85 行方不明
「アイリ姉さん、大変だ!シルがいない!」
太極殿跡に拠点を張った翌朝。真っ青な顔をしてアイリの元に駆け込んできたミルナスは、きっと、大事になる前に弟を見つけ出そうとしたのだろう、汗だくであちこちに草や泥が付いていた。
「いない、っていつから?」
「それが、わからないんだ。朝、起きたらいなくて、僕が先に見張りをしたから交代の後、だとは思うけど。見張りはちゃんとしたはずだ。そうじゃないともう一人に気付かれるし、シルもそこまで無責任な奴じゃない。」
それに頷きながら、アイリは索敵の得意な風の精霊ウィンディラと土の精霊アスクレイトスにシルキス捜索を依頼した。二体の精霊はすぐに魔石から飛び出していった。
落ち着かせるようにお茶を勧め、泣き出しそうなミルナスの頭を撫でる。
「あいつさ、ずっとあの時の事、気にしててさ。」
「あの時?」
「大森林でスライムに捕まった時。」
手に持ったカップに話しかけるように小さな声でミルナスは続けた。
「強くなりたい、ってずっと言ってた。そりゃあ、僕も強くなりたいけど。何か人質に取られたのがよっぽど悔しかったみたいで。聖女のヨンヒさんに、‘力不足だ‘みたいなことを言っておいて情けない、って。自分こそ奢ってた、って。」
シルキスの気持ちもわからなくは無い。しかし、アイリには、今、ここでいなくなった事と、どうしても結びつかないのだ。
「ミル、心当たりがあったの?どこを探していたの?」
「・・・霊山。」
「寝る前に言っていたんだ。精霊界は無いかもしれないけど、あの鳥居の先には、何か特別なものがあるんじゃ無いか、たどり着く事が出来たら何か起こるんじゃないか、って、夢みたいな事・・・。」
「でも、いなかったんだ!」
そう叫んで、ミルナスは顔を上げた。堪えきれなかった涙が、一筋流れ落ちると、それは次から次へと止まる事は無かった。
「シルがいないと気がついて、鳥居に行った、と思った。だから、僕も慌てて行ったんだけど、あそこは近付いただけで気分が悪くなって。それでも、頑張って行ってみたけど、最初の幾つか鳥居に近づくのがやっとで。鳥居は蛇行しながら山頂に向かって立てられているから、シルも別の道を探して山頂に向かったかも、と思って登ってみたんだ。だけど、山頂にもいなくて。来た時と反対側を降りながら鳥居の横から覗いてみたけど誰も居なくって。もう、どうして良いかわからないよ!」
縋り付いてくる身体の震えが伝わる。自分も不安で崩れ落ちそうになりながら、アイリはしっかり、ミルナスを抱き締めた。
「大丈夫だよ。きっと、ウィンとクレイが見つけてくれる。あの二人は優秀だからね。そっかー。強くなりたいのか。男の子だもんね。でも、一人で行く事、無いのにね・・・。」
どうか無事で、そう祈るしかないアイリだった。
しかし、その日、シルキスは見つからなかった。
探索に出ていた二体の精霊は、夕方に戻って来た。確かに霊山に向かった痕跡はあった、と言う。しかし、鳥居の辺りを彷徨った様子はあるものの、ぷつりとそれが途切れてしまっていたらしい。
心配させるのは分かっていたが、アイリはシモンに助言を求めた。
鳥居の周辺で行方不明になったと聞いて、遠話の魔導具の向こうで絶句する気配がした。
『ええーっと、勘違いさせるような話をしてしまい、すみません。精霊界を素晴らしい所と思ったのでしょう。よく知らない事をお伝えすべきでは無かったですね。』
自分のせいだ、と責めるシモンにそれは違う、と伝え、アイリは、鳥居にまつわる情報をそれこそ噂でも構わないので、全て教えてほしい、と頼んだ。
