幕間 奪われし者達
今の人生を共に生きている関係者達ですが、前世ではそうでは無かった救いのない小話です。2代目アイリが死んだ後が舞台です。
「アイリ!」
少年の伸ばした手は虚しく宙を掻き、少女は聖堂奥に連れ去られた。抵抗した少年は少々、神兵に痛めつけられ、聖堂の階段下に放り投げられた。
「アイリ!返せよ、何なんだよ一体。俺たちは祭りに来ただけじゃないか。何にも悪いことなんてしてないのに、なんで、俺から、アイリを取り上げるんだ!」
声を枯れよ、と叫ぶ少年にむかって、再度現れた神兵が、袋を投げつけた。
「金だ。それを持ってさっさと立ち去れ、あの娘は精霊様に認められた聖女になったんだ。お前の様な子供とは住む世界が違うんだよ。」
袋の紐が緩んで金貨が地面にこぼれた。それに向かって、わらわらと人が集まってくる。最初は神兵を見やって恐る恐る。何も言われないとわかると、少年を押し退けて、金貨の奪い合いが始まった。突き飛ばされ、蹴飛ばされ、金貨争奪戦から弾かれる。馬鹿にするように冷たくその争いを見下ろして神兵は、その金貨の本来の持ち主に一欠片らの興味も残さず、聖堂に戻って行った。
こぼれた金貨は全て奪われてしまった。ボロボロになったナキムに残されたものは何も無かった。
共に育った幼馴染を目の前で聖徒教会に奪われ、不甲斐なさからキャラバンに戻ることも出来ず、よろよろと這いずる姿は地虫の様だった。
「待ってくれ!妹を連れて行かないでくれ!税なら何とかするから。」
縋り付く少年に官吏は冷たい目を向けた。
「そうして、数ヶ月待った結果がこれだ。彼女を聖徒教会が保護するだけで、この村は2年もの間、税金を免除される。これが、どれ程、例外的な温情なのかわからないとは。」
これだから野蛮人は、と小さく呟く声は、嗚咽を零す少年には聞こえなかった。
「わかっています。わかっているんです。だけど、それでも、妹はまだ10歳なんです。代わりに俺を連れて行ってください。力仕事でも汚れ仕事でも何でもします。」
少年の懇願に、官吏は全く心を動かされなかった。聖徒教会には力仕事も汚れ仕事も喜んでする人間など、それこそ、掃いて捨てるほどいる。しかし、この銀髪の小さな少女の様な聖女になりうる精霊付きは、ここ数年滅多に現れる事が無かった。だから、2年もの税金の代わりとなり得るのだ。
「話にならないな。村長、このような事態にならないように、と念を押していたはずだ。免除期間を短くせざるを得ないが?」
官吏の言葉に遠巻きに見ていた村人の中から、男達が慌てて前に出て、縋り付く少年に手を伸ばした。
「お兄。」
官吏の横でずっと俯いて涙を堪えていた少女がその様子に顔を上げる。
「私は、大丈夫だよ。お兄こそ、元気でね。・・・お待たせしました。行きましょう。」
彼女は最後に村人たちに顔を向け、深々と頭を下げた。「畑をよろしくお願いします。きっと、うまく行きます。そしたら、もう、税金に困ることもありません。」
「クィン・・・」
誰もが同じ気持ちだった。誰が好き好んで、村に一人しかいない優秀な薬師の卵、ましてや語り部の血を引く者を差し出したりするものか。何故、下賤と下げずむ国の為に、同胞を犠牲にしなければならないのか。遠ざかる馬車の姿が消えてもその場から動くものは一人もおらず、村人達の体に降り積もる雪も、人々の怒りの炎を消すことは無かった。
「お姉ちゃん、すごいね、聖女様になるの?」
何も知らないパン屋の息子はそう言って、自慢の姉を見上げた。
「なれるかどうかはわからないけど、その為のお勉強をさせてもらえるらしいわ。楽しみね。」
