34 アイリの事情
元々、10歳を目安に、ヴィエイラ共和国を一度離れる心算ではあった。北方連山麓のクィン・リーの元を訪ね、聖徒教会に連れ攫われるのを防ぎたかったからだ。前世と同じ時間軸なら、12歳で二人は出会う。そろそろ、国を出る為の準備を始めなければ、と思っていた時に、カトリーヌ聖女の疑惑が浮かんだのは僥倖というべきなのか。緊急性はカトリーヌ聖女の方が高そうだ。ならば、行き先はシャナーン王都。一番、アイリが近づきたく無い場所である。
ベッドに寝かされ、天井を見ながら、考える。
今のアイリに大聖堂に近づく事は可能だろうか?仮に入れたとして、聖女達の住む所は、聖堂の奥の奥、人の出入りは厳しく制限されている。それこそ、家族でも入ることを許されない。では、呼び出してもらう?一体どうやって?もし、仮に逢えたとして、カトリーヌ聖女に大聖女の試練を受けない様にお願いするだけでは、解決にならないだろう。きっと、別の方法で彼女は大聖堂から連れ出されてしまうに違いない。連れ出された方が、救出しやすい?ヨシュアがいたら、信用してもらえるだろうか?ラモンの魔導具で一時的に聖女の力を隠せたら、教会にとってカトリーヌ様は不要になる?あの唯一無二の預言の御力があってこその聖女カトリーヌ様なのだから。ああ、何て勝手なことを考えているのだろう。助けたい、と言いながら、聖徒教会に一矢報いるために、カトリーヌ様を利用しようとしている。
深い溜息をアイリはついた。全ては自分の想像でしかないのだ。起こる前に未然に防いだ方が良いとは思う。だが、カトリーヌ、いやカタリナさんの意思を無視して、勝手に動いてはいけないような気がした。彼女が、聖徒教会の道具であっても聖女でいたいと思うのなら、それはそれで彼女の人生なのだから。だけど、出来るのなら、強制され諦めて納得するしかない人生を送って欲しくは無かった。
クィン・リーに関してもそう。彼女は故郷に帰りたがっていたけれど、帰れない事情がある事も理解していた。だから、最初から、彼女が聖女にならなくて済む方法を一緒に探したくて。だって、親友だから。あの楽しかった日々はもう来ないけれど、それでも、アイリにとってクィンはかけがえの無い親友なのだ。
「計画をしっかり立てないと。何の為に、この5年間頑張って来た?これで最後にするんだ。」
一方、シモンの研究室にはヨシュアがまた訪れていた。
「ヨシュアさん?どうしました?」
「あの、シモン先生。あの子、病気ですか?」
「えぇーっ、と病気、じゃ、ない、ね。ちょっとしたショック?状態?」
「なになにー、ヨシュアってば、愛し子ちゃんの事、気になっちゃってるわけぇ。」
「え、え、ラモンさん!?」
目の前にいた気弱な青年の表情が一変して、ニヤニヤと挑発的なものとなり、声にも揶揄が混じった。ヨシュアはギョッとして思わず、一歩後ずさった。
「ちゅーかー、テラ様を呼んできて、って言ったのにー。ヨシュアってば、ダンパパ連れて来ちゃうんだもんなー。ダンパパ、過保護だから、話途中でブチ切られたじゃん。」
「すみません。テラ先生の所に行く前に会ったので・・・。」
「でー、どーして、ヨシュアは愛し子ちゃんと一緒だったのさ。何か知ってるなら、話しちゃいなよ。」
しばらく、考えた後、ヨシュアは一つ一つ確かめるように話だした。
「今日の、宗教の講義で聖徒教会の話題の時に、レオナール様が僕とあの子を見たんです。一瞬だったけど。僕は聖徒教会に姉がいます。だから、反応を見られたんだと思うんです。でも、あの子は?あの子は旅芸人でしたよね。で、さっき、偶然見かけたので、聞いてみたんです。そしたら、シャナーンから逃げて来たって。ラモンさん、あの子の家族と親しいんですよね。何か知ってるんですか?」
「んー、5年前に一緒にダブリスから移ってきたけど、それ以前の事は良く知らなーい。前にしつこくして、テラ様に怒られたからねー。でー、それから?」
「・・・僕の姉が聖女だと言ったら、急に、棒を飲み込んだみたいに突っ立って。カトリーヌがどうの、って言い出して。」
「カトリーヌ、ってヨシュアのねーちゃん?」
「いえ、僕の姉はカタリナです。」「ふーん。」
それっきり、ラモンは黙り込んだ。しばらくして、ようやく、ヨシュアがまだそこにいる事に気付いたようだ。
「僕から今あなたに言えることは、まだないみたいです。でも、お姉さんに関係する事なら、きっと、アイリさんはあなたに話をします。今日は彼女を連れてきてくれてありがとうございました。」
「はい、シモン先生。」
きちんと頭を下げて、ヨシュアは出ていった。
『鍵は聖女、だな。』「そうですね。私達、でしたっけ?」
『あー、退屈な生活におさらばかなー。』「ラモン、嬉しそうですね。」
『そりゃあねぇ、流石に5年も大人しくしていれば、飽きるって。』
「そうですか?随分、色々、研究も捗りましたよ。」
『そこは否定しねーよ、金の苦労無かったからなー。』
豊富な魔力持ちのイーウィニー大陸人の協力によって、魔力による傷=魔傷の擬似モデルの構築が出来たおかげで、シモンの目指していた魔物に負わされた傷の治療薬の開発に目処がついた。ラモンにこんな物を作って欲しいだの、この機能を付けろだの勝手なことを言いながら、アイデアを出し合い彼の魔導具の実験を私塾の生徒達もこぞって手伝ってくれた。シモンとラモンにとって、2人でありながら1人であることを、誰もが認めてくれている信じられない環境は、何物にも変え難く思われた。
『で、どうするよ。』「何がです?」
『愛し子ちゃん。助けるって言ってたしなー。ぜってー何かやらかす気だぜ。』
「私に聞く段階でどうするつもりか決めてるんでしょう?」
『でもよ、俺たち2人の事だからさ。いちおー、シモンの気持ちも聞いとかないとな。』
「今更感が半端無いですけど。そうですね、協力する、の一択です。」
『・・・俺さ、テラ様に会えて、俺達の望みは絶対叶うと確信した。でもさ、実は、愛し子ちゃん、アイリだったんだな、俺達の女神。俺さ、昔程、お前の事嫌いじゃないぜ。お前から自由になりたい。一人だけの人生を送りたい、って願ってたけど。今じゃ、この関係も悪く無いじゃん、って思うんだ。テラ様にどうやったらそんな依代を手に入れることが出来るのか教えてもらいたかったけど。もういいや、って思うぐらいには、この暮らしも気に入ってる。』
「ラモン・・・。」
珍しく自分の気持ちを誤魔化さずに伝えようとするラモンに、シモンも心から同意した。「そうですね。私も、大分ラモンに染まってきましたから、最初ほど腹も立ちませんよ。」
『何だそりゃ。』
そう言って二人は笑う。笑い声は2つではなく、1つに綺麗に重なっていた。




