフォード伯爵夫妻だからです。あなた方はベルフォード伯爵とはなんの関係もない。親戚というだけ。」

「何言ってるの⁈関係ないどころか、そのベルフォード伯爵は私の父なのよ。その娘が来るのに何の不都合があると言うのよ!元平民だからって、馬鹿にしないで!」

 義妹が大声で言い返しながら、男爵に掴みかかろうとする。男爵はスッと避けながら、「男なら組み伏せるんですけどねぇ。」と言った。

 元婚約者は義妹を宥めながら、

「どういうことですか?ステラの父親はベルフォード伯爵夫人の従兄弟ですし、夫人と結婚したんですからベルフォード伯爵で、その娘はベルフォード伯爵令、、、」

と言っている途中に何かに気付いたようで、「あ」と小さく言って急に顔色を失った。どうしたのかしら?

 元婚約者は「アリス、」と私に話しかけようとしたけれど、男爵がその言葉を遮った。

「今更遅いですよ。婚約破棄を言い出したのは君ですし、それに私は妻と離婚する気はありませんから。」

 元婚約者は寂しそうな顔をして首を振った。

 それから、まだ喚いている義妹のに「もう帰ろう。」と言ったが、

「こんなに侮辱されて何も言い返さずに帰る気なの?我が家がベルフォード伯爵じゃないって言われたのよ。こんな侮辱、あり得ないわ!」

と更に喚きだした。

「いい加減にしてくれ!もう、沢山だ。大人しいアリスと違ってわがままを言う君を可愛いと思ったこともあったけれど、今はアリスとの婚約を破棄したことを後悔している。

君の父親は伯爵なんかじゃないし、君も伯爵の娘なんかじゃない。だから招かれてもいないのにこの場にはいられないんだ。早く帰ろう。」

 元婚約者は喚き暴れる義妹を引きずるようにしてホールから出ていった。私はそれをぼんやりと見ていた。

 急に目の前が真っ暗になった。

「アリス、大丈夫か⁈」

 男爵が私の身体を支えている。

「ドーソン夫人、せっかくお招きいただいたのですが、妻の体調が優れないようなので、これで失礼します。」

「まあ、大変。初めての夜会であんな騒ぎですもの。少し休んでお帰りになったら。」

「いえ、主人もいますし、大丈夫です。家に帰ります。」

「そうね、ご自宅の方がゆっくり休めるわね。

アリス、いつでも遊びにいらっしゃい。一人でもご主人と一緒でも大歓迎よ。」

 夜会をめちゃくちゃにしたのに、ドーソン夫人はそう言ってくれた。


 寝る前のお茶を男爵が持って来てくれた。

「今日はお疲れ様。

浮かない顔ですね。まあ、夫婦揃っての初めての夜会であんな騒ぎがあったら、そうなりますね。」

「ええ、それもあるんですけど、よくわからないことがあって。」

「わからないこと?」

 私は継父が何故王宮に泊まっているかわからないと言った。継父は王宮に招待されるような功績も身分でもない。

「ああ、そのことですか。

泊まると言ってもですね、守衛塔の牢ですよ。何でも自分は伯爵だと言って王宮に入ろうとして門番と揉めたらしいです。その時門番を殴ったみたいで。

門の責任者に守衛塔まで呼び出されて、君が継父に伯爵家の用事を頼んだか聞かれましたよ。だから、

『なんであの男にアリスが用事を頼むんですか。

だいたい、あの男、アリスが行儀見習いで我が家に来てから手紙の一本も寄越したことはないですし、結婚式も一応招待状は出しましたが返事もなく欠席ですから。

まあ、その方がこっちは縁も切れて嬉しいですが。そんな具合なので妻が用事を頼むわけはありません。』

と答えました。

伯爵でないのに伯爵と名乗れば身分詐称です。まあ、伯爵家の使いであれば、伯爵と名乗っても見逃してもらえたんでしょうけど、使いでもないのに伯爵と身分を詐称して王宮に入ろうとした挙句、それを止めた門番を殴ってしまっては、一晩くらいは牢に入れられるでしょうね。

