51 吹く風と共に
女装したヨシュアはハッキリ言って美少女だった。イーウィニーの民族衣装は色鮮やかな布を重ね合わせて作られており、体をゆったりと包む為、少年少女の区別がつきにくい作りになっていた。伸ばし始めた白髪もスカーフできちんと包まれており、スカーフの端をクルリを首に巻き付ければ、喉仏も隠す事ができた。挨拶後すぐに、幼い頃にイーウィニーに渡ったコルドー大陸人で、こちらの言葉はほとんどわからない、と告げらており、声を出さずとも不審に思われないよう予防線を張った。
《さて、ここらで一息入れようぞ。この館から見る王都は絶景じゃ。》
アルブレヒト王太子が立ち上がり、ルーを外へと誘った。
「皆様も、ご自由にお寛ぎくださいませ。カトリーヌ様、あなたもご自由になさってくださいな。」
ダイアナの言葉に、ガタン、と椅子が音を立てた。はっとして上げかけた頭を慌てて下げるヨシュアに、注目が集まらないよう、思わず、アイリも大きな音を立てて立ち上がった。次々と、周りの男達も立ち上がり、腕を伸ばしたり、肩を回したり、とサンルームは一気に賑やかになった。
《こら、お前ら、失礼だぞ。》
わざと騒がしくしていることに気づいているだろうに、ルーはそう言って、こちらに怒った顔を向け、王太子達に謝罪する。
それを軽く手を振って許し、外へといざなったホストに着いていきながら、《ジョシュもアタシの事は良いから、皆と楽しみなさい。》と、ヨシュアの頭を軽く撫でた。ジョシュとはヨシュアの今日の偽名だ。
アルブレヒトとダイアナ、ルーとムニ、シモンが去ったサンルームに、新たに入ってきた人物が一人。
「何かご不自由なことがあれば、私にお言付けください。」ときっちり頭を下げたのは、迎えにでた執事ではなく、明らかに貴族の子息と思われた。
「ハインリヒ・シュトラーゼと申します。王太子殿下の側付きをさせて頂いております。」
きっちりと着込み、神経質そうなメガネをかけたまだ20代前半と思われる男性は、アイリの前世の記憶にはない人物だった。まあ、あの頃のアイリは、アルブレヒト以外の男性は目に入っていなかったのだが。
それよりも、とアイリはヨシュアの所に小走りで近寄った。
《大丈夫?ジョシュ。カタリナさんなの?》
耳元で囁くと小さく頷かれた。先程より、随分近くにいるので、アイリにもカトリーヌ聖女の顔を近くで見る事が出来た。その容貌は、アイリが見かけたカトリーヌ聖女に似ているようでもあり、決定的に違う点が一つ。
彼女のベールから覗く髪は、ヨシュアと同じ白色だった。
!?
前世の記憶との違いに戸惑いながら、アイリはヨシュアの手を引いて、カトリーヌ聖女の前に立った。
「聖女サマ、この子、サガシテル人イルます。見つかるマス、か?」
ぐいぐい、ヨシュアがアイリの服を引っ張るが、今、このチャンスを活かさずどうする。いかにも不慣れな言葉を使った風に辿々しく話すアイリに、カトリーヌ聖女は優しく微笑んで、二人に目線を揃えるように屈んだ。
「もう、見つかっていますよ。」
「久しぶりね、ヨシュア。とても・・・、・・・美人さんになったわね。」
「なっ、姉さ・」
慌ててアイリはヨシュアの口を塞いだ。もぐもぐと彼女の掌の向こうで、唇が動いて、ヨシュアの顔が真っ赤になっていた。
そんな彼女らをじっと見つめるハインリヒ。そのハインリヒの行動に警戒を強めるブラフ海賊団の面々。
その時、コンコンとドアをノックする音に続いて、執事が顔を出した。
「ハインリヒ様、準備が整いましてございます。」
そうして連れられていった先の中庭で、アイリは更に驚くことになる。
そこにいたのは、かつての仲間達、ナキムを始めとするキャラバンの面々だった。
「皆様、本日は、わたくし共、“吹く風と共に団“の曲芸をお楽しみ下さい。」
懐かしい団長の口上と共に、動物たちが現れ、玉乗り、輪くぐり、障害物競走などを可愛らしさ溢れる芸を披露した。飛んだり跳ねたりする軽業師の妙技にハラハラする。昔見たことのある芸に加え、初めて見るものも多く、数々の妙技に、アイリは元より、ヨシュアもブラフ海賊団の面々も現実のあれこれを忘れて見入ってしまった。
ふと、此方を見るといつの間にか用意されたテーブルにルー達が座っており、彼らも熱心に鑑賞していた。寄り添って座るアルブレヒト王太子とダイアナ大聖女。お似合いだなあ、とちょっぴり寂しく思う。アイリの横には顔を寄せ合って小声で話をするカタリナさんとヨシュア。目立たぬように特に体の大きなクルーが周囲に立って、アルブレヒトやハインリヒの視線から隠していた。
そして最後に、ナキムと白猿ピノが現れた。ナキムの腰にはナイフホルダーが巻かれていた。ずっと憧れていたナイフ投げを、舞台で披露できるほどの腕前になっていることが、アイリは自分のことのように誇らしかった。ピノは大きな板を持っており、それを木箱を積みあげた前に立てかけた。木箱からリンゴを取り出すと、一つは自分の頭に一つは左の手に持った。更にもう一つ取り出したそれをシャクシャクと齧って、芯だけになったそれをナキムに向かって放り投げ、何が起こるのかと固唾を飲んで見つめていた観衆の笑いを取った。そうして改めて、取り出したリンゴを器用に尻尾で持ち上げ、最後に右手にも果実を持つとナキムを真っ直ぐに見た。
ナキムはその間、ずっとナイフを手の中で遊ばせている。まるでナイフが意思を持っているかのようだ。時には高く放り投げ後ろ手に捕まえたり、ジャグリングのように取り回したり、少し間違えれば指が飛ぶ大怪我に繋がる動きをピノとの掛け合いをしながら続けていた。そして、ピノの準備が整った時、ナキムは一瞬の間もなく、次々、ナイフを放った。
ピノは微動だにせず、ナキムの放ったナイフは見事、4つの的、リンゴの中央を射抜いていた。
一瞬の静寂の後、割れんばかりの歓声と拍手が湧き上がった。
『凄い、凄い、凄い。』
アイリは感動で声も出なかった。ただ、必死で手を叩き続ける。ナキムも凄いがピノも凄い。動物が、ましてや魔物が、ナイフを投げられて、微動だにせず立っているなんて。余程、ナキムの事を信用していなければ、不可能だ。
舞台の上では照れた様にはにかむナキムとその足元でシャリシャリとリンゴを食べるピノ。自分がどれほど凄いことを成し遂げたのか、全く理解していない様な姿が微笑ましい。
最後に出演者が勢揃いし、座長が閉幕の挨拶をするともう一度、見ていた者達から盛大な拍手が送られた。座長とナキムはそのまま王太子の元へ案内される。それを目で追いながら、アイリは自分達とは別の集団が、中庭の端に集っていたのに気が付いた。
服装から、この別邸に勤めている者達と思われた。使用人達にも、キャラバンの芸を見せてやろうという計らいに、アイリはダイアナの優しさに触れた気がした。使用人達は小声で楽しそうに語らいながら持ち場に戻っていく。その中に、きらりと輝く銀髪を見つけて、アイリは呆然とし、そして、その姿が消えた先に向かって自分も走り出した。




