49 燃える石
北方連山はコルドー大陸を東西に横断する背骨のような非常に険しい山脈が連なっている。この山脈が壁となってシャナーン王国を始めとする中央諸国は大陸北の国家との交流がほとんど無い。隣のイーウィニー大陸を介して入って来るそれらの情報は、決して穏やかなものではなく、幾つもの国家が生まれては消えて行く、乱世を呈していた。ここ数年は、一つの国家がその中で台頭し、まとまりつつあるとの話だったが、そんな好戦的な国家が、次に狙うのはこちら側では?と動向を注視する為政者もいる。
そんな峻険な山脈と言えど、人が移動できる箇所が全く無いわけでは無い。クィン・リーの一族はそんな北方連山の北側から山を越えてやって来た一族と言われていた。独自の文化を持ち厳しい北の地方で逞しく暮らす騎馬の民にくびきをつけたのは第八代大聖女の北夷征伐。そして、融合が進んだ今も、その出自故に蛮族と嘲られている。
一年の三分の一を雪に覆われる寒さの厳しい北方連山麓の一帯は、ドラゴンのお陰で魔物被害が少なく、林業・鉱業を主な産業とし、騎馬民族の名に恥じない見事な名馬を産した。その技を持って傭兵としても名高かった彼らは、北征後の圧政により、その牙を抜かれてしまった。ように思われていた。
しかし、二代目アイリの時代。重税の形に一族の有能な娘を差し出さねばならなかった屈辱は彼らを復讐者に変えた。クィンの研究で見出された植物から抽出した鎮痛効果のある薬の依存性を高めることは容易かった。その薬の与える多幸感はこれまでの嗜好品の比ではなく、貴重性を高めた売り方で巨万の富を手に入れた。
そして、今回、アイリの交渉の鍵となる鉱石。それを遠く離れた南のダマルカンド公国に売ることで、娘を奪った国を滅ぼす事に成功した。奪われた娘を一緒に失うことになったとは言え。
クィンが聖女にならなければ、防げたはずの悲劇だ、とアイリは思っている。薬は本来の使われ方で多くの人を苦しみから救っただろう。クィンが自責の念に心を病むこともなかった。そして、問題の鉱石は、
《魔力を使わない動力源?》
「そう、魔石に代わる鉱石、魔力では無い別の力を生みだす石。ノルドベールではあまりにも一般的に使われすぎて、そんな貴重な物とは思っていなかった石。それを使って魔石と同じように色々なものを動かすことが可能となるの。」
そんなものが出回れば、魔石の供給が資金源の一つである聖徒教会は大打撃を受ける。
「それってまさか、“燃える石“の事?」
頷いたアイリにヨシュアが目を丸くする。レオナールの私塾で学んだ各地の産業の中でチラリと出てきたはず。ノルドベールでは長い冬の暖房に“燃える石“を使う、と。そんな一文を覚えているなど流石はヨシュアだ、と思う。
そして、先程から黙り込んでいるラモンにかすかに持っていた疑問が浮かんでくる。“砂漠の船“に使われていた“地熱を駆動力に変える機構“。二代目アイリの時代、今から7年後には実用化され、シャナーン王国侵攻に使われた馬車に代わる移動手段としての“車“。それに応用された“燃える石“を用いた駆動機構の開発者はラモンでは無いのか?
