79 擬態のスライム
アイリの四精霊は既に行動を起こしていた。
シルキスは火の精霊の加護持ちだから、火魔法には耐性がある。遠慮無しにアイリの火の精霊テセウスの劫火がスライムを襲った。至近距離にいたシルキスの足元の地面を土の精霊アスクレイトスが抉り、彼を避難させようとした。が、それよりも早く、カイの似姿から右腕がありえない長さに伸び、少年の首を捕らえていた。
「シルっ!」
「あ、がっ、」
風の精霊ウィンディラの鋭い刃が触手と化した似姿の右腕を攻撃する。切り落とされた腕は半透明なゼリー状に代わり、失われつつあるカイの似姿の右肩口から幾本もの新たな触手が伸びて、シルキスを拘束していく。シルキスも己の火の魔力を両手に集めて、首を絞める触手を握り込み、なんとか振り解こうとしていたが、その赤熱した手から次第に力が失われていく様子を、ミルナスはなす術もなく見ていた。
生まれた時からずっと一緒だった双子のように育ってきた一つ年下の生意気な弟。だけど、苦しい時も悲しい時もシルがいたから耐えられた。馬鹿なことを言って、笑わせてくれた。お揃いの緑の瞳が自分を見てポロリと涙を流した時、ミルナスはその場に座り込んでしまった。
同時に、呆然とする彼の横を炎の風を纏った姉が駆け抜けた。
ウィンディラの疾風にのり、テセウスの炎で全身を強化してアイリはまっすぐスライムに突っ込んだ。
シルキスを捉える複数の触手を構えた短剣と自らの体で引きちぎると、そのままミルナスの方にシルキスを突き飛ばし、自分はその勢いのままくるりと回ると、肩からスライムに飛び込んだ。
「姉さん!」
弟達の叫び声は届かない。
【オンディット!】
アイリの思念に水の精霊が素早く反応し、スライムの粘液質の体内に飛び込んだことで消えてしまったテセウスの炎の代わりに治癒効果のある水の膜が全身を覆った。いくら保護しているとはいえ、スライムの粘液質は消化液そのものだ。流石に目を開けるのは怖かった。
【アクスレイトス!核の場所わかる?】
するすると一本の魔力の紐が伸びていく方向に意識を向けると、その先に混沌とした魔力の塊を感じた。粘液質の中を泳ぐように移動している。
こんな消化液の中に長居は出来ない。核の破壊は困難だとしても、核を取り出すことなら出来るかもしれない。そうすれば、また、体の構成成分を集めるか作るかするまでの時間を稼ぐことは可能だろう。
アイリは目を開けると、魔核目掛けて短剣を投げつけ、避けたところを捕まえようと左手を伸ばした。スライムの魔核を掴んだ、と思ったその時。
「!?」
魔核に手が触れた瞬間、そこから伝わってきた膨大な情報量に、脳が耐えられず、一瞬で意識を失った。
「姉さん、姉さん。」「うぇっ、ぐすっ、ねーちゃん、目ぇ開けてよぉ。」
ゆらゆらと海の中からゆっくり体が浮かび上がるように、アイリの意識も覚醒しつつあった。それでも、まだ、自分がどこにいるのか、どんな状況なのかはよくわからない。
「あれぇ、ミル・シルだ。どしたの?」
自分の体じゃないみたいで、口すら動かしにくく、舌足らずな話し方になってしまった。
「ねーちゃん!」ガバリと抱きつかれて、頭を起こしかけたアイリはゴン、とまた地面に敷かれた絨毯に頭を打った。
そのままシルキスはアイリの肩に顔を埋めて泣き続ける。見た目より柔らかいその赤い髪を撫でながら、困ったようにアイリはミルナスを見上げた。
目があったミルナスは、涙を浮かべつつ、苦しそうな表情を見せ、アイリは思わず、ミルナスに空いている方の手を差し伸べた。
「!」
ぽろぽろとミルナスの目からも涙が溢れ、ようやく、アイリは自分が弟二人を泣かせるほど心配させてしまったのだと、思い至ったのだった。
「シル、何とも無いの?ちゃんとディディに癒してもらった?ミル、スライムはどうなったの?」
「俺なんかより、ねーちゃんの方が、ずっと大怪我なんじゃないのか?ずっと、目を覚さないし、死んじゃったのかと思った。」