『あー、元気出せよ、愛し子ちゃんもミルナスも。シルキスは見かけ程ちゃらんぽらんじゃ無いから、きっと無事だ。』
シモンが引っ込み、ラモンが出てきた。今、彼らはルーと合流し、南の大森林を南下中だ。
ラモンのちょっと無責任に明るい声は、アイリ達の心を少し軽くした。
『これが愛し子ちゃんなら、またかよ、って思うしな。シルキスもやっぱり愛し子ちゃんの弟ってこった。ミルナス、苦労するな。』
《ラモン、言い方!》
『だって、本当のこったろう。ヴィシュも、これが愛し子ちゃんなら、心配はするけど、有り得る、って思うだろ。』
《・・・う、まあ、否定は、出来ない、かな。》
「否定してよ、ルー!」
ホッと、肩の力が抜けた。それはミルナスも一緒だったようで、魔導車の中の張り詰めていた空気が少し緩む。
「ありがとうございます。ルーさん、ラモンさん。」
『ええーっと、お待たせしました。とりあえず、思い出せる限りの情報をお伝えしますね。』
そう言って再び現れたシモンの情報を元に、明日から、魔人探索を一旦中止し、三人一組でシルキスを探す事にした。ミルナスは、アイリが水の精霊オンディットに頼んで、その日一日は強制的に休ませた。
翌日、アイリは再び、ウィンとクレイに探索を頼むと、自分は霊山に向かった。霊山近くには魔力だまりがあるとは、初日にテセウスが言っていた為、魔力制御の魔導具を身に付けて向かう。それでも鳥居に近づくと、フェラ砂漠のオベリスク周辺とよく似た感覚が肌をざわつかせた。
『シルキス、魔力酔い起こしたよね、きっと。それでも、強くなりたかったんだ。』
太極殿周囲の結界は失われていたが、霊山の鳥居の障壁は、その殆どが残っていた。麓の鳥居はいくつか朽ちていたが、登るにつれ鳥居に残っている霊力が多くなっていった。十番目位の鳥居の中に手を伸ばすと水の中に手を入れた様な抵抗と背筋が凍るひんやりした感覚があった。精霊界?に行くにはこの中を通り抜けなければならない、しかも百本も、と考えただけで、ゾッとした。シルキスは鳥居をくぐったのだろうか?最初の内は何の問題も無かっただろう。しかし、ここからは?
ブラフ海賊の一人が、自分が潜ってみる、と申し出たが、アイリは許可しなかった。何が起こるのか興味はあったが、今は、シモンからの連絡を待つべきだと、思ったからだ。試しに小石を投げてみれば、何事もなく通り過ぎた。向こう側に落ちた石にも変化は見られなかった。長い枝を通して両側から押したり引いたりしてみたが、やはり、変わったことは何も起こらなかった。
その日も、シルキスは見つからなかった。
いくらシモンとは言え、大森林を移動中の魔導車の中では、調べ物にも制限がある。新しい情報は得られず、到着を待ってその場でラモンが調べるしか無いだろう、焦って鳥居を潜ることが無いよう、きつくルーから命令が下った。特に、ミルナスとアイリには必ず、ブラフの誰かが付いて、馬鹿なことはさせないように、厳しく言い渡された。
三日目の朝、アイリはミルナスとまた、霊山に登った。鳥居を横目で見ながら、山頂を目指す。その日は小雨が降っており、低いとは言え、山登りには適さない天候だった。ぬかるんだ足元に注意しながら登っていく。
「シル、濡れてないかなあ。」
ぼそっと溢れたミルナスの声にアイリが振り返った時、彼女の目に映った弟は、年相応に幼く見えた。
そうして、五日目の夕方、皆が諦めかけた頃。
「おーい、ねーちゃん!ミルー!」
人の気も知らず元気一杯に手を振るシルキスは、吟遊詩人のカイと一緒に戻って来た。