親戚の爵位持ちの未亡人と結婚した男にありがちなよくある勘違いだから、王宮騎士団の副団長あたりにキツく説教されて明日には釈放されるでしょう。」

 そう、うんざりした顔で言われた。

 どういうことかしら?継父は伯爵でない?母は第六代ベルフォード伯爵の娘だったから婿養子にきた父が第七代ベルフォード伯爵で、父が亡くなった後、母と結婚した継父が第八代ベルフォード伯爵のはず。継父が爵位を手放すなんて考えられない。なのに伯爵でないなんて。私は混乱した。

「でも、継父はいつも『自分の父親は長子だったし、伯爵の一人娘と結婚したから自分が伯爵様だ。』と言っていたわ。義妹に婿養子を取って伯爵を継がすとも言っていたし、あの男が爵位を手放すなんてあり得ないわ。」

 男爵は少し考えてから、納得した顔をした。

「アリス、君も継父も思い違いをしているんだよ。

この国では女性にも爵位の継承権があるのは知っているね。君のお祖父様が第六代ベルフォード伯爵で、一人娘のお母上がベルフォード伯爵を継ぐ。だからお父上は婿養子に入り、第七代ベルフォード伯爵をお母上は伯爵夫人を名乗った。ここまではいいね?」

 私は頷いた。

「お父上亡き後、お母上は継父と再婚した。」

「ええ、お父様が亡くなってから、私は評判の悪い男に付き纏われるようになってしまって。男親がいないからだと継父は言って無理矢理お母様と結婚したのよ。お母様も継父と離婚すれば、またその男が私に付き纏うのではと離婚できなかったのよ。」

 私は泣き出した。夫の前といえども人前で感情を露わにするなど淑女として失格だけれど、どうしても感情が抑えられなかったのだ。

 男爵は私の気持ちが落ち着くまで待ってくれた。

「あの男は君のお母上と結婚しただけだったんだよ。婿養子になったわけじゃない。」

 男爵の言っていることがわからない。お母様と結婚したから伯爵なのでしょう?

「君のお父上はお母上と結婚した時に王宮の承認も受けて正式にベルフォード伯爵家の養子になったから正統なベルフォード伯爵だけれど、継父はお母上と結婚しただけで養子になったわけじゃない。だから、伯爵夫人の夫というだけで、本当は伯爵ではないんだよ。」

「でも、みんな伯爵って、、、」

「伯爵夫人の夫だから伯爵と呼ばれることが多いけどね。正式な婿養子に入っていないと言っても、伯爵夫人の夫を名前で呼ぶわけにもいかないし。

それから君の義妹が婿養子をとっても伯爵家を継ぐことはできない。

この国は女性にも継承権があるが男子優先だ。そして長子優先。君のお祖父様、お母上のお父上はお曽祖父様の男子としては二番目で、継父の父親は一番目の男子。けれど、正妻の子供ではないため、君のお祖父様が伯爵を継いだ。お祖父様が伯爵を継いだ後、お曽祖父様は愛人であった一番目の男子の母親と結婚した。それで一番目の男子、継父の父親は伯爵家の正式な子供になった。そしてその子供、君の継父はお母上と再婚した。そのことが話をややこしくしているし、思い違いの元になっているんだ。

さっきも言ったけれど、この国の爵位の継承権は長子優先。継父の父親は母親が結婚したことによって、伯爵家の正式な子供になった。長子優先だから本来なら彼が伯爵を継ぐはずだが、爵位は既に正妻の子供である弟、君のお祖父様に譲られている。継父の父親が爵位を継ぐためには貴族審議会に申し出てその申し出が正当であると認められなければならないけれど、彼はそれをしなかったし、継承権を放棄している。申し出ても、既に爵位は君のお祖父様に渡っているし、出生時に庶子だったので認められない可能性が高いけどね。もしかしたら無用の争いを避けるために、母親の結婚の条件だったのかもしれない。けれど、どちらにしろ爵位を継ぐ気がなかったんじゃないかな?いいことばかりじゃないし、それに彼はその頃には貿易商としてある程度成功していたからね。

