18 母の怒り
ラモンは言いたかったことを全て吐き出せて満足したように、鼻歌まじりで、馬車を走らせた。市街地を抜け、街道に入るとダブリスに近い方から、街に入り切らなかった商隊がキャンプを張っていた。荷物置き場や寝床としてだけで無く、並行して商売をしているところもあった。
アイリ達のキャラバンは早期にダブリス入りしていた為、市壁の見える所に拠点がある。
「じゃあねー。」
ラモンはその前に荷馬車を停めると、近くで大道芸の練習をしていた一人に手を振って到着を知らせた。そして、ヒラリと御者台から飛び降り、そのまま元来た道を戻って行ってしまった。
「おかえりー、アイリ、って、どうした!?泣いてんのか?ラモンに虐められたのか?」
早速駆け寄って来たのは、ピノを連れたナキムで、真っ赤になったアイリの目と汚れた頬に慌ててラモンを追いかけようとした。
「違うの、って違わないけど違うの。ただ、家族を誉められたから、照れ臭くて、そんなことない、って言っちゃって。ラモンさん、家族が居ないから、贅沢だ、って言われて。」
「え、だって、シモンさんが、って。そうか、うん。アイリの家族はほんと仲良いからな、羨ましくなるのわかるよ。」
そう言って、ナキムはピノを撫でた。
そのピノからは黄色の綿毛が、心配そうにぴょこんと顔を覗かせるように飛び出していた。アイリの周りの精霊達も、励ますように飛び交っている。
『ありがとう、みんな。私は大丈夫だよ。みんなと話ができるように頑張るから。』
精霊達に心の中で伝えて、目の前にいた赤い綿毛を祈るように、包み込むようにそっと手で囲った。今までなら、捕まえる前に逃げて行ってしまった精霊は、今、手の中で大人しくしている。ほんわりと手の中が暖かい。愛しくて大切で、抱きしめるようにそのままそっと胸に引き寄せた。丁度、母からもらったお守りのペンダントの辺りだ。
すうっと手のひらを何かが通っていく感覚があり、驚いて広げたアイリの囲った手の中に、もう綿毛はいなかった。
!?
キョロキョロと周りを見回しても、アイリの赤い綿毛・火の精霊はどこにも見当たらなかった。パニックがアイリを襲う。ナキムがいるにも関わらず、思わず叫んでしまった。
「何処にいったの?お願い、戻ってきて!」
「アイリ!?どうした?」
精霊の見えないナキムには当然、何が起こったのかわからない。突然の彼女の行動に戸惑った。ナキムを振り返ったアイリの顔は酷く苦しげだった。
「な、何でもない、よ。」
「何でもない、って顔かよ!どうしたんだよ。」
「大丈夫、大した事ない、から。」
本当は全然、大丈夫では無く、大事なのだが、そう言わざるを得ない状況に、アイリの気持ちは苛立つ。ナキムがいなければ探しに行けるのだ、そう思う。更に不審を煽るだろう事に気が回らず、アイリは馬車の中の荷物をひっくり返し始めた。
「アイリ!」
ナキムが腕を掴む。「どうしたって言うんだ?何か無くしたのか?」
「いなくなったの。とても大切なの。ずっと一緒にいたの。」
ポロポロと涙がこぼれる。何を言っているのか自分でも理解していなかった。言葉が、気持ちが、口から勝手にこぼれ出た。「私を守ってくれてたの。あの時からずっと。知らなかった。気付いてなかった。だから?だから、もう、私の側には居たくないの?」
床に蹲ってしまったアイリにナキムはなすすべも無く、立ち尽くす。そんな時、スルスルと彼の肩からピノが降りて来て、アイリの三つ編みにした髪を引っ張った。顔を上げたアイリに、猿はいつもの黄金色の目ではなく、魔物の赤い目で、彼女の胸元に手を伸ばす。母の髪を編んだお守りのペンダントが服の上からでもわかる程、赤い光を放っていた。
紐をたぐって服の下から引き出すと、ピノの目は元の金色に戻っていた。きょときょとと周りを見回し、ナキムの足に抱きつく。
「ピノ?」
ナキムには全く何が起こっているのかわからない。いきなり、アイリの所に行って、髪の毛を引っ張って戻って来たのだ。そしてアイリは呆然とペンダントを見つめている。
