6 思いがけない出会い
シャナーン王国王都シャナーンの城壁は前後に深い堀を持つ。キャラバンは外堀の手前に馬車を止めた。王都内の広場は、大手の一座が押さえているか、お祭り価格で跳ね上がった賃料が手の届く値段では無かった。それでも、キャラバンは王都の東門の近くに小屋をかける事が出来た。ここなら、門を出入りする人々に一座の出し物に興味を持って立ち寄ってもらう事が出来る。在位20周年記念式典は明後日から始まる。既に、地方領主や近隣国の使者は王都入りを済ませ、社交に励んでいるだろう。これからやって来るのは、ちょっと余裕のある平民が多くなる。アイリ達キャラバンのお得意さんだ。
今回の目玉はシャナーン王国建国王の武勇伝を単純に演じるだけでなく、歌と踊りを交えた新しい試みだ。音楽も入る為、一座のほぼ全員が参加する大掛かりな出し物になっている。舞台設営、観客席の準備、案内や呼び込み、つまみ・飲み物の手配等、仕事は山程あった。母も姉も舞台に出る為、アイリは先日と同じ様にミルナスを背負い、動物達の世話をしていた。
「市井の者は、あんなに小さな者でも働くのか?しかもあの者は赤児を負うているでは無いか!」
「殿下、あれは我が国の民ではありません。世界には住む国も土地も持たず、旅の中で一生を終える者もいるそうです。」
「しかし、それでも、不用心では無いか?今は父上の在位20年の祝いに各地から多様な者達が王都に集まっている。中には不心得者もおろう。」
「・・・それはそう、で、ございますね。」
アイリは飼い葉桶を持ったまま、その場に凍りついた。今回、キャラバンは、芝居小屋を道に面してかけ、馬車を四方に配し、その中に生活スペースを取った。動物達は外堀の手前、近くに灌木もあり、ちょっと繋いで置ける様に場所を取っていた。にも関わらず、その会話はアイリの直ぐ近く、所謂、関係者以外立ち入り禁止、の場所から聞こえて来た。そしてその内容。間違いなく、変声期前の少年と幼いながらも凛とした10年後を忍ばせる少女の声。
ギギギと音のしそうなガチガチに強張った体と心を、無理矢理声のした方へ向けたアイリはそこに、こんな所で、こんな時に出会うはずの無い、二人を見つけた。手にしていた飼い葉桶をぶち撒けなかった事を褒めて欲しい。アイリはその場に崩れ落ちた。
「そう畏まらずとも良い。今は身分を隠している。」
『いや、待て、そう言った事自体、身分が高いと言っとるだろうがー。って言うか、殿下、って、そっちの人、殿下って言ってるから。』
心臓はバクバクと打ち、嫌な汗がダラダラ流れ、口の中はカラカラなのに、アイリは心の中で突っ込んだ。
「殿下、怯えさせていますよ。」
『いや、だから、殿下はやめて、ダイアナ様。それ全然お忍びになってないから。』
もう、何がどうしてこうなったのか、アイリはただひたすら、地面を見つめて、何事も起こらず、彼らが立ち去るのを祈っていた。
にも関わらず、アイリの目の前に美しい刺繍が施されたドレスの裾がひらりと舞い、凛としてそれでいて柔らかな声が、柑橘系の香水の香りと共に降りて来た。
「お仕事の邪魔をしてしまった様で、申し訳無かったわ。わたくしと殿下は、陛下の20周年記念式典に色々面白い催しが開かれると聞いて、お忍びで出てきてしまったの。そうしたら、殿下が見たことのない馬がいるって、駆け出してしまって。ここに入ってしまったのよ。」
『あぁ〜、アル様の馬好きはこの頃にはもう、確立していたのですね。』
「酷い言われようだな、ダイアナ。私もそれ程考え無しではないよ。」
『どうしよう、アル様までこっちに来た。』
「見た事が無いものに興味を惹かれるのは、当たり前だろう。?君、言葉はわかるかい?」
下を向いたまま微動だにしないアイリに、眉を寄せてアルブレヒトは尋ね、ビクリと跳ね上がった肩を見て、溜息をついた。
「私達が怖いかい?・・・そう、だね。私は愚かだな、一体、何を期待していたのだろうね。もし、私やダイアナに何かが起こったなら、きっと、この子やこの赤児でさえ関係者と見做され、処罰を受けるのだろう。どんなに私が違うと叫んだ所で、何も変わりはしないのだ。」
アルブレヒトの言葉は11歳の少年とは思えぬ程、深い悲しみを含んでおり、アイリは思わず顔を上げてしまった。青空を思わせるロイヤルブルーの瞳はアイリに向けられている様で、しかし、アイリを写してはいなかった。
「殿下。」
そっとその腕に手を添えて、ダイアナ・ミルフォード公爵令嬢は、この場を立ち去るべく促した。
「あ、あのっ。」
声をかけてしまってからも、アイリの頭の中はぐちゃぐちゃだった。やめて、駄目、と蹲るアイリとこれはチャンス、と叫ぶアイリ。感情は黙れ、と怒鳴り、理性はこれを機会に二人に近付くべき、と諭す。
その時、お昼寝から目覚めそうなのか、背中のミルナスが「ふえっ」と小さくぐずった。アルブレヒトの瞳が焦点を結び、一瞬、透き通る様な笑顔を浮かべ、やがて、光が徐々に失われていった。