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29 5年後、スン村にて

アイリ達がヴィエイラ共和国に住み始めてから、5年が経とうとしていた。アイリは10歳になった。ナキムのキャラバンは共和国を訪れることはあっても、彼がアイリに会いに来ることはなかった。『許さない』の言葉が胸の奥に重石となって巣食っている。


10歳になったアイリは、子供ながらに人目を引く美しさに育っていた。成人を控えたユーリが、母親譲りの真紅の瞳と紅蓮の髪を持ちながら控えめな印象であるのに対し、アイリは、父の金髪と母の紅の髪の両方を混ぜ合わせた赤みがかった金の髪を持ち、緑と真紅を混ぜ合わせたオレンジ色の瞳をしていたが、それが幼女から少女へと成長するに合わせて、際立っていった。表情によって、柔らかい印象を与える事もあれば、凄烈なイメージを与えることも出来た。


アイリ達が暮らしているのはヴィエイラ共和国の南端スン村。国境に近い半島にある半農半漁の村だ。切り立った断崖絶壁の上に建っている古びたトライドン神殿がこの村の象徴。

かつて、荒れ狂う嵐に見舞われ、陸の孤島と化した村が存続の危機に落ちいった時、嵐の海に海神の加護を願って一人の乙女がこの崖から身を投げた。乙女を哀れに思った海神が村の危機を救う為に、眷属を差し向け村は救われた、との言い伝えがあり、ここのトライドン神殿が、最古の神殿と言われている。


最古の神殿がある為、スン村は神殿直轄領である。しかし、その利便性の悪さ、土地の貧しさ故、決して、人々の暮らしは楽では無かった。切り立った崖に囲まれた半島に大きな船が入れる港はなく、一人か二人乗りの小さな漁船で村人達は漁を営む。塩害に強い作物を選び、果樹を防風林代わりにして囲い、海から一番遠い所に畑を興した。自分達で食べる為の動物を飼育し、育てた羊から衣服を作った。


直轄領に奢らず、自分達が海神の慈悲で生かされている事、一人の娘の犠牲の上にこの穏やかな生活が成り立っていることを日々、語り継いで来たような村だった。勿論、そんな鄙びた村を出て行った村人は多く、人口は減少の一途を辿っていた。


そんな所にいきなり現れたアイリ達はかなり異質だろうに、村人達の反応は概ね良好だった。理由は、彼らの保護者であるレオナール・ジ・ビエールにある。長くヴィエイラ共和国の首都ダブリス市長を務めたこの老人は、スン村に別荘を所持していた。彼は、ヴィエイラ共和国国主の親戚筋に当たる貴族であり、トライドン神殿とも関係の深い一族の出身だった。むしろ、教会関係者であるからこそ、ヴィエイラの政治に関わりを持ったと言っても良い。これまでも、ダブリス以外で海神祭が催される時は、スン村を訪れて、海神に祈りを捧げる程、祭りとしての海神祭ではなく、祈りの場として海神祭を捉えている人物なのだ。


テラの持つ神事の知識と比較する為の資料がこの神殿に保管されており、持ち出し禁止の為、アイリ達はここで暮らすことになったのだが、そこに身元引受人となった元ダブリス市長レオナール・ジ・ビエールの思惑が大きく絡んできていた。


レオナールはアイリ達を連れてきただけでなく、この地に私塾を開いた。穏やかに朽ちていくのを待つだけの村をどうにかしたい、と思っていたレオナールにとって、テラの保護という大義名分を掲げて、私塾をこの地に開くというのは一つの賭けでもあったのだ。


三位一体教側の監視者が海神トライドンの聖地でもある最古の神殿の地に滞在することに対して、神殿側から反対の声も上がったが、監視者を置くことは当初の協議結果に基づく事、ブラフ・ルー・ヴィシュは聖職者では無い、と言う2点を強調し、とりあえずの解決を見ていた。


レオナールの私塾にはアイリ達家族を除き男女合わせて8人が学んでいた。身分、年齢に関わらず、ヴィエイラ共和国各地から集められた魔力の高い子供達だった。

そこでは、魔力操作を中心に、歴史・宗教・経済に専門の教師がおり、更に、監視対象であるはずのシモンが医学・薬学を、ラモンが普通の魔道具(魔導具では無い)を始めとした工学を、母テラも舞踊と音楽を教えていた。更にルーや海賊貴族のクルーさえ、イーウィニー語、航海術、各種武器の扱いから実際の戦闘訓練まで指導していた。この私塾が何を目的に作られたのか、甚だ疑問ではあるが、「講師費用は食事、家賃等の生活費と研究費などとの相殺」と、実質ただ働き宣言をして、「その方が、君達も気兼ねしなくて良いでしょう。」とレオナールは商人の顔で笑って言ったのだった。そう言うレオナール自身、政治学で教鞭をとっていた。


決して豊かでは無い土地に住みながら穏やかに生きている人々。それに混じって、アイリ達私塾の子供達も、狩りや漁、家畜の世話、果樹園や畑の手伝い、冬籠の為の建物の補強、羊の毛を刈って糸に仕上げ、染め、織る。村人に混じって働くうちに、僅かな違和感も薄れていった。村に子供達の笑う声が響く、という状況が、どれだけ村人の心を救ったのか。5年経った今、レオナールは賭けに勝ったことを実感していた。


そして、最初に心配していた程、テラ達の待遇は悪いものでは無かった。むしろ、監視の目はあるものの、自由に出歩くことは出来たし、子供達の教育もキャラバンで旅回りをしていたなら受けられない最高レベルのものを与える事が出来ていた。


シモンの研究室、ラモンの工房も私塾に隣接して造られており、資金も潤沢に与えられた。シモンとラモンが魔傷による人格分裂者である事はスン村への移住後に関係者に知らされた。いつまでも隠し通す事は不可能だったとは言え、面白がって黙っていた為、それを知った時のルーは怒りのあまり剣を抜いた程だった。勿論、切られそうになったのは、ラモンの方である。


スン村に移住して一年後、テラは男の子を産んだ。シルキス、と名付けられ、母譲りの紅蓮の髪と父譲りの緑の瞳を持ち、水の精霊の加護を生まれながらに持っていた。

そう、もう一人の弟。これまでのアイリの前世には存在しなかったであろう、弟である。自分を取り巻く環境が、前世とかけ離れてしまっていることに、アイリは安堵と不安を拭い得ない。


今年の夏は、2代目アイリが目覚めた夏でもある。前世では、今年の夏至に彼女とナキム達キャラバンは、シャナーン王国ランバート辺境領にいた。そして、その地の聖徒教会の精霊の輪くぐりに参加し、アイリが精霊付きであることが発覚。そのまま、聖女として連れ去られたのだ。


今世では、キャラバンから離れ、ヴィエイラ共和国で暮らしている。聖徒教会はこの地から撤退しているとは言え、アイリの心境としては、この年の夏至・海神祭を無事に越えられるかが、一つの運命の分岐点となっていた。


そしてもう一人、未来が変わろうとする少年が一人。

レオナールの私塾に魔力が低いにも関わらず、入塾が許された少年がいた。アイリ達と同じくシャナーン王国から、聖徒教会から逃れてこの地にやって来ていた彼は、2代目アイリが巻き込まれた革命の首謀者となったヨシュア。前世では人間とは思え無い非情さとその白髪から白き魔人と呼ばれていた。

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