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69 飲み比べ

「お許し下さいって、言われてもなあ。」

男の声に、アイリも別に何もしていないのだから、謝る必要は無いと思っている、とは言えない。いや、言っても良いのだが、それでは、喧嘩になってしまう。向こうは明らかにこちらを怒らせようとしているのだから。ならば、先に怒らせてしまえば良いのでは?


「では、こうしましょう。」

パン、と手を叩いて、アイリはにっこり微笑んだ。

「お酒の飲み比べをしましょう。私が負けたら、そちらが飲まれた分を全て支払わせて頂きます。」

「は?」

年端のいかない少女に酒の飲み比べの挑戦を受けるとは!

「その代わり、私が買ったら、全てのお支払いをお願いしますね。」


第二公子の親衛隊はどっと笑った。一方、ハラハラして見守っていたその他の客と宿の主人は、真っ青になった。

「リンちゃん!」「大丈夫ですよ、女将さん。私、負けませんから。」

「はっ、こりゃあいい。やろうぜ。おい、値段の高い酒から持って来い。」


『ウィン、ミルとシルに油断しないように伝えて。それとアスクレイトス、お願いします。』

アイリは風の精霊ウィンディラに馬車止めで鍛錬中であろう弟達に伝言を頼むと、地の精霊に呼びかけた。水の精霊と地の精霊はまだ目と口が封じられたままだが、意思疎通は可能だ。色々解放の為に手を尽くした時に、既に名前は決めていた。水の精霊にオンディット、地の精霊にアスクレイトスと。

アスクレイトスは上半身が少年、下半身が黄金色の蛇の土の精霊だ。そして非常に酒好きだった。酒と聞いて魔石からゆらりと姿を現し、封印されているはずの口から、チロリと先端が二股に分かれた細い舌を伸ばした。するすると昇ってアイリの左肩に座るが、その姿を誰も見ることは出来ない。この精霊は隠業に優れているのだ。


不機嫌を前面に押し出して、宿の料理人が蒸留酒と盃を持ってきた。

「ひゃっほぅ、こりゃあ、すげえ。」

男は決して飲めないと思っていた目の前の高級酒に舌舐めずりをしている。男の仲間達も、自分達も飲みたい、と羨ましげに瓶を眺めた。テーブルに酒を置いて一歩下がった料理人は、ルールの確認をする。

「一対一でお互いに盃一杯を交互に飲む。先に潰れた方が負けだ。途中、棄権も認める。口を出すのは構わないが、手を出したら、その時点で負けだ。だが、踏み倒されちゃたまらない。あんたらはその第二公子様の親衛隊の紋章と剣を差し出しな。リンちゃんは、」

「私は、乗ってきた馬車を担保にします。あれは、今、大躍進中のラファイアット商会の馬車だから。」

飲み比べに勝てば、確保を命じられている魔導車も手に入る!親衛隊員達は色めきたった。こんな簡単で美味しい仕事は無い、とすら思った彼らの表情が、驚愕に強張るのは2本目の蒸留酒がそろそろ空になろうかという頃だった。


「ふふっ、美味しいですねー。」

ほんのりと染まっている頬、トロンとした瞳、盃を持つ手もゆらゆらしているにも関わらず、少女は、次を注ごうと酒瓶に手を伸ばした。その向かいでは、真っ赤な顔をした男が、椅子からずり落ちそうになっている。目の前に口の付けられていない並々と酒の注がれた盃。

