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25 イーウィニーの女

海神祭は異様な興奮に包まれた。奉納された技芸に海神が答え、使いと贈り物をよこしたのだ。長い歴史の中で前代未聞の出来事だった。

突堤は港方面に戻る者と海に向かって来る者とでごった返していた。警備の兵達の静止も聞かず、興奮した群衆の中には海に飛び込む者が何人も現れた。母の踊りを突堤の先で見ていた小さなアイリは人波に揉まれ、父とはぐれてしまった。目の前を人の手や荷物がすごい勢いで行き交い、殴られる恐怖で身がすくんだ。その途端、後ろから押されバランスを崩した彼女は転びそうになり、踏み潰される、とぎゅっと目を瞑った。しかし、衝撃は襲って来ず、代わりに体がすごい勢いで持ち上げられていた。


「ダイジョブ?ケガシテナイ?」

片言のコルドー大陸標準語が顔の横から聞こえた。お腹を抱えて掬い上げられ、踏み潰される危機から救われたのだと気付いた。

「ありがとうございます。大丈夫です。」

「ドシタノ?マイゴ?」

周りのコルドー人より頭一つ背が高く、横幅も女の人だと言うのに剣闘士の様ながっしりした体格をしていた。頭に色鮮やかな赤紫色のスカーフを巻いたイーウィニー大陸の綺麗な女性はアイリを肩に乗せて優しく問うた。

「はい。父とはぐれてしまって。」

「チチ?オー、オトウサン!ダイジョブ、ワタシ、コルドーノヒトヨリ、オオキイ。コウシテレバ、メダツ。オトウサン、スグ、ミツカル。」

「はい、ありがとうございます。あの、イーウィニー大陸の方ですよね。海神祭を見に来られたんですか?」


確かに女性の肩の上はとても見晴らしが良かった。浮舞台の周囲をまだ泳いだり跳ねたりしているイルカの群れや波間の銀色の魚体まで見る事が出来た。人混みの中を全く苦もなく、港に向かって歩いて行く。

「ワタシ、シゴト。マツリ、ミニキタヒトノゴエイ。」

「えっ、すみません。護衛の方を放ってはおけませんよね。もう大丈夫ですので、お仕事に戻って下さい。」

慌てて降りようとするアイリを女性は感心したように見た。

「コルドーノヒト、コドモデモ、レイギタダシイ。デモダイジョブ。ワタシノシゴト、ウミノウエ。」


異国人と思い、緊張してつい、礼儀正しく話してしまっていた事に気がついたが、笑って誤魔化すしかないアイリだった。

この人混みの中で父を探すのは難しいかもしれない。商工会議所近くのユーリ達との待ち合わせ場所に行こうと、女性にお礼を言って降りようとした時、彼女に向かって懸命に手を振る人物を見つけた。

