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70 第三公子

ダマルカント公国第三公子サンスー・ダマルカンは、第一公子イーサン、第二公子アルコーと10歳以上年が離れていることもあり、現在の後継者争いには参加していない、と思われている。イーサンが伝統を重んじる上流貴族たちを、アルコーが軍部を掌握しているのに比べ、有力貴族の支援者を持たない点からも、三兄弟の中では軽視されがちな存在だった。彼の母親は、商家の出でその美貌を大公に見初められた。大公は彼女を愛人ではなく、妻の一人として迎えるために、その父である商人に一代限りの男爵位を与え、その後、娘である彼女を伯爵家の養女にする、と言う手間ではあったが、正式な方法で迎え入れた。


そうまでして手に入れた女性への愛情は深く、二人の間に生まれたのが、第三公子サンスーであった。産後、彼女は体調を崩し、子供を産めない体になってしまったが、それでも大公の愛情は変わることなく、今もその寵愛は深い。当然、その息子への愛情も深いのだが、大公の偉大な所は、後継者争いに私情を排した所だ。既に成人している息子達の対抗馬に生まれたての公子を置いては、いつ暗殺されるかわからない。権力から遠ざけることで、父は子を守ったのだ。


しかし、守られた子の方の気持ちはどうなのだろう。少なくとも、ある時期以降、第三公子は自らの立場の模索を始めている。それが、私設傭兵団の設立であり、祖父の商会を通しての影響力の拡大だった。

サンスー公子は、貴族にも軍部にも直接繋がりはない。しかし、第一公子イーサンの芸術による国家高揚策にも第二公子アルコーの軍隊による他国への侵攻にも、金がかかるのだ。そして、第三公子サンスーには、金があった。結果として、第一公子も第二公子もサンスーと手を組みたがった。

玉座には最も遠くとも、玉座に座らせる人間を決める力を彼は持っていた。


そんな第三公子が、宿の扉の前に、ミケーラとゴツい男を連れて、アイリ達の元を訪れていた。用件は勿論“親衛隊の紋章の買い上げ“であった。


「全く、わずか1日、いや半日、目を離しただけで、どうしてこんな事になっているのですか?」

ミケーラは頭を抱えている。旅に出てすぐ、自分の配下の傭兵達が間に合わない場合を考えて、ダマルカントの知り合いの傭兵団長に連絡を入れていた。近くまでちょうど来ていると言うので、この街の外で会う事にし、傭兵を借りる話をしていた所に、この騒ぎだ。

しかし、そう言えば、この娘は、初めて足を踏み入れた傭兵ギルドで、ギルド屈指の傭兵を、(一応)素手で殴り飛ばしていたのだった、と言うことを、ミケーラは思い出した。

『ブラフ伯爵が腕利きの傭兵を付けたがるのは、暴走が心配だったから?』

「ミケーラさん、今、とても、失礼な事考えませんでした?」

アイリの笑顔が妙に爽やかだ。

「いや、そんな事は・・・。それより、ここでは、なんだから、場所を変えませんか?」

第三公子が同席する以上、安全が最優先となる。ある程度の格式のある宿とはいえ、田舎町の、誰もが出入り自由の宿の食堂に長居をするべきでは無かった。

「では、公国守備隊の詰所に行きましょう。丁度、そこに紋章も移す連絡をしてあるのです。証拠の酒瓶も持っていくので、うちの馬車を出しますね。」

にっこり笑って、後の木箱をアイリは指差した。


「さて、改めまして、こちらは、この国、ダマルカント公国の第三公子であられるサンスー様です。その後にいるのが、第三公子様の私設傭兵団団長のトークンで、昨夜、私が、会いに行った者です。」

めちゃくちゃ青ざめた公国守備隊の分隊長に、第三公子は鷹揚に頷いて、分隊長室をしばらく借上げ、ドア前に分隊長に護衛を任じて追い出した。

改めて、各自の自己紹介を終えると、第三公子は宿を出る時から、気になっていたことを早速尋ねた。


「あの木箱の中身を皆、飲んだのか?」

「はい。」笑顔のアイリ。

「世はあまり酒には詳しくないが、城で父上達が飲むのと同じ物があるようだが?」

「左様でございますか?第二公子様の親衛隊の方が、一番高い酒を持って来い、と言って、出てきた物ですので、きっとそれなりにお高いのでしょうね。」にっこり。

「あれを其方が飲んだのか?」

「はい。勿論、飲み比べですので、親衛隊の方と交互に飲ませて頂きました。」にこにこ。

「それで、勝った、と?」

「はい。親衛隊の方は四人目で負けを認めてくださいました。」うふっ。

「「「四人目?!」」」

「はい。一対一との取り決めはしましたが、何人を相手にするかは、決めなかったので。最低、あそこにいらした7名と勝負しなくてはいけなかったのか、と思うと、流石に、困ってしまいました。半分で済んで良かったです。」

はあぁ、と軽くため息をつくアイリに、向かいに座った者達は、なんと言って良いのかわからなかった。

「どうやったのだ?其方はまだ世と同じ未成年ではないのか?」

綺麗な青灰色の瞳を溢れんばかりに見開いて、第三公子が尋ねた。

「秘密、です。女の人は秘密が多い程、綺麗になるんです。そう、うちの母が言っていました。」

そう言って、可笑そうに小声で、クスクス笑うアイリは確かに不思議な魅力を湛えていた。


『女はね、秘密で綺麗になるのよ。』

遠い昔に聞いた紅蓮の魔女の言葉が、鮮やかにミケーラの心に蘇った。そう言って笑った魔女と、目の前の少女が何故か重なった。


呆然とその笑顔に見入っていたサンスーは何かを振り払うように軽く頭を振ると、大きく息を吸って、両手をテーブルの上に広げた。

「商談だ。其方が親衛隊から預かった紋章を全て買い上げよう。言い値だ。」

「ありがとうございます。ですが、酒代とあの人達が踏み倒した飲食代だけ頂ければ、こちらは結構です。宿の方に迷惑料として幾許かを上乗せしていただけれるなら、ありがたく頂きますが。」

そう言って、頭を下げたアイリは酒代の記入された領収書と7つの紋章をテーブルに乗せた。

「失礼します。」

私設傭兵団団長と紹介されたトークンが領収書を回収し、酒瓶との内容を突き合わせに行った。


「其方らに迷惑料は不要か?そこのご婦人が求めていた傭兵の増援を世の傭兵団より貸してやっても良いぞ。」

「ありがたいお話ですが、ご遠慮、致します。」

アイリの即答に、ミケーラはギョッとした。

「もう、ご存じと思いますので、申し上げますが、私たちの乗っている馬車は普通の馬車ではありません。」

「あれは最新鋭の魔導車です。まさに動く機密、と言うレベルの。ですので、雇う傭兵さんには、公子殿下の傭兵団を辞めて頂かないといけません。殿下から“お借り“したのでは機密は守れませんので。」


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