「馬鹿シル。姉さんはちゃんと呼吸もしてたし、心臓も動いてただろ。だけど、本当に良かった、意識が戻って。」
「ありがと、二人とも。心配させてごめんね。」
【そぉよぉ、この馬鹿!もう、あんたが死ぬのなんて見たくないんだからね!】
泣きながらぽかぽか叩いてくる掌サイズのウィンディラが可愛い。
無言で見守るテセウスとアスクレイトス。オンディットはアイリの言葉に頷いて、シルキスの涙をチョンと突いてそれを舐めると、大きく手で丸を作った。
『ディディ、それで、何かわかる物なの?』疑問に思ったが、水の精霊がひどく自信満々なので、尋ねるのはやめにした。それに、恐らく、自分が意識を失っている間に、スライムに飛び込んで負ったダメージを回復してくれていたのだろう。
【ありがとう、皆。】
しかし、ミルナスもシルキスも冷静に説明出来る雰囲気では無い為、アイリは一番落ち着いていそうなテセウスに教えてもらう事にした。
【あのスライムは、主が魔核に触れた後、慌てて逃げていきました。】
粘液質の体は自由自在に形を変える。アイリが魔核に迫ったことで命の危機を感じたのだろう、彼女を体の外に追い出すと鳥に姿を変えて飛び去ったらしい。オンディットの癒しの水で全身を覆っていたため、アイリの肉体に大きな傷はなかったが、ずっと意識を失っていたのだ。
空はすっかり暗くなっており、半日近く眠っていたようだ。そんなに長い時間が経っていたとは。それは弟達も心配するはずだ。
「ごめん、ねーちゃん。俺が油断したから。」ぐすぐすと鼻を鳴らしながら、シルキスが何度も謝る。
「僕も、何も出来なかった。怖くて、体が動かなかった。」
ミルナスは深く落ち込んでいる。
焚き火を囲み、夕食を摂った。三人とも昼食も摂っていないのだが、スライムの衝撃が大きすぎて食欲が起きない。けれど、お腹が空いていては力が出ないし、何より考えが悪い方へとばかり向かってしまう。ありあわせの野菜と肉を煮込んだごった煮スープをとりあえず、一口口にすれば、若い体は、気持ちとは裏腹に勝手に手が伸びて、あっという間に鍋は空になった。それが、また、ミル・シルに軽く罪悪感を与えている。
「うん、仕方ないよ。二人ともスライムに会ったのは初めてでしょ。私はこれで三回目だから。戦い方も分かってたし。」
とっておきの花茶を入れて三人で一つの毛布にくるまる。
初めてスライムに出くわしたのは、初代だが、あの時のアイリは今日のミルナスと一緒だった。5歳も年下で、弓を構えただけ、ミルナスの方がずっと立派だ。
二回目は今世のフェラ砂漠。戦ってくれたのは精霊達。だから、三度目でやっと自分の意志と力で弟達を守ることが出来た。
「だからきっと、二人ともこの次は大丈夫だよ。」
二人をぎゅっと抱きしめた。
目を閉じるといなくなってしまう不安から、アイリから離れられず、眠れないシルキスと、強くならねばと言う気持ちが昂って眠れそうに無いから見張りをすると言い張るミルナス。このままでは共倒れだと二人にオンディットの癒しをかけて、その場で眠らせた。二人の髪を漉きながら、アイリは自分がとんでもない間違いを犯していた事を、痛感している。きっと、母は、アイリの単独行動を止めるつもりで、ミルナスとシルキスの同行を許可したのだろう。アイリが弟二人の面倒を見ながら、戦えるかを判断する乱暴な方法として。
しかし。アイリは今の今まで気づかなかったのだ。二人の弟は10歳と9歳でしか無い。二度のやり直し人生を送り、強力な四体の精霊を連れた自分が10歳だった時とは、違うという事をすっかり失念していた。
スライムの恐怖に、目の前で家族を失うかもしれない恐怖に、そして、自分が何もできなかった恐怖に、少年たちの心が耐えられない。
初代アイリがアルブレヒト王子に出会い、抱きしめてもらうまで心が死んでいたのと、近い状態なのだろう。それならば、初代にとってのアルブレヒト王子と同じ役割を果たせるのは、今ここにいるアイリだけだ。




