27 交渉
老人は自分をブラフ・ガーネ・ラクシ・ザ・フォースと名乗り、ルーを小突いている男をブラフ・ガルと紹介した。そして、白髪の老人をダブリス市長レオナール・ジ・ビエールと紹介する。
何故、そんな貴人達が、この市壁外に集まっているのか、座長の青ざめた表情から、予定外の行動であることが、容易に想像がついた。父と一緒に行ったはずのラモンはいなかった。どうやら、突然の海神様の贈り物のおかげで御座船が身動き取れなくなり、帰港が遅れてしまった。申し訳無いと、市街地の公演区画まで送ってもらった所に、丁度父達が着き、そのまま合流して宿営地まで戻って来た、と言う事らしい。その際、ラモンとは街中で別れた、と。
「さあ、この馬鹿者も回収したので戻りましょうか。」良い笑顔でガルがルーの襟元を掴んで引き摺って来る。
「そうですね、お邪魔しました。」
『え!?用事それだけ?』
「では、テラ殿、また、明日。」
あっさりとそう告げると、市長とイーウィニー人達は再び馬車に乗り込み、ダブリス市内に戻っていった。
「お母さん、また、って、どう言うこと?」
「明日ねぇ、市長さんや神殿の偉い人達とまた、会うことになってるのよぉ。」
“神殿“の言葉にアイリの顔が強張るが、テラは聖徒教会は祭の途中で帰ってしまったので呼ばれていない、と告げ、安心させた。
父が、母は疲れているから休ませる、と言い切り、自分達の馬車に強引に連れて行き、アイリ達も続いた。海神祭最終日は多くの不思議な出来事と新たな出会いを齎して終わったが、その余波はまだ続きそうだった。
一方、市内に戻り市長と別れた馬車の中では、先程とは打って変わって真剣な表情で、3人の海賊貴族達が向きあっていた。
《私は反対です。》
キッパリと言うルーにガルは呆れたような表情をする。
《泣く子も黙る、と言われた海賊貴族、その次期当主が赤ん坊に毛が生えた様な子供に何を骨抜きにされている。》
《兄者にはわからぬのか?あの子は、アイリはただの普通の子供だ。例え何かを秘めているかも知れぬかと言って、それだけで、脅威ではないぞ。》
《わしにはそうは見えなかったがな。ご当主はどう思われる?》
半眼で話を聞いていたブラフ・ガーネ・ラクシ・ザ・フォースは、軽く首を振った。
《あの僅かな時間では何も決められまいよ。半日、過ごしたルーの意見は貴重と思うがの。重要なのは、あの踊り子じゃ。何とか、手に入れたいものじゃ。》
《だから、それは、》
《ルー。》
低く有無を言わせぬ声がルー・ヴィシュを黙らせた。納得してでの事ではない。ふいと横を向き、カーテンの隙間から、後夜祭で賑うダブリスの街を見る。海神の齎した奇跡の豊漁に、夜遅くまで浮かれ騒ぐ人々。彼らは、単純に祭りを楽しんでいた。羨ましい、とふと、思ってしまった。自分もさっきまではそうだった。一人の観光客として、海神祭を楽しみ、偶々知り合った少女と、心暖かい時間を過ごした。
確かに不思議な印象の少女だと最初は思った。だが、話をして、家族や友人と過ごす姿を見る内に、警戒する気持ちは薄れていった。『甘い、と思われている事は知っている。だが、あんな年端の行かぬ子供を、脅威になりうるからと、その母の力が恐ろしいからと、権力者が好き勝手して良いという世界が許されるはずがない。』
ギリギリと歯を食いしばるルーを兄は呆れたように、悲しげに見つめ、老人は目を閉じて黙殺した。
無言のまま馬車は、後夜祭で賑わう街を走る。海に面した高級宿の前で3人を降ろした馬車に、数人の酔っ払いが近づき「邪魔だ」「どけろ」と酒瓶を振り回して絡んで行った。御者が慌てて追い払った酔客の中にラモンの姿があった。
「じゃあなー。」ヒラヒラと手を振って別れると、ラモンはふらつく足で、路地裏に入ってしゃがみ込んだ。気分を悪くした酔っ払いの姿に立ち止まる者はいない。しばらくそうした後、立ち上がったのはシモンだった。シモンは手に持っていた盗聴の魔導具を握りしめて呟いた。「これは、いけませんね。」
翌日、母は座長と父と共に、市長の主催する海神祭の成功を祝うパーティに出かけて行った。朝一番にやってきたシモンが、海賊貴族の不穏な会話の内容を伝えたが、今更断る事はできない。
「こっちも、目的があるから行ってくるわぁ。」と母は笑っていたが、父と座長の顔は強張っていた。
アイリはルーを信じたかった。祈るように魔石を握りしめ、ユーリと見送る。
「お姉ちゃん、私のせいかなあ。」小さく呟くアイリの足を姉は踏みつけた。「何言ってるの。お母さんが美人すぎるから目をつけられただけよ。」
緊張感を漂わせるアイリを不安げに見守っていたキャラバンの仲間達がこれ幸いと、言い立てた。
「あー、そう言えば、以前にも何度かあったなあー。テラさんを愛人に寄越、ぐはっ。」
「そうそう、引き抜きとか、あの人が踊る度に大騒ぎになるんだ。」
愛人発言の男は腹に一発くらい悶絶し、その後に、わざとらしいほどの大声が被さった。「大丈夫だって。その都度、ダンさんが相手を黙らせてきてるから。」「座長もああ見えて、交渉力高いし。」
アイリとユーリは顔を見合わせた。ユーリは明らかにアイリが考えすぎて落ち込まないように言ったのだが、過去の母には色々、前科があったらしい。今回、母は“目的がある“と言っていた。目を引く振る舞いに何か関係があるのだろうか?
「ラモンをパーティ会場の近くに行かせるので、おかしな動きをしたら、すぐわかりますよ。」
そう言ってシモンも急足で去っていった。何かまた、対抗策を考えているのかもしれない。アイリは何も出来ず待つだけの自分が情けなかった。
とは言え、公演を終えたキャラバンの仕事は山程ある。アイリはシャナーン国王即位20周年記念祭の時と同様、衣装や小道具の洗濯、補修をし、両親が帰ってくるのを待った。悪い方に考えないよう、食事の準備や後片付けなど、ナキムに心配される程、体を動かし続けた。そして、夕方、両親と座長はルーを伴って帰ってきた。
「お母さん・・・。」
安心したアイリはその場にヘナヘナと座り込んだ。張り詰めていた心と疲れ切った身体が、休息を欲していた。駆けつけた父の腕の中で眠ってしまったアイリの側には申し訳なさそうに眉を寄せるルーがいた。
翌日、アイリ達家族が、この地に残る事、即ち、キャラバンから抜ける事、が全員を集めて発表された。




