80 スライムと魔人
翌日以降も、ミルナスとシルキスの不安は尾を引くだろう。そんな状態の彼らを連れて、更に大森林を越え、滅びた国に行くのは難しい。ルーに合流することを決めたアイリに、テセウスが今日のスライムとの接触で何が起こったか尋ねてきた。
スライムを倒す方法は、最初の人生で母テラがやってみせたように魔核を破壊する事しかない。物理耐性も魔法耐性も高いスライムは、テセウスの業火に焼かれても、消し炭となることはなく、ウィンディラの風の刃で切り刻まれてもすぐに再生した。魔核は粘液質の体の中を自由に移動する。外から的確に射抜くのは至難の技だし、かと言って、スライムの粘液質は強力な消化液なので、普通は中に入って壊そうなどとは思わない。だが、母は自身の炎を纏って消化液から身を守り、アイリはオンディットの癒しの水を纏うことでそれを可能にした。
違ったのは魔核を掴んでから。母はスライムの魔核を逃さぬよう抱き込んだ。アイリは握る事すらできなかった。指が触れたと思った瞬間に、膨大な量の記憶と呼べるような情報が頭の中に流れ込んできて、アイリの脳が処理しきれずに、受け入れを拒否したからだ。スライムには目も耳も鼻も口もない。感覚器は触覚のみ。だから、流れ込んできた情報は触覚と魔力による感知。
それは、五感による外界の認識をするヒトにとって、かなり、異質な情報素子だ。柔らかい、冷たい、痛い。揺れとして感じる音と光。消化して認識する味と匂い。そして、それらをまとめて作られる、感情。
あのスライムからアイリが感じたものは、数百年に及ぶ孤独と深い愛情、絶望。同胞と呼ぶ強い魔力を持つ者達を待って、待って、待って。残ったのは虚無。
その虚無は、かつて初代が対峙した魔人に通じるものがあった。
【あのスライムが“魔人“だと思う?】
【今、噂になっている“魔人“というなら、その可能性は高いでしょう。“魔人“は人間に擬態したスライム。恐らく、魔力の性質から、フェラ砂漠で遭遇したロフェンケト狼に寄生していたスライムと思われます。】
【ただ、かつて主が討伐に向かわれた“魔人“かと言われると、我らの記憶も曖昧な上、水と土の反応から見て、違う、のではないか、と。】
そう答えたテセウスに、アイリはさらに思考を深める。
アイリの水と土の精霊は、元々、初代が討伐に向かった魔人に付いていた精霊だった。それは当人達が認めているので、間違いはない。初代魔人がスライムだとしても、今日のスライムは、二体の以前の契約者とは別物なのだろう。契約者と深く関われば、拘束に影響が出るはず、という前提の元でだが。
アイリが出会ったスライムは三体。
①初代アイリが15才の時にまさにこの南の大森林の近くで秋の収穫祭後にスタンピートを引き起こした原因となった個体。
②今世で5年前、フェラ砂漠のオベリスク近くで遭遇した寄生のスライム。
そして、
③今日、南の大森林でカイに擬態したスライム。
②と③は同じ人生での遭遇でもあり、同一個体とした結論に精霊達は、皆同意してくれた。スライムは魔核と粘液質で構成されたひどく単純な構造の魔物だが、取り込んだ物質によって、性質や魔力が異なるから、あれほどそっくりな魔力の性質を持つ事は無い。①は全くの別個体だ。
そして、③の擬態したスライムが今“魔人“と呼ばれていたと仮定して、それが、初代が討伐に向かった“魔人“もスライムの擬態だったのかは、わからないのだ。
ただ、アイリには、③のスライムが初代の魔人と全く無関係とも思えなかった。その虚無故に。
【もう一つ、気になるのが、今日の魔人がカイさんに似ていた事、なんだけど。カイさん、・・・生きてる、よね?】
弟達の前で言及出来なかった懸念だ。スライムがカイの姿を写し取ったなら、その方法は貪食、丸ごと食べられ消化された、と考えるのが、スライムの生態上、最も説明が上手くついてしまうのだ。
【今回、主も全身スライムの中に入りましたが、あのスライムは主に擬態可能と思われますか?】
【そっか、そうだね。必ずしも、消化されてしまうとは、限らないよね。】
自分に言い聞かせるようにアイリは呟く。
【だけどー、この子のそっくりさんが、知らないところで勝手してるかもしれない、って、ちょっと、いや、かなり困ったことになるんじゃないの?】
【ディディの癒しの水で包まれてたから、写し取られていない、って可能性は?】
水の精霊オンディットは、わからない、と小首を傾げた。
これ以上はいくら考えていても結論は出そうにない。明日になったら、ルー達に魔鳩を飛ばそう。カイに擬態していたスライムに遭遇し、退けることに成功したものの、アイリの姿を写し取られてしまった可能性があることを伝え、合流の為に、大森林を出る予定と伝える為に。そうして、その長かった一日は終わった。
翌朝、アイリの決定を聞いた弟達は、やはり、自分達が足手纏いになったのだ、と落ち込んだ。
アイリは前の晩の打ち合わせ通りに、四体の精霊を呼び出した。
「ミル、シル。二人にはこの四人は見えてるよね。」
一体一体が大精霊クラス。自分達の契約精霊より上位の精霊が四体も顕現している状態は、よく考えるなら物凄い事なのだが、姉はちょくちょくこの精霊たちを顕現させるので、有り難みが薄れてしまっているのが、現実だ。
しかし、落ち込んでいる今は、この精霊達を一人で使役するその実力を前に押しつぶされそうになる。
「あのね、この話は、誰にも言ったことは無いのだけれど、」
二人の目を覗き込むようにして、アイリは話し始めた。
「火のテスと風のウィンは、本当はお母さんの精霊達なんだよ。それで、水のディディと土のクレイも別の人の精霊だったの。」
「何言ってるのさ、姉さん。母さんの精霊は僕たちだって見たことある。赤と緑のドラゴンの姿だ。テスもウィンもドラゴンじゃないでしょ。」
アイリは自分の二体の精霊を見て、再度、確認を取ると、答えを口にした。
「それは、お母さんと契約していた時の姿。お母さんが死んで、一度契約が切れてから、二人は私を守るためについてくれているの。」
「「お母さんが死んで?」」
二人はそう言うと、目を丸くして口をポカンと開けた。アイリは愛しげに弟達を見ると、じっくり話をするべく、座らせ、お茶を入れた。




