36 フェラ砂漠調査
その日の夜、アイリは停泊する海賊貴族の船の見張り台に登って星を見上げていた。スン村に外洋航行可能な船が入港できるような港は表向きは無い。しかし、飛び出した半島の下、正に最古のトライドン神殿の真下の崖下は洞窟の様に深く抉れており、入口は狭いものの中はかなりの空洞が広がっていた。ブラフ海賊団の操舵士の腕を持ってすれば、その場所に帆船を泊める事など容易かった。この地は隣国ダマルカント公国との国境に近い。如何に辺鄙な村とは言え、沖合に隣の大陸の船が常時泊まっていては、警戒を向けられるのは火を見るより明らかだ。しかし、ルー達にとって船と離れ離れになると言うことは、海賊貴族としての存在意義に関わる。結果、普段は崖下に船を隠し、必要に応じて船を出すという、実に面倒くさい現状が生まれた。
マストを挟んで反対側にルーが座っている。ここ数年、何度も見かける光景だ。違うのはそこに流れる空気が、どんよりとしたものだと言う事。落ち込むアイリをルーが誘って船を出してもらったのだが、彼女も無言で水平線の彼方を見ていた。
「はぁ。」
何度目かの溜息をついて、やっと、アイリが口を開いた。
《ごめんね、ルー。一人で大騒ぎして迷惑かけて。》
《いや、むしろ安心したかな。アイリは歳に似合わず大人びているから、ヨシュアの為に暴走した姿を見て、あぁ、やっぱり、子供だな、と思ったよ。まぁ、あの場に集まった者の中で、最初から大人の対応が出来ていたのは、テラ殿だけだけどね。》
アタシも含めて、とあははとルーは笑った。次々と駆け込んで来ては、好き勝手を叫んでいた大人達を思い出してアイリも吹き出した。
『あー、やっぱり、ルーは優しいなー。でも』
《ヨシュアの為?》
《そうだろう?ヨシュアの大好きなお姉さん・カタリナさんを、自分の大好きなお姉さん・ユーリに重ねて、もし、ユーリが聖女になって、自分と縁を切れ、って言ってるって聞かされても信じられないだろう。何かそうせざるを得ない状況なんだ、助けなきゃって。》
《・・・そうなのかなぁ?》
ルーの解釈は、アイリにとってかなり都合良く改竄されている気もした。だが、実際にカトリーヌ聖女に何が起こっていなくなってしまったのかは、2代目アイリには知らされていなかった。噂話で聖徒教会を悪の組織と思い込む、なんてとんだお子様だ。
《うちの部下をシャナーンに調べに行かせたよ。カトリーヌ聖女の事、わかると良いな。ところで、北方連山へのドラゴン調査だけど、今年中に出発しようと思うんだ。》
《どうして?》
《未知の魔物の情報が今朝入った。アイリには黙って行こうかと思ったが、今日の事で、ちょっと気になってな。ひょっとして、北方連山に行きたいのも聖女がらみだったりするのか?》
夜空を見上げて考える。今日、皆んなの前で暴走した時、ルーはアイリが聖女の事情にやけに詳しい、拘りがあると勘付いている。あの場では、多分、意図的にシモンが話をずらしてくれたのだろう。そしてルーも乗ってくれた。おかげで頭が冷えたのだ。全く、二人には感謝しかない。
《うん、そう。どうしても聖女にしたくない子がいるの。騙してごめんね。》
《騙して?ドラゴンの話は本当なのだろう?》
《!?勿論!私、一生懸命調べたよ。北方連山にドラゴンの住処がある、って言うのは、その、聖女にしたくない友達の村の言い伝えなの。大切な事は口伝えで受け継がれるから、文献があるわけじゃないし、周辺の国や村の記録や、旅行者や商人の日記まで調べたよ。》『前世でだけど』心の中でそっと付け足す。
《・・・そうか、ありがとう、アイリ。ドラゴンか。一体どんな生き物なのだろうな。どんな魔法も効かない。輝ける白い光とも漆黒の闇とも言われ、その血は不老不死を約束するという想像上の獣、浪漫だよ。》
覗き込んだルーの顔は恋する乙女の様に上気し、瞳はキラキラ輝いていた。
《ドラゴンに会えるなら、アタシは死んだって構わないよ。》
《ルーったら。でも、未知の魔物って?危険は無いの?》
《その魔物の報告はフェラ砂漠越えルートから上がってきた。だから、捜索地はフェラ砂漠だ。と言ってもこれは裏付け調査だから、そのまま砂漠を超えて、シャナーン王都経由で北上して本来の北方連山のドラゴンの調査に向かう。》
そしてルーは悪戯っぽくアイリを見た。《砂漠の魔物調査もするから、と言って、御当主から、侍女枠としてアイリを調査旅行に連れて行く許可を奪い取ってきた。》
「それって。」
アイリは思わず、立ち上がった。
《アイリ、また!》
構わず、アイリはルーに飛びついた。ルーは片手でアイリを抱きとめ、片手で見張り代の柵を握りしめた。アイリの風の精霊が、ぐるぐる回って落下を防いでいた。
「ありがとう!ルー、大好きっ!」
《約束しただろ。だけど、これは魔物の調査だ。危険は覚悟してくれ。それにご両親の説得をアタシは手伝わないからな。》
アイリの意図を知ってなお、彼女のためにわざわざシャナーン王都まで行ってくれると言うのだ。「絶対、絶対、お礼するからね。」《それは楽しみだ。》
おおらかに笑うルーにアイリはさらにぎゅっと抱きつくのだった。
結論から言って、フェラ砂漠の未知の魔物の話はかなり信憑性の高いものだった。行方不明者も出ているらしく、安全を危惧する商人達は北回りか南回りルートでヴィエイラ・シャナーン間を旅していた。旅自体を見合わせる商隊もいる程だと言う。交易国家であるヴィエイラ共和国にとって、東の中央諸国との交易ルートが制限されるのは、国家運営に関わる重大事項だ。共和国主体の調査団も結成される予定だが、各種関係部署との調整もあり、まだ時間がかかる。一方、ルー達はこれまでの経験を活かして、さっさと人・物・金の準備を整え、その年の夏至の海神祭の喧騒が収まる頃には、出発できる状態になっていた。
その調査団はルー達ブラフ海賊団のクルーに加え、アイリとヨシュア、そしてラモンも加わっていた。
父ダンはアイリの参加に最後まで抵抗したが、テラの取り直しもあり、ルーにしつこい程、頭を下げて、アイリの安全を頼んでいた。
ラモン、と言うよりシモンはこれまでも魔物調査には同行する事があった。魔物と対峙する現場での対応こそ、研究室では得られない魔傷研究の実践の場であり、これまでの理論の証明と発展は、そこにかかっている!と、引きこもりの彼には、驚くべき事に、積極的に参加していた。その甲斐あって、魔傷研究は順調に進んでいる。今回の調査でも、シモンの開発した薬が、きっと役に立つだろう。
しかし、関係者とは言え、ヨシュアが参加を申し出るとは、アイリにとって予想外であった。旅慣れている自分とは違う上に、精霊付きでも無い彼は、魔力を使えない。成績は私塾のトップクラスとは言え、そこはアイリと同じ10歳。それでも、彼に声をかけたのはラモンだった。
「こいつはさ、魔導具については俺様の次に詳しい。それに、自分の姉ちゃんの事だろ、愛し子ちゃんなら、他人任せに出来るのか?」




