30 スン村の穏やかな日々
私塾での勉強以外にもスン村で過ごした5年間はアイリに計り知れない影響を与えていた。
イーウィニー大陸との交易で得られる文化交流は、中原諸国の画一的な世界観しか持たなかった彼女に多様性の目を開かせた。アイリをずっと悩ませていた精霊の問題も、ルー達イーウィニー人の解釈の方が聖徒教会の教えよりもすっと納得することが出来た。
ルーは魔力は強いが、アイリ達のような形で精霊は付いていない。彼女の契約精霊は物体に付与されているからだ。いつも腰に佩いている三日月型の幅広の剣には火の精霊が住んでいる。そしてそれは、時に別の物に移ることも可能だった。武器を持ち歩けない場所などでは、彼女のルビーのイアリングに引っ越しをする。アイリはその瞬間を実際に見せてもらった事があったが、その様子は、アイリの魔石に彼女の契約精霊達が吸い込まれて行ったのと、とても良く似ていた。
また、ルーはあまりしないが、魔獣化して連れ歩いくことも出来ると聞いて、アイリはナキムの白猿ピノを思い出した。ルーの兄、ブラフ・ガルが連れている鷹は風の精霊が付いているという。そうなった動物は“魔物“ではなく、“使い魔“と呼んで区別していた。
イーウィニー人の魔力はコルドー大陸人より平均して多い。イーウィニー人は1000年以上前にコルドーから海を渡って移住した人達と元からそこに住んでいた民族との混血だ。混血により魔力が高まったのか、地理的環境によるものか、コルドー人で失われた魔力が未だ保持されていた。
そのイーウィニー人と比較しても、アイリの魔力量は平均を上回っていた。別格はテラで、初めて、テラを見たブラフ海賊団の面々は、初対面のラモンよろしく、「女神だ」と叫んで跪く者、地面に頭を擦り付けて祈る者、そして、何かやましいことがあるのか逃げ出す者までいた。流石に海賊貴族当主一族は普通だったなー、と思っていたアイリに、こっそり、ルー達も初めて会った時には、青ざめた、と教えてもらった。
今でも、テラと接する時のイーウィニーの海賊達は直立不動、しっかり敬語、である。
それでも、妹のようにアイリに接する次期当主の対応が、彼女を海賊たちの“仲間“にしていった。
今日も今日とて、アイリは海賊貴族ブラフの船に乗り、コルドーとイーウィニーの間、ヤパン海の上にいた。
《右斜め前方、魔力溜まり確認。小さな魚の魔物の群れの可能性大。》
《了解。進路左へ。アイリ、群れがこちらに来る様なら、知らせろ。》
《りょ。でも多分、問題ない。魚群に気づいた鳥が来た。》
アイリはメインマストの上、物見台にいて、ラモンの作った遠話の魔導具で操舵室の船長と話をしている。イーウィニー大陸語は何不自由なく読み書き会話が可能になっていた。多少、乱暴な海賊言葉になるのはご愛嬌だ。
物見台にルーが登ってくる。《良い風だな。アイリが来てると波も風も穏やかだ。》
今日もルーはカッコ良いなあ、とアイリは思う。赤紫色のスカーフを靡かせ、三日月型の幅広の剣を腰に差している。この5年間、彼女も色々な知識を与えてくれた。言葉や風習、三位一体教の教義、船の上での生活、海の魔物との戦い方、等々。どうしてこんなに良くしてくれるのだろう、と思ってしまう。最初の契約(?)では、聖徒教会から匿ってくれる、だったはず。もうそれは十分にしてもらっていた。
《魔力を読むのもお手の物だな。言葉と言い、全くアイリには驚かされてばかりだ。》
《そんな事言うけど、ルーのコルドー標準語もすごく上手だよ。それに魔力の読み方を教えてくれたのルーじゃない。》
ルーのコルドー語は伯爵位に相応しく上流階級の言い回しだ。母国語の荒っぽい話し方とのギャップがすごい、とこっそりアイリは思っている。
アイリはルーを真似てイーウィニー風の服を着ている。赤みがかった金髪も腰に届くほどに長くなった。赤紫は次期当主の色なのだが、当人が許せば差し色として使用することが出来た。ルーのお気に入りのアイリはオレンジに赤紫のスカーフを巻いている。それはアイリの髪と瞳の色によく似ており、ルーも大満足だった。
《そろそろ、アイリの11歳の誕生日だな。何か欲しい物はあるのか?》
《そろそろ、って、私の誕生日は秋だよ。海神祭もまだなのに、気が早いなあ。》
《レディへの贈り物は時間がかかる、と決まっている。早過ぎる、という事は無いぞ。》
《一体、どんな物を考えてるの?もう、ルーには十分良くしてもらってるから、気持だけ貰っとく。》
《やれやれ、10歳児が遠慮などするものでは無いぞ。アイリもアクセサリーの一つや二つ持っていてもおかしくは無いだろう。》