さらに話をわかりにくくしているのが、女子にも継承権があることだ。爵位持ちの家に娘しかいない場合。

親戚の男子と結婚して爵位を継いだり、そうでない場合は親戚の男子が爵位を継ぐ場合が多い。アレは爵位を他家に渡さないために娘が結婚をした時に継承権を放棄しているからであって、親戚の男性と結婚していないからじゃない。勘違いしている人も多いけどね。

君の場合、お父上は親戚だからではなく正式に婿養子になったから正統な伯爵で、もし君のお母上の方が先に亡くなられたり、離婚した場合でも養子縁組を解消しない限り伯爵を名乗ることはできるが、伯爵家における権利は一切ないし、その子供はお母上との子供でない限り伯爵にはなれない。何故なら、伯爵位を継承したのはお母上であってお父上ではないからだ。

だから継父が君のお母上と結婚しても伯爵家の養子ではない彼は慣習上伯爵と呼ばれているだけで伯爵と名乗る権利はないし、養子になっていても当然お母上の子供ではない君の義妹は伯爵家を継ぐことはできないんだよ。

お母上が亡くなられた時点で君が第八代ベルフォード伯爵になったんだ。ただ女性で学生だったから後見人である継父が引き続き伯爵と呼ばれていただけだ。継母を伯爵夫人と呼んでいる人もいたみたいだけど、継父は伯爵ではないのだから、そう呼ぶのは間違っている。まあ、夫を伯爵と呼んでいたから、伯爵夫人と呼んでしまうのもわからないではないけどね。」

「継父は伯爵夫人だったお母様と結婚したから伯爵と呼ばれていただけで、お母様の娘でない義妹には継承権がないってこと?」

 男爵は微笑みながら「そうだ」と答えた。

 元婚約者の「あ」はそのことに思い至ったからに違いない。男爵に遮られてしまったけれど「アリス、」の後、彼は何を言おうとしたのかしら?

「アリス?」

「ごめんなさい、ぼんやりして。

もし、彼が継父は伯爵でなく、義妹には爵位の継承権が無いことを知っていたら、私は婚約破棄されなかったのかしらと思ってしまったの。

子供の頃、よく結婚ごっこをして『これで僕は伯爵様で、君は伯爵夫人だ』って言っていたから。」

 そう言ってしまってから、これではまだ「元婚約者に未練がある」と言っているようなものだと気づいたけれど、口から出た言葉を取り消せるわけもない。持参金がない私に支度金を二度も用意してくれたのに、そんなことを言う私は男爵に呆れられ愛想を尽かされてしまう。

 けれど男爵は、

「まあ、小さい頃からずっと婚約してたんですから、そんなに簡単には割り切れないですよね。」

と言って、少しの間目を閉じた。結婚を考えていた女性とお腹の子供のことを思っていたのかもしれない。

 閉じていた目を開けると、

「夜も遅いし、明日は出かけなければならないので、もう寝ましょう。」

と自分の寝室へ帰って行った。


 翌朝、使用人ではなく男爵に起こされた。

「そろそろ起きて支度をしてください。王宮に行きますから。」

 王宮に何をしに行くのかしら。男爵と結婚したから、その届けかしら。まだしてなかったのかしら。なんでも用意周到なこの人にしては珍しいわね。何しに行くのか、男爵は教えてくれなかった。

 王宮内にあるの貴族を管理している部署に行く。係官が箱から書類を出した。

「こちらです。こちらの受け取りの書類にサインをお願いします。今後、公的書類にはこの書類と同じサインをお願いします。

それにしても、取りに来られる人は珍しいですよ。」

「その方が早いじゃないか。

アリス、君の承認状だよ。」

 男爵が書類を私に見せる。

 その書類には「アリス・ヘンリエッタ・ロイドを第八代ベルフォード伯爵として承認する」と書いてあった。

「君がベルフォード伯爵だと王宮に正式に認められたんだ。

君がお世話になった修道院にその承認状を見せに行こう。院長はとても君のことを心配していたからね。」 

 私は誇らしい気持ちで部屋を出た。

 馬車が王宮の門を出ると、ちょうど継父が釈放されたところだった。継父は私達の馬車に気づいたようで、大声を出して近寄ろうとしたけれど門番に止められた。男爵も継父に気づいていたようだったけれど、馬車を止める指示は出さなかった。