それはラモンだった。

「愛し子ちゃん、やっと見つけた。親父さん真っ青になって探してるぜ、さ、俺と帰ろう。」

しかし、そのラモンの喉に鞘に入ったままの剣が突きつけられた。

「アヤシイヤツ。コノコニチカズクナ。」

ラモンの目がすっと細められ、一歩下がると同時に腰が落ちた。

「あン!?お前、何モン?」

不穏な気配を感じ取ったのか、3人の周囲から人が離れていく。

「待って、待って、ラモンさん。この人が、転んで潰されそうになった私を助けてくれたの。今も、一緒にお父さんを探してくれてたの。」

「あの、この男の人、私の知り合いなんです。こんな見た目だけど、悪い人じゃ無いんです。」

必死に説明しながら、なぜ、人当たりの良い、気弱そうなシモンで探しに来てくれなかったのか、ちょっぴり恨みに思うアイリだった。


しばらく睨み合った後、イーウィニー人の女性は、アイリを肩に乗せたまま、家族の所には自分が連れていくので、案内するようラモンに冷たく告げた。

「あの、何もかも、すみません。私はアイリです。旅回りのキャラバンにいます。今日、あの浮舞台で最後の踊りを踊ったの、母なんです。」

「コレハウレシイ。ワタシハ、ルー。ブラフ・ルー。カイゾクキゾクダ。」

そう言うと、ルーはアイリに頬ずりをして、太陽の様に笑った。


「カイゾク?キゾク?あ、貴族?」

今度こそ、失礼だ、肩から降ろして欲しいとジタバタするアイリに構わず、「ダイジョブ、ダイジョブ」と、ルーは大股に歩き始める。

「ちょっと待て、って。愛し子ちゃん、海賊貴族のブラフって言ったら、イーウィニーからコルドー大陸の北を根城に荒らし回っているって言う、」

「?」

ブラフ・ルーは器用に片眉を上げた。それだけで、ラモンは言いたいことを飲み込んでしまう。

「ワレワレ、マモノ、カル、カイゾク。ショウニン、オソワナイ。」

安心させるようにアイリの頭を撫でる。海賊の事は前世の知識を総動員してもよくわからなかったが、ルーからは嫌な感じはしなかった。


「それより、ラモンさん、見つけてくれてありがとうございます。多分、宿営地には帰れるとは思ってたけど、この人混みだから、きっと道がわからなかったと思います。」

「あー、それな、よくぞ聞いてくれた。流石、天才魔導師の俺様には抜かりがない。愛し子ちゃんの結界具に追跡の魔法を組み込んであるのさ。いざという時用だったけど、こんなに早く役立つとは思わなかったぜ。」

「追跡の魔法?」『何それ、怖いんですけど。』

若干、引いているアイリとルーに気づかず、ラモンは得意気に続けた。

「おう、偉大なる天才魔導師ラモン様に感謝するがいい。愛し子ちゃんの魔力をこの魔導コンパスが感知して、今いる方向を示すのさ。すげーだろ。」

「・・・でも、私の魔力って結界具で封じてるよね。」


途端にラモンの目が泳いだ。「あー、それは、なんだ。その、俺のテラ様への敬愛と言うか、愛し子ちゃんへの愛とか?」

じっとりと見続けていると、がっくりとラモンが肩を落とした。「すまねぇ、魔導コンパスは試作品で、愛し子ちゃんで試した。」

「あー、弁解させてもらうとだな、愛し子ちゃんぐらい、魔力があると完全に封じるってのは、逆に不自然なんだ。だから、普通の魔力持ち程度の魔力は外に出してる。その辺はテラ様もご承知だ。今回は、それを使った。」


「ついでに言うと俺様の作る魔導具には全部追跡の魔法が組み込んであるぜ。俺様の手を離れた後、そいつがどうなってるのか知っておくのも製作者の義務だと思うからな。あ、これもテラ様了解済みね。」

途中から開き直って、ラモンの説明は続いた。最初は、嫌悪感を示していたルーも、ラモンの話に興味を持った様だ。


「マドウシ、ソレ、ナニ?」「あ、それ私も聞きたかったです。シモンさんは薬師ですよね。」「シモン?」

「シモンはこの際置いといて。魔導師って言うのは、俺様の造語。魔力を導く師父、な。」

「マリョク、ミチビク?マドウグ・・。」

ルーは考え考え単語を呟く。アイリはその顔を見て、あれっと思った。片言を話していた為、何気にしていた会話だが、結構、際どい話も出ていた。反応が無かったから油断していたが、ひょっとして・・・。


「アイリ!!」

悲鳴の様な大きな声がして、父の心配で歪んだ顔が見えた。周りには一緒に探してくれていたのだろうキャラバンの仲間の顔もある。

「お父さん。ごめんなさい。」

「アイリは何も悪くない。手を離したお父さんが悪いんだ。本当に無事で良かった。」

ルーからアイリを受け取るとダンはぎゅうぎゅう抱き締めた。そんな父にアイリは今更、愛されている事を実感する。

『こんなに思われてるって、前は全然知らなかった。当たり前だと思ってた。ホント、私って馬鹿。』

嬉しさと情けなさの混じった涙がアイリから流れ、アイリからも父にぎゅっとしがみついた。


「不安そうな様子も見せず、気丈な子だと思っていましたが、やはり、我慢していたのですね。そうしていると、年相応な女の子です。」

流暢な言葉にアイリとラモンは目を見開き、父は背筋を伸ばして、アイリを助け、ここまで連れて来てくれた女性に礼をした。


鮮やかな赤紫色のスカーフを巻いた赤銅色の肌の美女は、その緑の眼を悪戯っぽく煌めかせ、アイリに2度目の名乗りを上げた。

「いえ、御礼には及びません。あなた方にお会いしたかった。私はブラフ・ルー・ヴィシュ・ザ・フィフス、海賊貴族ブラフ伯爵次期当主です。」

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