「リンちゃん、その一杯は、相手が飲み干してからだ。」

慌てて、審判をしている料理人が止めた。

「あれぇ、そうでしたかぁ。うふっ。じゃぁ、早く、飲んでくださーい、私が次、飲めないじゃ無いですかぁ。」

「おい。」

焦った別の親衛隊員が、声をかけた瞬間に、男は、椅子から転げ落ちた。どう見ても酔い潰れている。

「おおーっ!」「やった!」「すごいぞ、嬢ちゃん!!」

固唾を飲んで勝負を見ていた客達から、歓声が上がった。

「いや、まだだ。次は、俺だ!」

倒れた仲間を別の仲間が引きずっていき、別の男が代わりに席に着いた。

「おい、もう勝負は着いてるだろう。」料理人が気色ばむも向こうも必死だ。

「飲み比べの相手が一人とは言ってねぇ!」

何と言う言いがかり。その場の全ての人間を敵に回したが、ただ一人、相手をする少女だけが、賛成した。シュッと右手をあげ、「はい、やります。飲みまーす。」と、一気に盃を傾けた。見えてはいないが、その手首に蛇の尾を巻き付けて、アイリの指の間から、クピクピと酒を飲み干していく土の精霊がいる。

そして、しばらくの後。ガゴン、と大きな音を立てて、二番目の男もテーブルに突っ伏した。

「もしもーし、終わりですかぁ。私の勝ちで、良いですかー。」

「まだだ!」

三人目が名乗りを上げた時、見守っていた客達は、もう何も言えなくなった。そして、三人目も潰れた時、人々は、やはり、これには何か裏がある、と信じざるを得なかった。

見た目、アイリは酔っ払いだ。だが、確実に盃を空けていく。

「イカサマだ、お前、一体、何をしている?魔法か?」

仲間で魔法を使える者に助言を求めても青い顔で首を振る。「魔力は動いていない。」

「さて、手品の種は何でしょう?」

「ふざけるな!」立ち上がって、アイリに向かって腕を伸ばしかけた四人目を周囲が必死に抑えた。手を出せば、負け、のルールだ。だが、このままでは・・・。

結局、四人目も酔い潰れた後、支払い金額に青くなった親衛隊員達は、仲間を抱き抱えて撤収して行った。担保として親衛隊の紋章を7つ残して。


「リンちゃん!」

わっと皆がテーブルに集まってきた時、アイリはにっこり、笑顔を見せた後、コテンと眠ってしまった。「おやおや」「まあまあ」「幸せそうに、寝てるなー。」「大した子だよ」「良いもの見せてもらったなー」

思い思いの言葉と幾許かのお金を置いて、客達も帰って行った。


「寝ちゃってるねー。」「寝ちゃってるなー。」

完全に親衛隊員たちが撤退した事を確認して、宿の中に戻ってきたミルナスとシルキスは、幸せそうに眠っている姉をつついたが、起きる気配が無いのに溜息をついた。

「カイ兄、ちょっと馬車まで運ぶ手伝い、いい?」

「あいつらが戻ってきたら心配だから僕ら馬車で寝ることにします。ご迷惑おかけしました。僕、片付け手伝うので、シル、先、戻ってて。」

酒瓶やコップを慣れた手つきで集めながら、ミルナスが指示をだし、シルキスはカイの楽器や荷物をまとめて、二人は大事な姉を吟遊詩人に委ねた。

「宿に迷惑がかからないように入り口に張り紙をするのはどうでしょうか?」

そう言うとカイは、サラサラと認め、女将に渡した。


“親衛隊紋章の落とし物、あります。問い合わせ先;公国守備隊“


「カイ兄、賢い!これ読んだら、紋章はここに無いと思うぜ、絶対。」

ニヤリ、とシルキスが笑い、宿の女将も

「そうですね、今夜はもう遅いので、守備隊には連絡だけ入れることにします。流石に、今夜中に問い合わせすることはないと思いますし。」と了解した。


翌朝一番に宿の扉を開けて現れたのは、この国の第三公子、その人だった。

コルドー大陸ではお酒は成人(16歳)以上が一般ですが、イーウィニー大陸では年齢制限はありません。アイリの飲んだお酒のアルコール成分は全てアスクレイトスが事前に摂取しており、ほとんど水です。空中に漂うアルコールもアスクレイトスは回収してますが、少しはアイリの体に入ってしまったようです。飲み屋の雰囲気で酔っぱらってる、とも言います。アスクレイトスは蛇で蟒蛇ウワバミです。

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