「えー、お勉強?そんなのが楽しみなの?」
「知らない事がわかる様になるって、素晴らしいじゃない?」
行ってきます、と微笑んで出ていった姉は、二度と戻って来なかった。貴族になるので平民の実家と縁を切る、と言われても少年は信じなかった。王都を出ていけ、と言われても信じなかった。何故なら、直接姉から言われた言葉では無かったから。代わりに少年は、姉との会話を信じ、勉強をし、色々な事を吸収していった。
そして、姉カタリナが預言の聖女カトリーヌ・ドミニクと呼ばれ、その力を良い様に利用された挙句、地方の聖堂に捨てられる様に移動になった真実を知った。迎えに行った先にヨシュアが見たものは、痩せ細り、何故か、「ごめんなさい、ごめんなさい」と謝り続ける、壊されてしまった姉の姿だった。その瞬間、少年の中で、何かが壊れた。
轟々と王都が燃えていた。息を切って大聖堂に駆け込んだ青年達が見たものは、血の海に倒れる幾人もの若い女性の姿。
その中に、唯一の銀色の長い髪を見つけた男は信じられないものを見たように、一瞬、立ち止まり、次の瞬間、駆け出した。
「クィン!」
見開かれた瞳は何も映さず、汚れた顔に涙の線が付いている。妹の伸ばされた腕の先にいる聖女を見下ろす青年もガタガタと震えていた。
「ア、アイリ?」
血に染まってしまった赤みがかった金髪。よく笑っていた口元から、流れる血。お互いに手を取り合おうとして届かなかった腕が、この二人の少女が友人だったのだろうと想像させた。
「「どうして!?」」
二人の青年が取り返したかった二人の少女は事切れていた。
「あー、間に合わなかったんですね、残念です。」
悲惨な現状に何の感慨もなく、こぼされた言葉に、青年は自分達をここまで導いた男の登場に気付いた。
「ヨシュア・・・。」
「助ける、って言ったじゃないか。聖女には手を出さないって。」
「僕にだって出来ない事はありますよ。あの傭兵達が、勝手にやったんでしょう。間に合わなかったのは、王宮制圧に手間取ったあなた達の不手際じゃないんですか?」
『僕だって、姉さんの救出に間に合わなかったんだ。これで、三人とも同じだ。』
亡骸を抱きしめて慟哭するナキム達を冷たい目で見下ろしたヨシュアに後ろから絡みつくように手が首元に回された。
「ヒヒヒ、おめでとう、ヨッシー。あー、何度見ても絶望の光景は美味しいねぇ。でも、ここも直に火が回るよー。さっさと魔石回収して、次、行こうぜぇ。」
異様に痩せた体とボサボサの茶髪。その間から覗く充血した白目。舌舐めずりする口から飛び出した犬歯は普通の人間より長かった。
「勝手にしろ。そこの二人も死にたくなければ、ついて来い。」
しかし、青年達は動かなかった。幽鬼の様な男だけが、嬉々として、聖女の遺体の胸にナイフを立てていた。「無い、無い。これも無い。ヨッシー、聖女の心臓は魔石じゃないよー。心臓じゃ無いなら、どこ?聖女の魔石、どこだー!」
「ラモン、あいつももう使えないな。」
魔傷に蝕まれ、ふたつの自我の間で麻薬に溺れた哀れな魂は、シャナーン王国と聖徒教会の終焉までは、役目を果たしてくれた。「だが、もう不要だ。」
大聖堂の大広間を出たヨシュアは、指をパチン、と鳴らした。出てきたばかりの建物の壁や天井の一部が砂と化し、支えきれなくなった部屋が崩れ落ちた。
「はい、おしまい。」
「これからどうしようか、カタリナ姉さん。」
燃え盛る王都を見下ろし革命を成し遂げた若き英雄は、つまらなそうに呟いた。
こんな結末を迎えないよう、今、アイリは頑張っています。
興味を持って頂けたら、⭐︎の応援よろしくお願いします。