そう言われてもなー、とアイリは思う。欲しい物、は特に無い。やりたい事はある。もし、この夏を無事に乗り切ることが出来たら、2代目アイリの親友、クィン・リーの様子を見に行きたいのだ。自分を取り巻く環境が激変しているからと言って、クィンの周囲も同じとは限らない。ここ、ヴィエイラ共和国は北方連山から遠く、スン村は更に南の端だ。一般人が他国の情報を知ることは、皆無に等しい。アイリが元いた旅回りのキャラバンや商人達が訪れた時に、噂話として聞くのが関の山だ。行商人すらほとんど訪れる事のないスン村では、特に村の外で起こっている事など、知る由もない。尤も、後見人である元ダブリス市長レオナールの元には、コルドー大陸のみならず、イーウィニー大陸の情報すら集まっているだろう。それは、何食わぬ顔をして、一緒に海を眺めている、この海賊貴族次期当主にも言える事だが。
「もし、無事に11歳になれたら、旅に出たいなー。昔みたいに、キャラバンを組んで、色々な所を巡るの。小さすぎて行けなかった北のドラゴンが住むという山や、南の深い森。イーウィニー大陸にも行ってみたい。遥か東にあると言われる精霊の島とか、お伽噺の世界を探しに行くのもいいね。」
さりげなく、水面下で動いている北方連山のドラゴン調査に同行させて欲しいと言う希望を混ぜてつぶやいた。保護を名目にしたテラの幽閉はいつまで続くのだろう。ここでの穏やかな生活に不満は無いけれど、3度目のやり直しの人生は、こんなに与えられるものばかりで良いのだろうか?ここまでで得た知識、魔力は、何か、もっと大きな事に必要なのでは無いのか?自分が人生を繰り返す意味は?2代目アイリが初代がスライムに襲われ一人生き残った15歳の秋をやり過ごした時に感じた漠然とした不安を、今世のアイリも抱えている。
《よし、では、決まりだ。誕生祝いとして、アイリを我がブラフ一族の本拠地に招待しよう。》
ルーは良いことを思いついた!という様に満面の笑顔で、高らかに宣言した。
《待って、待って。ルーったら何言ってるの?私をイーウィニーのブラフ海賊団の本拠地に招待?》
《そうだ、素敵だろう。本拠地の場所はここでは言えないが、素晴らしい所だ。きっとアイリも気にいる。そうだ、いっその事こと、テラ殿達も全員、家族揃って来てみないか?》
一瞬、驚いたものの、“家族全員“その言葉で、すっと、アイリの心は冷えた。
《ルー。》
その声音で、言いたい事が正確に伝わった事に気がついたのだろう、おおらかだった
ブラフ・ルーは表情はそのままに、笑っていない目がアイリを見返した。
《アタシはお前には、嘘をつきたく無いんだ。だから、気付いてくれて良かった。》
《イーウィニーに移るの?》
《そうだ。最初から、そう決まっていた。詳しくはアタシから話すより、テラ殿から聞いた方が良いだろう。》
《だが、イーウィニーは良い所だよ。ここより、ずっと魔力に満ちているから、きっとアイリもテラ殿も過ごしやすいはずだ。》
「?」
《この5年の調査で分かった。コルドー大陸は魔力が枯渇しかかっている。魔物の出現頻度の増加も、それに関係しているとアタシ達は考えてる。だけど、その事実を多くの者は知らされていない。むしろ、隠蔽されていると言って良い。それが何処の、誰の、指示なのかは興味が無いがね。魔力の高いもの程、強い魔法を使うから、外から魔力を補えなければ、自分の内なる魔力を使うしかない。今、この大陸で精霊付きが少ないのは、魔力の少ない環境に、精霊が手近な動物に付いて安定化を図っているからだ。》
《あー、だめだな、アタシは。ご当主のように駆け引きなんぞ、できゃせん。》
深刻な顔をして話をしていたはずなのに、大きく息を吐いて、ルーは、頭をガシガシ擦った。
《ちゅーか、こんな広い海の上で、ちっぽけな人間の更にちっぽけな宗教の、聖典に書かれた、一語一語を、あーでもない、こーでもない、なんて、こねくり回すのは性に合わん。》
《アタシは、海賊貴族、なんだ。海賊貴族じゃ無くてさ。》
「だから、アイリはアイリの行きたい所へ行けば良いんだと思う。私が連れていくよ。」
本当はテラ殿にもそう言ってあげたいんだけどね、と申し訳なさそうに俯くルーにアイリはぎゅっと抱き付いた。
《こりゃー!なんばするか、危ないきにー!》
そういえばここは船の上、マストの頂上、見張り台だった、とアイリは思い出した。だけど、構うものか。彼女のお守り魔石から飛び出した風の精霊が、アイリとルーの周囲をぐるぐる回って、呆れながらも二人を守っている。
「ルー!大好き!!」
アイリの大きな笑い声が海の上を流れていった。




