59 懐かしい薬師の家
「とりあえず、移動します。家畜達は、検疫に2日かかりますから、船に乗せたままで。私たちはラファイアット商会のダブリス支店に行きましょう。」
うっすらとまだ頬を染めたままのヨシュアが促して皆ぞろぞろと動き始める。と言ってもルーとマリの護衛に4名を従えただけで、その他のクルーは船で待機だ。インディーは今回の家畜輸送の責任者を任じられており、船から離れることは出来ない。
またな、と手を振り合って彼らと別れ、アイリ達は賑わう船着場を後にした。
ラファイアット商会ダブリス支店は、港に程近いが大通りから外れた裏街にあった。
「ここって・・・。」
ちょっと雑多な、色々な商店が並んだ道の更に奥、そこは、もう10年近く前、アイリとナキムが初めてラモンに会った不思議な薬師の店、だった。
「そうです。私の“何か不気味な“店です。」
『あ、まだ覚えてたんだ。』
シモンの言葉にアイリは遠い目をして、初めてこの店を訪れた時の事を思い出していた。あれは、2回目のやり直しの記憶を取り戻して数ヶ月後、熱を出してキャラバンと別行動でダブリス入りをした当日。待ち構えていたナキムが連れていた猿の魔物とそれに付いていた精霊。その治療をした薬師に興味を持ったのが彼らに会うきっかけだった。
「あ、アイリは来たことがあるんですね。ここはシモンさんが薬師をしていた時に住んでいた所なんです。ラファイアット商会の原点なので、大通りの利便性の高い場所を購入することも出来るのですが、ここを支店登録したんです。」
アイリ以外は何度か来ているのだろう、皆、思い思いにくつろげる場所に座り、事務員さんが入れてくれるお茶を受け取っていた。
「懐かしい。あの時と違って、すっごく片付いているね。あの時は子供だった私でさえ、座れる場所を見つけるのが大変で、結局、本を除けなかきゃいけなかったもの。」
部屋中を見回して感動するアイリの言葉に皆の視線がシモンに突き刺さる。
「えぇーっと、それは、その、・・・済みません。」
しゅんとするシモンの頭を膝に抱っこされたマリが撫で、シモンが悶え、ラモンに入れ替わった。全く、入れ替わりが激しすぎて、ついていけなくなりそうだ。
「それにしても、本当に久しぶりです。もう、アイリはこちらに戻ってこないのではないか、と思っていました。」
支店長の机に座り、書類に目を通しながら、ヨシュアが言った。彼の後ろにいた支店長はサインをもらうと一礼して出ていく。
「・・・うん、まあ、そう、思われても、仕方ないかな。でも、みんなの事を忘れてたってわけじゃなくて、」
「そんな事はわかってますよ。向こうでも、色々してくれていることは、ルーさんから聞いてます。」
上手く伝えられない事にイラついて、ヨシュアは銀縁眼鏡を外して、こめかみを揉んだ。「そういう意味ではなく、戻ってきた理由を教えてくれませんか?何かしたいことがあるのでしょう?」
「あなた、フランク商会を通じて傭兵ギルドに護衛をお願いしてるでしょう。隠しても無駄です。」
ギョッとするアイリに、ほれ見たことか、とミルナスとシルキスの視線が注がれ、ルーは秘密にされていた事にショックを受けた表情で彼女を見た。
フランク商会はここヴィエイラ共和国の御用商会で、5年前のフェラ砂漠越えで同行していた。その時に一緒になった傭兵たちの所属するギルドに今回、アイリは南の大森林までの護衛を依頼したのだ。魔人の噂は、フェラ砂漠の南ルートで流れていた。今回、ルー達は北ルートでノルドベールに立ち寄ったのち、ウィト王国に向かう。アイリの目的とは大きく異なる為、別行動を取るつもりだった。
ルーに相談すれば、人を割いてくれるのはわかっていた。だからこそ、黙っていたのだが。
《アイリ、アタシは》
《ルーを信じてない、とか、そういう問題じゃないよ。》
傷ついた表情を見せる年上の友人に、慌ててアイリはそれ以上言葉を発する前に被せた。
《遠慮とか、そういうんじゃ無いの。単純に効率の問題。ブラフ海賊のみんなを私の私用には付き合わせられない。当主のルーなら、そう判断するよね。でも、友人のルーは私の為に誰か同行させたいと思うでしょ。だから。私はルーにそんなことで悩んで欲しく無かった。》
《船に乗せて、コルドーに連れてきてくれた。それだけで、十分だよ。》
《それは、ちゃんと、アイリは仕事をしてくれて。》
《うん、わかってる。だから、ここから、一緒に行かない私は、ルーの仕事を手伝えない。だよね。》
ルーは無言だ。同席しているブラフ海賊も無言。アイリの言っている事は間違いない。間違いではないのだが、今のマリより少し大きいぐらいの頃から彼女を知っている者達は、頭で納得しても気持ちが納得しないのだ。
「あー、まあ、なんだ。愛し子ちゃんももう15?16?いい加減独り立ちしても良い年だろ。立派な精霊も付いてることだし。そんなに心配しなく、って、心配なら、それこそ腕の立つ傭兵を五人でも十人でも雇ってやれば?」
「え、あの、そんなに予算は」
ラモンが“心配しなくて良い“と言いかけ、ルーに殺気を込めて睨まれ、マリがびくつき、慌てて言い直す。
「あ、僕とシルも一緒に行くんで。」
「《はあ!?》」
「ねーちゃん、母さんの事、甘く見過ぎ。俺たちはねーちゃんが暴走しないように今回付いてきたんだー。」
実力はどうあれ、益々、子供達だけでの魔人探索など許可できなくなった。
結局、ルーはブラフ海賊貴族当主としての立場で決断せざるを得ない。別行動と海賊団のクルーを同行させることは泣く泣く諦めたが、傭兵を雇うお金は出すことは譲らなかった。王族の護衛もこなせそうな優秀や者を雇う、なんなら今、噂の勇者候補でも、と鼻息も荒いルーを先頭に、一行は翌日、傭兵ギルドを訪れた。アイリは心の中でミルもシルも来るなら、三人で十分じゃないか、と思わなくも無かったが、折角のルーの好意をこれ以上無碍にするわけにもいかなかった。ただし、初代を殺した勇者はいらないと思ったが、今はまだ、“勇者“はいないはずなので黙っていた。
しかし。
【ウィン!】【任せて!】
入っていった傭兵ギルドで高額依頼に割り込んで売込みに来た青年の顔を見て、アイリは、風の精霊、ウィンディラを拳に纏い、その男の腹を力一杯殴った。
「この人殺し!」
ギルドの壁に叩き付けられた青年に向かって、叫んだアイリの両横に、火と風の精霊が凄まじい魔力を纏って顕現していた。