見つめるアイリの視線を全く意に解さず、ラモンは思考を続ける。
一方、ルーは“魔力を使わない動力源“が“燃える石“である事は理解したが、何故それがアイリの友人を救うのかはまだ結びついていなかった。
《その“燃える石“を取引する為に商人が必要なのか?何故、ヴィエイラ共和国御用商会のフランク商会に頼まなかったんだ?》
「あの人達は、急ぎでウィト王国へ行かなくてはいけないでしょ。北方連山まで一緒に来ては貰えない。ルー達が来てくれる予定だったから、信用は得られると思ってたし。あ、でも、手紙書いてもらう事ぐらいは出来るかな。頼んでみよう。少しでも安心してもらえる方が良いもんね。」
うんうん、と一人で頷きながら、今後の予定を組んでいくアイリにルーは頼もしいと思うと共に、やはり一緒に帰ってはくれないのか、と内心肩を落とした。しかし、すぐに商人だけでなく、腕の立つ護衛もつけてやらねば、と幾人かの候補の顔を思い浮かべた。
「愛し子ちゃんさー、その“魔力を使わない動力源“と“燃える石“の事、なんで俺様に黙ってた訳?」
怒り?苛立ち?不満?それらの負の感情が混じり合った、ほの暗い雰囲気を纏って、ラモンが言った。決して大きな声ではなく、むしろ普段のラモンからすれば穏やか、と言える話し方だったが、思わず、ヨシュアがヒッと息を飲み、ルーが腰の剣に手を伸ばした程、剣呑な殺気すら感じさせた。
「そゆの俺様の専門だよねー。わかってて黙ってたンだ。傷つくよなー。」
『ラ』「うっせ。黙ってろ、ボケ。」
必死で宥めようとするシモンが表層に現れるのを力技で押さえつけて、ラモンは続ける。
「俺様の“砂漠の船“見たよなー。あれさー、大きな魔石なら全然簡単なわけ。それをわざわざ、すっっごく魔力の関与を少なくして、地熱と風力を組み合わせて、動くようにしてンだけどさー。その“燃える石“があれば、そんな苦労いらないよねー。でぇ、きっともっと大きなものが作れると思うんだよなー。」
クックッと楽しそうな寒気のする笑い声を立てる。
「でぇ、なんで黙ってたって聞いてんだよ!」
ダン、と強く足を踏み鳴らす。
《ラモン!》
大きな音に今度こそヨシュアはラモンから飛び退き、ルーはアイリを抱き寄せて、剣を鞘ごとだが、引き抜いた。戸口からバラバラとブラフ海賊団の面々が戦闘体制で飛び込んできた。
「別に“燃える石“は秘密では無いよ。私もヨシュアも塾で習った。ただ、それをどう使うか、に新しい技術が必要になる、というだけの話。そしてそれは、確かにラモンの専門だけど、ラモンはどう使うか、を私に教えて欲しかったの?」
ルーの守りの手を押さえて、アイリは前に出た。「違うよね。そここそ、ラモンが作り上げるべき技術なんだから。」
怒れるラモンに一歩も引かず、主張するアイリに、周囲は目を見張った。「でも、怖いとも思った。きっと、ラモンが知ったら、この世界は変わってしまう、って。だから、黙ってた。」
その言葉に、ますますラモンが激昂するのでは、と恐れる周囲を他所に、一瞬キョトンとしたラモンは、じわじわと言われた事の意味を理解すると、顔を真っ赤にした。
ブチ切れる、と身構えるルー達の前でラモンは片手で口元をおさえる。もう一方の手はかすかに震えていた。堪えきれない怒りを必死に押さえているようも見え、食いしばった歯の間から、切れ切れに音が漏れる。
「お、お前、それ、・・・ぶふぁっ。あ、あはっ、あは、あはははっ。」
しかし、堪えきれなかった笑いが、息と共に吐き出されると、もう、ラモンは体を折って笑い続けた。アイリも周りも呆気に取られるしかない。
ひーひー、さんざん笑い続け、ルーに頭を軽く殴られて、やっとラモンは笑いを収めた。その目には涙さえ浮かんでいた。
「俺様が知ったら世界を変えてしまう、って。一体どういう殺し文句だよ。ほんと愛し子ちゃんって策士。そんな事無邪気に言っちゃうとかさ、惚れちゃうよ。俺様と結婚、ぐはっ。」
ルーの正拳突きが綺麗に決まった。
悶絶するラモンをさらに踏みつけようとするルーを宥めながら、『本当のことなのにな』とアイリは思っていた。




