23 海神祭最終日
目を開けると心配そうな家族の顔があった。これが、今、これが、現実、と胸元の魔石の暖かさが教えてくれていた。
「気分はどうだ?」父の無骨だが優しい手が髪をすく。「お水が欲しい。」辛うじて出した声が子供の幼い声であることに安心する。
周囲はまだ暗く、父の後にウロウロする母とシモン?いや、あの動きはラモン、がいるから、気を失ってからそれ程時間は経っていないのだろう、と思われた。
自分の持っていた魔石が血に染まっていた事を教えられて、過去の記憶に引き戻されたのだ。
「お母さんにはきつく言っておいたからな。血の染みた魔石を子供に持たせるとか、非常識にも程がある。」
「違うんだよ、お父さん。あの魔石は私にとって、多分、とても大切な物なんだ。だから、お母さんは何も言わずに持たせてくれていたんだよ。だけど、私がその色について聞いたから、お母さんは誤魔化したり、嘘をついたりしないでちゃんと教えてくれた。」
「アイリ・・・」
「ありがとう、お母さん、もう大丈夫。」
アイリは母に手を伸ばした。前世で、助けて欲しくて伸ばした手は誰も取ってくれなかった。戻って来てからは、必ず誰かがこの手を掴んでくれる。こんな嬉しい事は無い。だから、甘えてばかりいないで、自分からも手を伸ばそう。あの時、私やミルナスを心配して大人が来るまで、側にいてくれたアル様の心に気付く事が出来たのは、勇気を振り絞って声をかけたからだと思うから。
「お母さん、さっきのキャラバンを抜ける話ね、今じゃないとダメ?もし、私の為なら、シモンさん達とこの国を出てからでも良く無いかなぁ。ミルちゃんの事もあるから、次の国で別れるのはどう?そしてまた、ダブリスに戻って来たらって思ったんだけど。」
ラモンの目がまん丸になっているのが見えて、思わずアイリは笑ってしまった。50歳以上のおじさんとかとても信じられない位、子供っぽい表情だった。『そう言えば、ラモンって、いつも子供みたいだ。』
「シモンさんは魔道具を作れるんだよね。ピノの轡とか家にあった不思議な物とか魔道具でしょ。私が聖徒教会に見つからない様な魔道具を作ってもらうの。それで、キャラバンへの紹介料って事でどうかな。」
まだ少し、ぼんやりはするものの、アイリは母の手を借りて、起き上がると、ラモンと母を見比べながら提案する。
「‘魔導具‘な。‘魔導具‘を作ってるのは俺だ。アイデアはシモンだが、あいつは不器用だからな。」
『僕は薬師なんです!』
何と言ったら良いのか、一人ボケ・ツッコミを見ている気分だ。
「まあ、キャラバンを抜けるかどうかは、みんなで決める事だしぃ、ダンもユーリもこのお祭りが終わるまで、考えてみてちょうだい。彼らへの答えはその後ねぇ。」
ラモンは頭を下げると、アイリに目を合わせて「ありがとう。」と言うと帰って行った。入れ違いに一座の仲間たちがパラパラと戻ってくる。
「円満な引退のためにも、明日からも頑張りますかぁ。」
母はそう言って、長かった夜に幕を引いた。
結局、アイリの魔石に精霊が入った現象は、何一つ、解明されていないが、今は、それで良いとアイリは思った。
翌日以降、評判を聞いて押し寄せる客は、キャラバンに割り振られた区画に入りきらなかった。入場出来ない人々が道に溢れてトラブルになった為、特別に警備が付けられた。両隣の区画の興行主は、商売にならないと早々と店を畳み、有償で区画を譲ることを申し出、長年続く海神祭でも初の三区画分の設営となった。入場料は元より、軽食等の売り上げも好調で、座長はホクホクだった。
そして最終日。水の精霊の加護で波一つ無い海と風の精霊の加護で雲一つない空の青一色の世界が広がっていた。
ダブリス港の沖に、浮舞台が用意されていた。浮舞台は何艘かの釣船を前後左右に並べた上に板を敷き、周囲は大人の腰の高さの手すりで囲んである。こう表現するといかにも頼りないが、精霊達が浮舞台を支えており、下手な小舟より安定している。
海神様への奉納となる為、舞台正面は外海を向いている。後方は一面、岸に届く程に小舟が並んでいた。外海側には正面を外すように一際大きな御座船が停まっており、それには主催者のヴィエイラ共和国国主や各自治都市の首長、他国の招待客など、貴人が乗っていた。今回の演者の関係者も一名はその船に招待されている。アイリのキャラバンからは座長が最後尾に控えていた。数年前のテラの辞退事件を知る者も多く、ちらちらと不躾な視線を寄越す者達もいた。
御座船には聖徒教会ダブリス支部の神官長も同席していた。隣には、海神祭の主神であるトライドンを信仰する神殿の神殿長が座し、反対側にはイーウィニー大陸出身の三位一体教の司教が座っている。
「聖徒教会さんは、この時期、精霊の輪くぐりでお忙しいでしょうに、ご参加頂き、誠、感謝の念に絶えません。」
「今年の海神祭には、伝説の舞姫が参加すると聞いて楽しみにしております。」
「オー、伝説の舞姫、デスカ?トテモ興味がアリマス。ドノヨウナ伝説ナノデスカ?」
高位宗教家の雑談は、政治家の会話に勝るとも劣らない。この船の上では腹に一物持った食わせ者達の探り合いが、開幕まで、表目上は穏やかに進んでいた。
演者は順に小舟で浮舞台に直接運ばれ、一組ずつそれぞれの技芸を奉納する。金のある者は小舟を雇い、近くで観る事も可能だが、多くの市民や観光客は、桟橋や岸壁に陣取るか、港近くの建物に登って観る事になる。それでは、本来なら殆ど何も聞こえず、見えないはずなのだが、浮舞台には、拡声の魔道具が設置されていて、音ならば、十分に港まで届いた。また、映像は投射の魔道具があり、御座船の帆と商工会議所の壁一面に下げられた白布に映し出される仕組みになっていた。
アイリは父と突堤の先端近くに座り、浮舞台を見つめていた。海に落ちる人が出そうな程、人が溢れており、ユーリとミルナスは危険を避けて商工会議所近くに避難している。飲み物を買いに行ったナキム達はここまで戻って来れないようだった。
「何か緊張しちゃうね。」
開始を待つ人々の期待が次第に高まり、港湾全体の喧騒が最高潮に達する頃、御座船から開始の合図となる銅鑼が鳴らされた。