 修道院に行くと、院長はとても喜んでくれた。

「貴女がとても幸せそうで安心しました。

結婚してすぐに報告に来なかったと気にすることはありませんよ。幸せで、ここのことを思い出すことがなかった証拠ですから。でも、幸せでも時々はここのことを思い出して遊びに来てくださいね。遊びに、ですよ。」

と言われた。


 結婚から一月後、弁護士が報告に来た。

「継父母が伯爵家に与えた損害は彼らの実家が弁済することになったよ。既に売ってしまった宝石類なんかも実家の責任において、買い戻すことになっている。

他の借金も実家が返済するみたいだ。彼らには借金返済なんて無理だから債務者監獄に行くしかないんだけど、両家とも商売をしているから身内がそんなところに行くのは仕事に差し支えるからね。

王都の伯爵邸も無事、戻ったよ。邸の美術品なんかは持ち出されたりしていないか、伯爵家の財産目録と照らし合わせてはいるけど、一応、確認して欲しい。」

 そう言われて、男爵の休みの日に一緒に行くことになった。

 久しぶりの邸。使用人は全員解雇されたみたいで、誰もいない。

「こんなに広かったかしら?」

「誰もいない家は広く感じるからね。

アリス、今は私の家の邸に住んでいるけれど、君が望むならこの邸に住んでも良いよ。王城へはどちらの邸も変わらないからね。」

 ひとつひとつ、部屋を見て回る。見て回っているうちに、いろいろなことが思い出されてきた。

 お父様やお母様のこと。継父母や義妹のこと。元婚約者のこと。

「継父や継母、義妹も私に酷く当たったけれど、悪い人じゃなかったのよ。継父は暴漢に襲われた私を庇ってくれたわ。刺されて生死の境を彷徨う大怪我をしたの。それでも私に怪我がなくて良かったって泣いていたし、継母も熱で寝込んだ私を徹夜で看病してくれたわ。義妹も私の誕生日に可愛い刺繍を入れたハンカチをくれたの。彼も結婚したら、継父母と義妹とここでみんなで暮らそうって。きっと楽しいよって。

どうしてこんなことになってしまったのかしら?」

 私は泣き出してしまった。彼の前で泣くのは二度目だ。

 男爵は近くにあった椅子に私を座らせた。

「そうだね。どうしてそうなってしまったんだろうね。多分、誰も悪くない。みんなが少しずつ選択を間違ってしまったんだろうね。

アリス、君の元婚約者は君の義妹との婚約を解消したそうだよ。

もし、まだ君の心にいるのが彼なら、私と離婚して彼と結婚したらいい。慰謝料とかはいらない。君は幸せになる権利がある。

とりあえず、今日のところはもう帰ろう。」

 男爵の声を聞いて少し気持ちが落ち着いてきたようだった。

 玄関を出ると元婚約者がいた。彼は私を持っていたようだった。「私と離婚して彼と結婚したらいい。」男爵の言葉が頭をよぎる。私は既にベルフォード伯爵家の当主で、男爵と離婚したからといって生活に困ることはない。男爵は慰謝料はいらないと言ったけれど、払っても大丈夫なくらいの資産もある。

 私は馬車に乗るために手を男爵の方へ出した。馬車が動き出して彼の姿が遠ざかっていく。

「良かったのかい?今から引き返しても。」

「いいのです。初めてお会いした日、あの日に私は貴方を選んだのですから。」

 男爵の差し出した手を取らずに、ずっと元婚約者を思って生きていくこともできた。けれど私は元婚約者のことは過去のこと、思い出にして、男爵と生きていく事を選択したのだ。

「私を選んでくれて、ありがとう。」

 男爵は嬉しそうに笑った。

 

 お互い打算で結婚した私達だけれど、今でも彼は私を「妻として尊重し、愛し」てくれているし、私も彼を「夫として尊敬し、愛し」ている。いつしか私達は理想の夫婦と呼ばれるようになった。

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