73 それぞれの区切り
「進路は北北東、なるべく、市や町、村を避けて、最短でフェラ砂漠に入ろう。」
馬に牽かせている以上、魔導車が出せる速度は馬より速くなる事はない。しかし、馬にかかる負担は、はっきり言って裸馬程度にまで減らすことが可能だ。それはつまり、馬車より格段に速く、格段に長く走れる、と言うことに他ならない。
市街地を抜けてから、魔導車は速度を上げ、あっという間に砂漠の村に着いた。その村で最後の生鮮食品を買い入れながら、追手も待ち伏せもない事に、ほっと一息をつく。
「無事に出られそう?」
砂漠方面には土の精霊アスクレイトスをダマルカント公国方面には風の精霊ウィンディラを索敵に送り、周囲を確認したが、とりあえず、敵意を持って潜むものはいなかった。
「大丈夫。ロップはもう少し休ませた方が良い?」
馬の世話をしているシルキスに声をかけると、「ちょっと馬蹄、確認するー。」と間延びした声が返ってきた。
ロップは魔導車と一緒にシモン・ラモンが貸してくれたノルドベール産の馬だ。昔、キャラバンにいた頃に荷馬車を牽いてくれたミチとは違い、力はそれほどでは無いが、足は速く軍馬としての訓練も受けていた。ほぼ休みなしでかけ通したが、うっすらと汗をかく程度だ。
「慌てること無かったのかな?何かしてくるかと思ったけど。」
ミルナスが手早くお茶を入れて、アイリに差し出した。
「うーん、どうだろ。魔導車の性能を確認するためかも。第三公子の噂は当てにならないね、ルーの言う通り。」
「えー、何でさー。俺たちを逃すなんて、勿体無いじゃん。やっぱり、末っ子の甘やかされたお人形の公子様、って評判通りじゃん。」
俺も俺もーと、ミルナスの手からお茶を奪って、シルキスが言う。
「末っ子の甘やかされた奴が何言ってる。」
一歳しか違わぬ年子はそう言いながら、じゃれあっている。
「私達より、紋章を優先した、って言う事だし、確実な駒を奪っていく戦術?大体、あの早朝に現れる事自体、ちょっと普通じゃないと思う。」
「確かに驚いたね。でも、それは、たまたまミケーラさんがいたからじゃないの?」
「本人が直接来るほどの事?ある程度、何が起こったかわかってたから、来たと思う。」
二人は顔を見合わせた。「僕達、見張られてるって事?」
うーん、とアイリは考える。「二人とも、サンスー公子が“耳“って言ったの覚えてる?ルーも言っていたけど、この国全体に張られている諜報網を握っているのが、多分、第三公子。見張られているのは私達だけじゃなく、この国にいる全員。」
「何それ、怖っ。」ブルブル震えるシルキス。「あぁ、ブラフの暗部みたいな?」と納得するミルナス。
「公子自身が“耳“を管理しているのか、誰か他に管理者がいるのかは、わからないけど、お金と情報を握っている人だと思う。」
「だから、きっと、私達を追いかけて来ないなら、私達より価値のある物を優先しているのだと思う。そっちのかたがつく前に、さっさと手の届かない所に行きたかったのよ。」
「じゃあ、行こっか。」シルキスがロップの首をポンポンと軽く叩き、御者席に着いた。アイリとミルナスも乗り込み、魔導車は再び走り出した。
同じ頃、ダマルカント公国第三公子サンスーは第二公子アルコーの親衛隊員の5つの紋章を並べてみせた。
「いるか?」
目の前でゴクリと生唾を飲むのは第一公子イーサンの側近中の側近と呼ばれる男だ。
「サンスー公子、これは、」
「いささか、世にも思うところがある。有効に使え。」
「ですが、この品を一体どうやって、」
「いらぬのならば、こちらで処分する。」
「いただきます、いただきます。して、このお礼はどのような形でお支払いすればよろしいでしょうか?」
「礼など結果で十分。世がこれをイーサン兄上に渡す意味が正しく伝われば良い。」
「・・・了解しました。では、失礼致します。」
「さて、どう転ぶか。」
第三公子は手元に残した2つの紋章を前に二人の兄の顔を浮かべた。「取り敢えず、アルコー兄上には逃した魚分の報復は受けて頂こう。」
吟遊詩人と老女の二人連れは、ゆっくりと馬を進ませていた。泊まった街や村で楽器
を奏でながら、数日かけてダマルカント公国を横断し、東の端、鬱蒼と生い茂る木々を前にして、吟遊詩人は馬を降りた。
「これで依頼は完了です。ありがとうございました。満足ですか?」
「・・・ありがとうございました。無事にヴィエイラ傭兵ギルドの最後の仕事を完遂させて頂きました。今後の事は、同じ轍を踏まぬよう精進して参ります。」
深々と頭を下げる老女を振り返る事なく、吟遊詩人は森に向かって歩き出した。
「ねーちゃん、ルーさんに遠話繋がったよー。」
その日の夜、ダマルカント公国寄りのフェラ砂漠、こんもりとした砂のドームの中、夕食を終えたアイリは、魔導車に備え付けてある遠話の魔導具で北方連山に沿って東に進んでいるはずのブラフ・ルー・ヴィシュ・ザ・フィフスに連絡を入れていた。
《何かあったのか!?アイリ!まだ、ダマルカント国内のはずだろう!》
滅茶苦茶焦った声の年上の友人に、アイリは見えないにも関わらず、彼女の様子が目に浮かんで、ちょっと苦笑いを浮かべた。
《心配する事じゃないよ、ルー。ただ、カイさんとミケーラさんとは、今朝別れたから、今は、もう砂漠に出たの。》
《別れたって?大森林までの護衛が任務だっただろう。何が起こった?》
《うーん、ダマルカントの公子達がらみで、ちょっと面倒臭いことになりそうだったから、護衛、断った。カイさんは、継続するって。多分、私達の逃げる時間を稼いでくれたんだと思う。》
《何だって!?そんな危ない目に《会ってないから!》》
もう既に暴走気味のルーの言葉に被せて、アイリは説明を続けた。
《国境を越える時に魔導車ってバレちゃったみたいで、ずっと付き纏われてたの。宿で第二公子の親衛隊に絡まれて、ちょっとあって、第三公子も出てきて・・・。取り敢えず、魔導車も私達も無事だから、安心して。》
《元ギルド長は何をやってたんだ?》
低い、低い平坦な声が遠話の魔導具から聞こえてきた。ミルナスはひゃっと首をすくめ、シルキスは慌ててその後ろに隠れた。泣く子も黙る、と言われるブラフ海賊の頭領が魔導具の向こうにいた。アイリはそっと溜息をついた。
《ルー、今更だよ。謝罪と言われて会いに行った時から、こうなる可能性を考えてたでしょ。予想の範囲内だから問題無いよ。》
《だがな、え!?ちょ、ま、待て、マリ、》
突然、ルーの気配が遠ざかり、魔導具の向こう側から聞こえてきた声はラモンだった。
「あー、悪ぃなぁ、愛し子ちゃん。ヴィシュも過保護でよぉ。その魔導車は迷惑だったら、ぶっ壊してくれて良いから。じゃ、源石もったいないから、切るわ。」
「うん、ありがとう、ラモン。ルーとマリちゃんにおやすみって伝えて。」
クスクス笑いながら、アイリは遠話の魔導具を切った。ちょっぴり悲しかった気持ちが消えていた。




