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74 南の大森林の暴挙

南の大森林。

ここはアイリにとって様々なしがらみのある地だ。母の住んでいた地であり、母と父が出会った地であり、初代の家族が死んだ地であり、その向こうには魔人の巣窟があり初代が死地に向かい旅した地である。その名の通り、コルドー大陸の南に広がる鬱蒼たる森。南の大森林の紅蓮の魔女はかつてここに住んでいたが、森の獣のみならず魔物も住み着いているこの深い森は、普通の人間が住むには適さない。


しかし、今、ここは魔石を求める者達の狩場と化していた。

「ひどいなー、これ。」

シルキスが顔を歪めるのも尤もだ。そこかしこに、魔獣や森の獣の死体が転がっている。その全てが胸を切り裂かれていた。

「魔物と普通の獣の区別もついていないみたいだね。素人?」

ミルナスも口元を袖で抑えた。辺りに漂う血の匂いに吐き気がする。

【クレイ、埋葬、お願いできる?】

きらり、と魔石が光り、上半身が少年、下半身が黄金の鱗を持つ蛇の半人半獣の姿の精霊が現れた。大地に降り立ち、トントンと軽く地面をその黄金の尾で打つと、徒に命を奪われた獣たちの体は静かに大地に飲み込まれていった。


「姉さん、精霊使って大丈夫?まだ近くに誰かいるかもしれないよ。」

「クレイは隠形に長けているし、一応、確認したから。でも、魔力の痕跡は残ってしまうかな。」

「取り敢えず、僕が風魔法でこの辺りの空気を入れ替えるね。痕跡を誤魔化すぐらいはできるでしょ。」

ミルナスは風の精霊付きだ。ウィンディラほど強力ではないが、かなり強い精霊を持っている。

小さな旋風を幾つか作り、くるくると地面を掃除するように地面を動いて空に消えた。

「見境ないね、大丈夫?これ。」

「どうする?姉さん。」

「・・・どうしよう。」


魔人やスライムの情報を集めるどころでは無かった。ここには居場所を奪われた精霊たちの怒りと悲しみが満ちている。

全ての魔物の心臓が魔石化するわけではない。魔物の心臓に宿った精霊は、宿主の命が尽きる時に離れていくものなのだ。それを心臓に止めたまま、魔石のまま取り出すには聖女に祝福された武器で倒す必要がある。そう言われていた。今、ほとんどの聖女はダイアナ大聖女の庇護下にあり、聖徒神殿の命令に盲目的に従っているわけではない。失われて行く武器の祝福を補うすべがなくなりつつあるのだ。よって、必然的に倒した魔物の数よりも得られる魔石の数はぐっと少なくなり、それがまた、魔物狩りに拍車をかけている。


では、聖女の祝福を受けた武器があれば良いのか、と言うと、そう言う訳でもない。それはあくまで聖徒教会が主張しているだけで、祝福武器でも100%ではない事は周知の事実。祝福武器以外で倒した魔物から魔石が出る事も、稀にだがあるのだ。元々が魔物の魔石は希少。それを集めざるを得なくなった現状は、日常生活で一般に使われている魔力の込められた石である‘魔石‘への魔力供給が滞っているせいだ。

魔力供給はほぼ聖徒教会が独占していたが、実際に魔力を込めていたのは、聖女達だ。ダイアナ大聖女庇護下の聖女達は独自に魔力供給を行っていたが、教会の妨害に遭う事もあり、需要が供給を上回っている。魔石不足を教会側は、聖女の非協力によるもの、と声高に断じ、新しい聖女の発掘と魔物の魔石収集をその打開策に掲げた。それが、精霊の輪くぐりによる市井からの精霊付き候補の徴収であり、洗礼による強制的な精霊契約であり、大森林で起こっている魔物の乱獲となっていた。