アイリの手の中で、ペンダントの魔石が赤い光を放っていた。それは、火の精霊の存在を強く感じさせるもので、どう言う経緯か、アイリの火の契約精霊は、この魔石に取り込まれてしまった様だった。しかし、それは封印されたのではなく、依代を得た様な安らぎと満足感が魔石からは感じられた。
アイリは魔石をぎゅっと握りしめ、今度は安堵の涙を流した。「良かった。ここにいてくれるんだね。」当たり前だ、と言うように魔石は更に輝いた。
「アイリ?」おずおずとナキムが声をかける。「その、大丈夫か?」
「心配かけてごめんね。」辛うじてそれだけ言うと、アイリはまた、泣き続けた。
帰って来たもののいつまでも馬車から降りてこないアイリ達に大人達が様子を見に来る前に、ナキムは、アイリにミルナスの寝ている籠を持たせ、馬車から降りるよう促すと、自分は、馬車が積んで戻ってきた汚れ物、繕い物や、食材などの荷物を下ろし始めた。『ラモンの奴、明日、絶テェとっちめてやる。』
一方、鼻歌混じりに宿営地を去ったはずのラモンは、一人になると怒ったような厳しい顔つきになり、地面を睨み付けるように歩いていた。
『何、怒ってんだよ、シモン。』「・・・」『シモーン。』「・・・」『・・・』
「いい加減、都合が悪くなると私に変わるのやめてくれませんかね。」
今、表に出ているのはシモン、背を丸め、道の端を遠慮がちに歩いてはいるが、いつもの気安く声をかけられそうな雰囲気は影を潜めていた。
「あなたのその考え無しの行動が、毎回、どれだけ、騒ぎを起こしているか。引っ込むって事は少しは反省してるんですか?」
『・・・』今度はラモンが黙る番だった。
「大体、言い方が嫌味なんですよ、あなたは。子供相手に、何、畳み掛けてるんですか。普通の大人の男でも、ラモンの言葉は凶器なんですから。」
『だけど、あれは、5歳児なんかじゃねぇ。』
「そうだとしても。言いたい事だけ言った所で、何の解決にもならない事ぐらい、そろそろ理解したらどうですか?我ながら、嫌になりますよ。」
『・・・お前の言い方も大概イヤミだぞ。』
「当たり前です。嫌味を言ってるんですから。このまま、テラ様に謝りに行きますよ。」
シモン、いや、ラモンの足が止まる。「無理。無理無理無理。俺、しばらく隠れる事にするわ。」くるりと踵を返し、ラモンはシモンが向かっていた先に気付くと、駆け出そうとした。が、
「あらぁ、何処に行くのかしらぁ?」と笑顔ながらに目の笑っていないテラが後ろから声を掛けた。ギギギ、と音がしそうな程硬直し、ラモンは振り返った。身体の中では、絶対に主導権を交替しない意思を持って、シモンが踏ん張っていた。
「テ、テラ様。」
「うちの子に何してくれたのかしらぁ?」にっこり笑うテラの後に、憤怒の表情をした二匹の竜。どうやら精霊を通して連絡はきっちり届いていたらしい。
「何って、なに『ラモン!』も」その瞬間、ラモンの喉がゴクリと鳴った。テラの瞳が真紅に染まり、虹彩が縦に伸びていた。その瞳がラモンを捉える。彼女の契約精霊以外のこの場にいる全ての精霊達の動きが激しくなり、ザワザワと世界が不安に震えた。
「私に私の家族の事で嘘をつくのなら、相応の覚悟を持ちなさい。」
「だ、だけどテラ様、あの精霊は、ひどいです。あんな拘束されてるんですよ。強制的に魔力を取られてるんですよ。」
「それは違う。あの子は魔力を使わない。」
「お言葉ですが、そんな事わからないじゃないですか!あのやり方は聖徒教会の精霊付きを作る時の」
「わかるのよ。あの子の精霊は理から外れているの。あの精霊では魔力を上手く使えない。」
「『は?』」
溜息をついて、テラは冷たい目でラモンを見据えた。
「アイリは本来は魔力をほとんど持たない平凡な子でした。それが、突然今みたいになった。それから半年も経っていない。あの子はよくやっている。よく知らないお前にとやかく言われる筋合いはない。弁えなさい。」
そう言うとテラは一度ゆっくり瞼を閉じた。深く息を吸い息を吐くと、周りの精霊達の緊張も解けていく。最後に呆然と崩れ落ちるラモンの姿を見下ろすと、彼女は立ち去り、その場にはラモンだけが残された。