22 2代目アイリ
「アイリ、アイリってば。」
軽く揺さぶられ、はっと目が覚めた。昼食後の講義はどうしても眠たくなる。前の晩についつい魔石への魔力充填をやり過ぎてしまったので、疲れも残っていた。生活に必要な各種の魔石への魔力補充は、“聖女の義務“とされているが、他の聖女達が‘地味で疲れる‘と敬遠する事もあり、アイリやクィンの様な地方出身の平民に回わされる事が多い。小馬鹿にされるが、手間賃も入り、ありがたく受けている。教会が衣食住は補償するとはいえ、ランバード辺境伯の養女となってはいたが、自由になるお金を持たないアイリには、収入源として貴重なのだ。
「ありがと、クィンちゃん、今、どの辺?」
「第8代大聖女様の北夷討伐。」軽く唇を噛み、親友は教えてくれた。北方連山麓の村出身のクィン・リーにとって、北夷とは他ならない自分達を意味する。それがわかっているから、同期の聖女達はクスクスとこちらを見ては意味深に笑っているのだ。
ここはシャナーン王国の大聖堂に所属する聖女の教育機関。アイリ・ランバードはこの秋、15歳を迎えた。10歳で前世の記憶を持ったまま生まれ変わって、既に5年が経っていた。記憶を取り戻したのが、精霊の輪くぐりを催していたランバード辺境領の聖堂であったが、覚醒と同時に攫われるように、王都に連れてこられ、そのまま大聖堂預りとなってしまっていた。四大精霊全部の加護持ち、と鳴り物入りで、大聖堂入りしたアイリだったが、そこでの再鑑定では鳴かず飛ばずで、本当に四属性持ちなのか疑われた。アイリ自身は早く聖女から外れて、家族の元に帰りたかったから、気にも留めていなかったが、初代アイリが会得した聖女の力の影響か、留め置かれている。家族とは面会どころか手紙の遣り取りすら無い。旅から旅へのキャラバンとは言え、何年かに一度はシャナーン王国に来る事もあるだろうに、どうして会いに来てくれないのだろう、手紙を書いても返事すらくれないなんて薄情だ、と思う。だが、一方で、まだ生きているはずの両親と姉、弟をあの魔物の群れに襲われる悲劇から遠ざける為には、シャナーン王国には立ち寄って欲しく無い、と真剣に思う。
やり直しのこの2回目の人生で、アイリは初代が見向きもしなかった大聖堂の資料室に入り浸って魔物の知識を得る事に必死になっていた。
「スライム」母の呟く様な声が耳から離れない。
スライムの目撃情報を集め、可能なら現地に向かい、特徴を探り、対処法を検討した。魔法・物理耐性の高いスライムに有効な武器の開発にさえ手を出そうとして、流石に聖女には相応しくないと止められたが、陰では自力で武器への魔力付与にも挑戦していた。
スライムの餌になる魔物討伐にも積極的に参加し、天の御使いとしての聖女の役割を蔑ろにするアイリは、大聖堂では異端だった。
「野蛮な」「平民出身の」聖女は、きっと大聖女にはなれないだろう、ともっぱらの評判で、ライバル視されることがなかった為、前世に比べれば嫉妬ややっかみの無い平穏な生活を送っていた。
「アイリ・ランバード、明後日の東の穀倉地帯への巡察のことなのですけれど、少しお話しよろしいかしら?」
その日の講義が全て終了し、クィンとこっそり槍術の練習をしようとしていたアイリに、声をかけた者がいた。
友人と言う名の取り巻きを連れた、ダイアナ・ミルフォード公爵令嬢、大聖女候補筆頭だ。
「レディ・ダイアナ。」そう言って、アイリは廊下の端により、スカートの裾を摘んで、腰を軽く落とした。前世で叩き込まれた作法は、今世でも何かと使える。
「改まった儀礼は不要よ、私たちは同じ聖女同士。身分は関係ないのですから。」
『そう言われましてもねー、前世で、バリバリ、身分違いって言われ続ければねー。』
視線を落としたままアイリは「恐れ入ります。」と答える。
ダイアナ自身は身分を気にしないと言い、実際、分け隔てなく接してくるが、ここでその言葉を真に受けてはいけない。うっかり、顔を上げようものなら、取り巻き達から、凄い形相で睨まれ、後々、嫌味の雨が降るのだ。
礼を崩さないアイリに軽く苛立ちながら、ダイアナは、要件のみ伝えた。
「大変急なことですが、その巡察にはアルブレヒト第一王子がご参加されることになりました。くれぐれも、ご無礼の「では、私のような下賎な者がご同行するわけには参りません。直ちに、神官様に辞退をお願いして参ります。」無い様に」
話している公爵令嬢の言葉を遮るなど、本来は無礼極まりないが、アイリは呆気に取られるダイアナに一礼すると走り出してしまわぬできる限りの早足でその場を立ち去った。慌てて、クィンも後を追いかけて来ているのがわかったが、アイリはそれどころではなかった。前世で恋人同士だったアルブレヒト王子には、会うわけにはいかない。それこそ、会ったら最後、この5年間で築いてきたダイアナとの関係が崩れてしまうかもしれない。アルブレヒトとダイアナは今世でも婚約者同士。もし、また、この二人の間に入り込んでしまう様なことがあれば、死が待っているかもしれないのだ。
今世で、最初は避けていたもののしばらく同じ聖女として過ごしている内、アイリはこの公爵令嬢が前世で信じていた程、悪い人では無いと思う様になっていた。それを言うなら、他人の婚約者と恋仲になった自分の方がかなり非常識だったのだ。
あの過去で、ダイアナに言われた事はいちいち尤もで、今思うと、恥ずかしくて自分を殴りたくなる。あの時のアイリはそんな当たり前の事すら分からない程、追い詰められていたとは思うが、当事者のダイアナ以外、アイリを諌める程親しい人がいなかった、と言う事実も悲しい。
今のアイリには、クィンがいてくれる。自分がもし、また、アル様に会って恋に落ちたとしても、それで周りが見えなくなる程、盲目的にその恋に依存してしまう程、溺れる前に止めてくれるだろう。だが、危険は避けるに越した事は無い。真っ青な顔で神官に巡察同行の断りを伝えれば、第一王子の参加を知らされた聖堂もあえて反対はしなかった。
そうして、アイリの代わりにダイアナが同行した東の穀倉地帯の巡察で、イナゴの被害報告がなされたにも関わらず、なんの対策もなされなかったが為に、この年の2年後、隣国の支援を受けた革命が勃発し、アイリの2度目の生は閉ざされることとなる。