イーウィニー大陸帰りのアイリ達には、この大陸の空気中に含まれる魔力が少ないことに否応なく気付かされた。これだけ、薄い魔力では魔石に魔力を注ぐにも自らの魔力も削らねばとてもではないが、不可能だ。だが、前世、二代目アイリがそうだった様に、恐らく、聖女達はそうと知らずにやらされている。結果、聖女の方も魔力枯渇を起こす。呼吸しているだけで自然に補充される魔力も、10年前に比べて著しく薄くなっていた。

精霊達が不安定なのもそのせいだ。世界の失われた魔力を取り戻す研究もシモンはしており、その一つの方法として、魔石を壊す、が候補に上がっている。魔力を込めることが出来るのなら、放出させることができるのではないか?と言うのだ。

この理論は、アルブレヒト王太子に提出され、王太子手持ちの魔石で確認中だ。


アイリ達が大森林に入って一週間ほど。西から東に向かって移動しながら、シャナーン王国に近い森の端から、奥地まで、魔力の濃い所を捜索していった。そんなある日の朝、森の奥に白い煙が上がっているのを、ミルナスが見つけた。

「火事?」

【主、複数のヒトと魔物がいます。】火の精霊テセウスが同族を使って、現場の様子を知らせてくれた。

なるべく、気づかれない様に、ある程度の所で、魔導車を降りて徒歩で向かう。パチパチと爆ぜる音と木々の間に真っ赤な炎が見えてくると、怒鳴り声や叫び声、動物の鳴き声など様々な音が聞こえてきた。

「そっちへ行ったぞ、確実に仕留めろ!」

「何やってる、さっさと、祝福をよこせ!」


何人もの男達と聖徒教会の神兵が剣や槍を手に火に追われて木々の間から飛び出してくる獣を狩っていた。その後ろに固まって、何人かの聖女が真っ青になりながら、両手を男達にむけ、何かを呟いている。


『聖女?これが聖徒教会の魔石狩り?』

深く考える間も無く悲鳴が届いた。

「きゃー。いやー。」

突然、炎を飛び越えてやってきた、犬の魔物が詠唱に集中していた一人の聖女の肩に齧り付いた。血飛沫が飛ぶ。周りの聖女の衣にも赤い斑点が広がっていた。慌てて若い神兵が駆けつけ魔物を追い払ったが、襲われた聖女の右半身は真っ赤に染まっていた。

「おい、しっかりしろ、誰か、治癒魔法は使えないのか?」

神兵はすぐ隣の腰が抜けて立てなくなった仲間の聖女に声をかけたが、皆、怯えて使いものにならない。

「くっ。」

彼は自らの手を血まみれの聖女に翳して治癒魔法を使おうとしたが、その彼の腕を強引に掴んで立たせる者がいた。

「待って、待って下さい。治療しないと死んでしまいます。」

「何を言っている。今、ここで、戦わなければ、皆死んでしまうんだぞ。火に追い立てられて、魔物も獣も次々こっちに向かって来てるんだ!」

それはこの教会から派遣された聖女たちを率いていた年長の神兵だった。

「魔石を一つでも多く持って帰って、神官長様に献上せねばならないのだ。さっさと、仕事するんだ。」


目の前に抜き身の穂先を突きつけられて、青年は息を呑んだ。その頬にポツリ、と雨粒が落ちたが、彼はそれに気付かない。

「彼女たちは、去年、教会に引き取られたばかりで、そんなに魔力もありません。実践もこれが初めてです。だから僕たちが守るのでしょう。」

「この程度の小物に手こずる様では聖女として役にたたん。育てるだけ無駄だ!」

「何を言ってるんだ!勝手に人の人生を狂わせておいて、」

しかし、その抗議の言葉も、大きな咆哮にかき消されてしまった。

声のする方、森の奥を見れば、燃え盛る木々の炎を受けて、馬車程もある巨大な魔猪がその鋭い牙を血に濡らして、立っていた。


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