38 オベリスク
調査団の出発が秋の始まりまで伸びた為、日程はあまり余裕が無くなってしまった。北方連山のドラゴン調査が本来の目的の為、山に入れなくなる危険のある冬の前には、麓に着いてたい。出発が伸びたのは真夏の砂漠越えと言う気候の問題、アイリの契約精霊の変化、そして急遽決まったヴィエイラ共和国御用商会フランク商会の同行が原因だ。
シャナーン王国の更に東、農業国家ウィト王国に大至急で行く用事があるとかで、レオナール経由で共和国国主から同行を頼まれれば、保護対象のアイリを連れ出すと言う負い目のあるルーとしては、断るわけには行かなかった。おかげで砂漠での調査日数も削らざるを得なくなっていた。見返りとして調査旅行の費用の一部が、国庫から拠出され、それでもう一台砂漠移動用の足を確保することにした。
アイリ自身、希望したこととは言えシャナーン王国に向かうことに、抵抗がないかといえば、それは嘘だ。だが、例え、今回も聖徒教会に見つかって、聖女にさせらそうになったとしても、今回は、みんながいる。前世の様に有無をいわせず、連れ去られることは、周囲がそしてアイリ自身が認めない。
念のため、今回の調査旅行にあたり、アイリはイーウィニー人の服装をし、基本イーウィニー標準語を話す様に言われている。コルドー大陸人だが、幼い頃にイーウィニー大陸に渡った海賊貴族ブラフ・ルー・ヴィシュの侍女、というのがこの旅での身分だ。同行の御用商人達にもそう伝わっている。そういう背景があれば、もしアイリの精霊付きがバレても、聖徒教会もそうそう勝手は出来ないだろう、と言うルーの気遣いだ。
フェラ砂漠を越える砂漠越えルートは、西海岸の国々と中央諸国の最重要交易路として、長い間、様々な物資が行き来して賑わっていた。フェラ砂漠は、かつてこのコルドー大陸のほぼ西半分を支配していたロフェンケト皇国の首都が置かれていた地域で、かつての一大皇国はある事件により、一夜にして滅びたと言われている。それは精霊を使った禁忌の技とも実験に使った魔物の暴走とも噂され、真相は歴史の闇の彼方だ。おおよそ300年以上前に起こった皇国の滅亡後、その首都があった土地は不毛の砂漠となった。
その砂漠のほぼ中央に、かつての皇国の遺跡と思しき、巨大な真っ黒いオベリスクが立っていた。一体、何に用いられていたのか?はるか遠くからでも見ることの出来るそのオベリスクが、この砂漠越えルートの貴重な道標となり、数多の旅行者達を導いていた。砂漠を行くものは、太陽とオベリスク、星々とオベリスクの位置関係を見て、進路を決めるのだ。
その巨大なオベリスクの根本には、魔力溜まりがあった。魔力は精霊を惹きつける。しかし、あまりに濃い魔力は生物に魔力酔いを引き起こすため、オベリスクの根本には生物が寄り付かなかった。魔力が溢れており精霊がいても依代となる生物がいないため、魔物が発生しないと言う現象がオベリスクの根本では起きていた。一方、オベリスクから離れるほど魔力は薄くなるため、生物は近づく事が出来る。つまり、オベリスクを中心としたドーナツ状に、一定距離離れた地点での魔物の発生率が高くなっていた。
聖女や高位神官など魔力の高い者は、オベリスクに近付くだけで魔力酔いで体調を崩す為、聖徒教会にとってオベリスクは不吉、と断罪される所以だった。
以前から、各国によるオベリスク調査は何度も試みられていたが、学者など高学歴者には魔力持ちが多く、直接現地調査が不可能な事もあり、解明は遅れている。
今回、ルー達がそれを可能と考えたのは、ラモン作封印の魔導具に拠るところが大きい。5年前のアイリへの試作品から始まったその魔導具は、小型化し完成度も上がっている。魔力の高いイーウィニー人達の魔力もほぼ完璧に消すことができた。本格的な調査は往路では難しいが、魔力酔いを起こさず、オベリスクにどのぐらいまで近づくことが出来るかだけでも知ることが出来れば、次回の大規模調査に役立つに違いない。
一般に砂漠越えに使われるのは、後脚の短いカエルのような砂漠トカゲの引く車である。車と行っても車輪は砂地の走行に向かない為、その下に板を固定し、ソリのように加工してある。馬車に比べても、速度も安定性も砂漠では遥かに優れている。その車にはヴィエイラ共和国御用商会の流通部門の責任者1名と補佐、その護衛2名で一台、ルーとアイリで一台、シモンとヨシュアで一台、荷物用が一台の計四台。一方、ルーの護衛達は、砂漠の気候に特化した馬に乗っている。そして、
「ひゃーっほー!」
砂の上にも拘らず、海の波に乗るように帆を操り、車の横を走り抜けて行ったもの。かなりの速度が出ているそれは、小舟に帆柱を立てたような形をしていた。操っているのはラモン。本人曰く、“砂漠の船“らしい。海を行く船と同じ様に、風の力を推進力として進む。水より抵抗の強い砂の上を走る為に“砂漠の船“は、地熱を魔導具で駆動力に変換して、風力と合わせて進む、らしい。
その辺りの詳しい説明はされてもわからないのだが、唾を飛ばして大興奮で説明するラモンに、付いていけたのはヨシュアだけだった。
そして、現在。
砂漠トカゲの横を、かっ飛んで行ったラモンに、皆が驚愕の眼差しを向けた。
《凄い速さだが、あれで転ばないのか?》
《って言うか、あれどうやって停めるの?》
《!?きっと、停める魔導具が、ある。ある?》
《・・・でも、楽しそうだな。》
《そうだな、俺も乗せてもらおうかな。》
《全く、あいつらと来たら。》
呆れた様に呟くルーの視線の先には、ちょっと走ってはこける、ブラフ海賊団クルーの姿と、それを見て大笑いするラモン、慎重に走らせるヨシュア、の姿があった。
《なんか、緊張感ないね。魔物、大丈夫かな?》
隣の車から突き刺さる商人さん達の視線が痛い。
《まだ、ヴィエイラ国境を超えて1日しか経っていないとは言え、最近は物騒だからな。まあ、周囲の警戒を怠るほどあいつらも間抜けじゃない。》
ルーが見上げる先に、空を旋回する鳥が見える。随行の誰かの使い魔が飛んでいた。左手に黒い塔が熱気に揺れている。
《あれが、オベリスク》
出立間際の母の言葉を思い出す。
「役割を終えて尚、道標となる、皮肉なものね。」
一体、どう言う意味なのか?悲しげな表情に、今回の調査で、少しでも母の負担になっているものが減らせれば良い、と思うアイリだった。




