35 空回り
いくらシャナーン王都や北方連山麓の騎馬民族の里に行きたいと思っても、10歳の少女一人で出来るわけではない。アイリはキャラバンで旅を続けながら、北方連山に行く機会を待つつもりだったが、その計画は5年も前にキャラバンを抜けたことで、困難となっていた。せめてナキムとあのような別れ方をしたのでなければ、姉ユーリと座長さんの長男さんのような離れていても手紙のやり取りをしたり、理由をつけてスン村にやっってくる、何て関係を続けることが出来たかもしてない。が、過去を悔やんでも仕方ない。せめて、長男さんに頼んで、キャラバンの雑用係ででも紛れ込ませてもらえるよう頼んでみようか?しかし、迷惑をかけるであろうことがわかっていて、再度、仲間に入れて欲しいとは言えなかった。
旅のキャラバンというのは、国境越えを深く詮索されることが少ない。それが、定期的に訪れる一座であれば、尚更だ。仲間意識が強く、見ず知らずの者に簡単に心を許さない。国家が身元を保証してくれる定住民と違い、自身の身元は自身で証を立てねばならない彷徨い人は、自分達をも危うくするような不審人物をキャラバンに招くことは無い。それ故、元のキャラバンに戻ることが出来れば、シャナーン王国に入るのも北方連山に旅するのもそれ程難しいものにはならないはずだった。逆に言えば、キャラバンの後ろ盾を失った時、アイリはヴィエイラ共和国を出る方法も失ったのだった。
母テラがトライドン神殿と三位一体教と結んだ契約については、自分と家族の保護以外は教えてもらえなかった。期限を切ってはいなかったが、ルーが言っていたように、恐らくそう遠くない未来、母はこの地を離れ、イーウィニー大陸に渡ることになるのだろう。一生を幽閉されて過ごす可能性も家族は皆覚悟していた。成人を迎えるユーリは別として、家族がバラバラになる選択肢は無い。確か、母は、家族の行動制限をしない、と言う条件をつけていたが、いかんせん、アイリは10歳の女の子だ。アイリだけで残る事は許されるはずが無い。
家族以外でアイリが一番信用しているのは、海賊貴族次期当主ブラフ・ルー・ヴィシュだが、彼女は、護衛と言う立場上、母と別行動は出来ない。ただし、表向きの滞在理由が“コルドー大陸における魔物調査“の為、“調査旅行“は認められていた。また、実際、三位一体教会からも海賊貴族として本来の海の魔物退治の依頼も来る。そのため、時々は、スン村を離れていた。
キャラバンと言う移動手段が得られなくなった時、言葉は悪いが、アイリはルー達海賊貴族を利用する事を思いついた。やましい思いを誤魔化す為、積極的に彼女らに関わった。そして、アイリは5年をかけ、ルーやルーの仲間達の信頼を勝ち取り、時々、一緒に海の魔物調査にも同行させてもらえるようにもなっていた。但し、それも短期間に限られていたが。
北方連山に住むと言われるドラゴンに興味をもつ様に仕向ける事はできた。来年の春、ルー達はドラゴンの調査に北方連山行きを正式に認められた。後はその一員にアイリも加えてもらえれば良かったのだ。限りなく難しくても、アイリはやり遂げるつもりだった。
そして、誕生日プレゼントの話の時に、アイリは、ドラゴン調査に同行させてくれるよう、ルーに頼み込んでいた。かなり、難色を示していたが、『好きなところへ連れて行く』と言ってしまった直後である。当主を説得してみる、とルーは約束してくれた。その代わり、両親の説得はアイリに任された。
クィンを聖徒教会から隠す事は何とか間に合いそうに思われたのだが、この方法では、シャナーン王都大聖堂にいるカトリーヌ聖女の元に行くことは出来ない。
良い方法が思いつかず、アイリは先ず、母に相談することにした。
「身体の具合はもう良いのぉ?」
「うん。・・・あのね、お母さん、私、友達を助けに行きたい。」
「良いわよぉ。お母さんは一緒には行けないけどぉ、全力で応援するわぁ。」
「ちょっと待ったぁ!テラ様、それ、いくらなんでも軽すぎです!」
乱暴にドアを開けて駆け込んできたのはラモンだった。
「そうおぅ?」「そうだぞ、テラ。アイリはまだ10歳だ。親が守ってやる年だ。」
「ダンパパは過保護!でも、もうちょっと、どうして、とか、どこに、とか、許可する前に聞くこといろいろあるでしょ。」「アイリ!どこに行くつもりなんだ!」「友達って誰?」
更にルーまで飛び込んできて、一瞬にしてその場をカオスが支配した。先ず、一番わかってくれそうな母を味方につけてから、父の説得をするつもりだったが、もう、滅茶苦茶だ。
「何これ?」
呆然とするアイリに母はにっこり「関係者を集めたのよぉ。話が一度で済むでしょぉ。」と笑って、爪の手入れを始めた。
さて、一通り全員が叫び終わったところで、ふっと、髪の毛を一本抜いてテラは認識阻害の魔法をかけた。
この時までには、全員が、アイリが今日、意識消失を起こした事、そのきっかけがヨシュアとその姉カタリナである事が共有されていた。
「で、アイリさんはそのカタリナさんが大聖堂所属のカトリーヌ・ドメニク聖女だと思う訳ですね。」
脱線させない為の最低限の対策として話し合いにはラモンではなくシモンが参加していた。「そう思う理由をお聞きしてもよろしいですか?」
「思う、んじゃなくて、知っている、んです。」
「では、アイリはカトリーヌ聖女を知っている、と?」尋ねたのはルー。
「個人的には、知らないです。ただ、ヨシュアの話から、カトリーヌ聖女がカタリナさんだとわかるんです。平民の魔力持ちが聖女になる時に、貴族の養子になって名前も変えさせられる、って言うのは良くあることなんです。」
「それでは、何故彼女を助けたいの?聖女は教会に守られているのではないの?」
「世間一般で言われている程、聖女というのは教会にとって、貴重な存在ではないんです。特に平民出身者は、都合の良いように使われるんです。」
「まるで、経験したことがあるような口振りですね。」
ルーの質問にアイリはどう答えたら良いか、俯いてしまった。
話し合いが始まってから、両親は黙って聞いている。
「では、助けに行くのは、そのカタリナさんだけ、と言うわけでは無いのですね?聖徒教会に何人の平民出身の聖女がいるのかは知りませんが、思いつきで出来ることではありませんよ。それに、聖女を助ける、とは具体的にどうすれば助けることになると考えているのですか?」
シモンはルーの疑惑に触れず、アイリの考えの足りないところを突いてきた。正直、アイリが助けたかったのはクィンだけだった。それ以外の平民出身聖女の事は思いつきもしなかった。今日、ヨシュアから聞いて、カトリーヌ様には時間がない、と焦ってしまったが、地方の聖堂には、大聖堂より多くの平民出身の聖女がいるはずだ。その中には、もっと酷い目に合っている人がいるかも知れない。逆に辛い生活から脱することが出来て喜んでいる人もいるかも知れない。全員が望まないまま聖女をやらされているのかは、アイリにはわからない事だった。カタリナだって。ヨシュアの信じているように本当に聖女になって、貴族の生活が気に入って、悲しい事だけど、平民の親兄弟との関係を断ちたくなったのかも知れない。
「ごめんなさい。私、そこまで考えていませんでした。」
思い込みで動いていたことを痛感したアイリだった。




