41 脱出行
商人達の待つ砂のドームに着いた時、まだ、日は十分に高かった。直ぐの移動を主張するアイリに何とか、夕方までの休憩を認めさせると、ルーはラモンを呼び出した。アイリの精霊の状態を確認する為だ。あの場に立ち会ってはいても、ルーは何が起こったのか、その半分も理解できていなかった。
シモンを通して全てを見ていたラモンにしても、それは同じ事だった。突然、現れた精霊達と楽器を奏でるような音、よく似た音がアイリ口から発せられて初めて、それが“声“ではないか、と思い至った。その“声“は、周囲の魔力だまりに負けない程の“深さ“を持った声だった。
「火と風の精霊は、完全に拘束は解けてる。水と土は変わってない。ああ、俺にも半人半獣に見えてるよ。あの姿は具現化されたものだ。だって、愛し子ちゃんが火の精霊に乗っていただろう。風の精霊だって槍、持ってたし。」
「大体、精霊の物質化なんて、滅多に起きる事じゃ無い。俺様だって、テラ様の竜ぐらいしか知らない。」
「アイリに負担は無いのですか?」
「俺様が知るかよ。本人に聞いてくれ。って、愛し子ちゃんはどうしてるんだ?」
心配そうにルーは車を振り返った。アイリは荷台に腰掛けているが、槍を抱え、背にはボウガンを背負ったまま、表情も硬い。神経が張り詰めたままだ。既に精霊達は魔石に戻っていた。その横にはヨシュアが所在なく立っていた。
「あんな調子で良い訳がないわ。あの子の為にも、早く出発したいのだけれど、逃げてくる時に、砂漠トカゲに無理をさせたから・・・。」
「焦ったって、ろくな事にはならねーぜ。お嬢さんの判断は間違っちゃいねーさ。ちゃんと見張りも立ててるんだろ。ちっとは休んだらどうだ?」
しばらく、悩んだ様子を見せたが、ルーは首を振ると話題を変えた。
「スライム、と言っていた。家族の仇の様なことも・・・。私は見たのは初めてなのですが、どんな魔物なのですか?」
「・・・。あー、シモンに代わるな。」
最後にくしゃりと鼻の頭に皺を寄せて、ラモンが引っ込み、撫で付けてあった前髪を目の前に引っ張りながら、シモンが現れた。
「えぇーっと、お疲れ様です。何か飲みながら話ししましょう。」
そう言うと、シモンは蜂蜜のたっぷり入ったお茶を作り、ルーに渡すと共に、アイリ達の元に持って行った。
両手で槍を握り締めるアイリに向かって、温かなカップを差し出しながら、しゃがみ込んで視線を合わせ、ゆっくり話しかける。
「これを飲んだら、出発しますよ。熱いですからゆっくり飲んでください。」
彼女の左指を一本一本槍から剥がしていくと、そこにカップを軽く押しつけた。
「ヨシュアさんもどうぞ。」
アイリはシモン、ルー、ヨシュアが飲むのをじっと見ていたが、さあ、と促されて、コクリと一口飲んだ。
「・・・甘い。」
「ね。」
邪気のないシモンの笑顔に頷いて、残りをゆっくりと飲み干したアイリは、そのまま、ぐらりと前に揺れ、シモンの腕の中に倒れてきた。
「眠ったの?」「はい。」
ほーっと、周囲から安堵のため息が上がった。
アイリの纏っていた気配が、使い魔はもとより、砂漠トカゲや人間達の緊張を高めていた。事情を知らないフランク商会の二人とその護衛も詰めていた息を吐きだす。
黙ってアイリに睡眠薬を盛ったシモンに誰も文句を言わないのは、それだけこのドームの中の緊張が高まっていた証拠だ。
《さあ、今夜は、魔力を使って夜通し走るぞ。武器の手入れを怠るな。交代で腹ごしらえと休憩を取れ。日が沈むと同時に出発だ。》
「えぇーっと、皆さん、眠るなら、お薬ありますよ。」
「いや、私は。」「俺も遠慮するぜ。」
良い笑顔でカップを持ち上げるシモンに、クルー達は恐ろしいものを見た視線を向けた。「変ですねぇ、美味しいし、直ぐ効くのに。」
「僕は頂きます。」ヨシュアはそう言ってお茶を飲み干し、アイリのボウガンと槍を慎重に彼女から取り上げると荷台に乗せ、自分達の車に歩いて行った。
「えぇーつと、ルーさんも飲んで下さい。私も飲みますから、お互い疲れをとって、すっきりした頭で話をしましょう。」
「そう、ですね」《お前達、私は先に休む。二時間したら起こせ。》
ルーはアイリを抱えて荷台に乗り込んだ。
《出発。》
夕日が砂漠をオレンジに染め上げる頃、調査隊は砂のドームを出立し、東へ、ひた走った。二匹の砂漠トカゲは軽量化の為、車を外され、五人がその背に乗り、交代で手綱を操っている。外した車には帆を立て、ラモンの“砂の船“の機構を応用し、魔力を駆動力に変換して単独で走らせていた。ラモンのおもちゃがこんな形で役に立つとは驚きだが、運転手がラモンとヨシュア、辛うじて、インディーという名のブラフ海賊団のクルーしかおらず、三人で二台を動かす強硬手段だ。それでも、乗客が分散したお陰で、速度も上がり、砂漠とかげの負担も減っていた。
一行が漸く足を止めたのは、太陽が昇り、気温の上昇に操縦者の疲労が限界に達した正午前だった。
前回と同様、砂のドームを作り、その中に避難する。動物達は水を飲むとその場から一歩も動かなくなった。ルーは全員を4つに分け、休憩時間を短くとり交代を早める事で全体の回復を図った。そして自らは最初の見張りに立った。
その横に大きくあくびをしてラモンが並んだ。
「今回は、あなたの魔導具のおかげで助かりました。ありがとうございます。」
「今回も、だぜ。俺様は天才魔導師だからな。」
《全く、これさえなければ、もっと褒めてやれるのにな。》
「これがなきゃ、俺様じゃねぇよ。」
ニヤニヤと笑うラモンに眉間に皺を寄せるルー。いつもの光景だ。
「とりあえず、シモンから伝言な。“スライムとはあらゆる生き物の骨を混ぜ合わせて作られた人工の魔物“だと。後、回収した砂の中に、スライムの構成成分らしいものとかありそうだから、詳しく調べる。結果出るまでは何も言えない、だとよ。んじゃな。俺様も寝るわ。」
《おい、待て。もうちょっと詳しく、》
「おやすみー。」
ヒラヒラと手を振って、ラモンは割り当てられた車に戻って行った。
《スライムとはあらゆる生き物の骨を混ぜ合わせて作られた人工の魔物、か。確かドラゴンが、全ての生き物の骨から作られた人工の魔物、だったか?何が違うんだ?》
それにしても、とルーはため息をつかざるを得ない。アイリのあの穏やかでは無い発言。そして、変化した精霊。あれだけの目撃者がいては、誤魔化しようがないだろう。この話は、数日のうちにイーウィニー大陸のブラフ伯爵にも届くだろう。彼女の自由を守ると言う約束は守れないかもしれない。この調査旅行の最中にも、きっと本国からテラやアイリを伴っての帰還命令が来るだろう事を予測して、ルーは心の中で盛大にため息をついた。




