16 ラモン暴走する
振り返ると感動に打ち震える青年が1人。よろよろとテラの前までやって来るとその場に跪いた。
「何と、美しいんだ。『何て美しい方なのでしょう。』天上の女神も色褪せようと言うもの。『何とぞ、この卑しい我が身に憐れみをお与え下さい。』俺にどうか貴女のその美しい手を取る名誉を与えて下さい。ああ、その微笑み。『慈愛に満ちた眼差し。まさしく聖母。』もう俺の心は貴女の物だ!『その御心をもって迷える我らをお導き下さい。』」
二重に聞こえる大音量の母を崇め讃える言葉に、アイリは思わず後退り、母の衣装にしがみついた。
「俺はラモン・ラファイアット『私めはシモン・ラファイアット』
『『猛き赤い竜、そして、疾き緑の竜、二体の竜体をかたどる精霊を従える御方』』
「貴女にこの身を捧げます。どうかこの俺に貴女と過ごす一夜の幸せを!『ええーっ、ラモン、何言ってるの!?この馬鹿ー!』
あ、何だろうこの残念感。今、凄い事言われたのに、物凄い速さで、一瞬で、最速で、どっかに消し飛んだ。
だが、そう思ったのは、アイリとテラの二人だけで、恐らく二重音声の聞こえていない他の人々は、これから起こるであろう彼女の夫による一幕に、数歩後ずさった。
「ほぉ、亭主の前で妻を口説くとは良い度胸だな、何て言うと思ったかー!」
ぶん、と音を立ててラモンの鼻先に木の棒が突き刺さった。石畳に穴が開き、破片が舞う。
「亭主?」と訝しげに首を傾げるものの、驚いたり怯える様子を見せずにラモンは、テラに尋ねる。
「見るな。」視界の先に立ち塞がって、ダンは、自分の胸を叩いた。「亭主、旦那、伴侶、夫。どうだ!」
にっこりとテラが微笑む。
「そしてーっ、愛の結晶たる、息子!」とテラの腕の中でびっくり目をしているミルナスを指差し、「娘1」と後に立つユーリをさし、「娘2」とテラにしがみつくアイリを指した。「どうだ!」
何が「どうだ」なのか、周囲が疑問に思いながら、息を詰めて見守る中、テラ、ダン、ミルナス、ユーリ、アイリ、と目を動かしたラモンが、アイリを認めて、軽く目を見開いた。「あー、精霊の愛し子ちゃん。」
「あ、あの時の変「何!変態だと!この野郎、俺の可愛いアイリに何をしたっ!」人・・・。」『お父さん、話聞いて下さい・・・。』
助けを求めてアイリはナキムを探した。
ナキムはしっかり座長の後に隠れており、アイリの必死の眼差しになかなか気づいてくれない。ならば、と長兄さんを探せば、この人はこの人で、ユーリを庇う様に囲い込んでいて、姉は真っ赤な顔をしてはいるが、ひしっと彼の腕を握っていた。『やるじゃん、お兄さん。』心の中でグッジョブサインを出しながら、『でも、今はこっちに気づいて欲しい』と、アイリは肩を落とした。
「あのね、お父さん、変人だけど、変態じゃ無い、かもしれ無い?あの、ピノちゃんのお医者さん、の知り合い?の人、かな?」
同一人物なのにそれを隠して別々に生きているらしいシモンとラモンの秘密を知った上で、知らないふりで説明するのは、難しい。が、ここでピノの名前に反応したナキムが顔を覗かせて、「あ、ラモン、さん?」と声をあげてくれた。
「ナキム、知り合いか!」ぐるん、と振り返ったダンの迫力に、ナキムはひっと、また座長の陰に隠れてしまった。
「ダン。」
母は片手で父の顔を引き寄せ、その口に軽くキスをするとミルナスをその胸に押し付けた。
「落ち着いたぁ?ちょっと、ミルちゃんを見ていてもらえるぅ?彼の話を聞いてみるわぁ。「だがっ」大丈夫よぉ、私、強いものぉ。」
父の目を見て更に深いキスをして母は言う。こうなっては、父は引かざるを得ない。
「だが、俺の目の届く所で話してくれ。」
「勿論よぉ、愛してるわぁ、ダン。」周りに何人いようと、お構い無しにもう一度ディープキスをしてから、テラはラモンに立つよう促した。
「お母さん、私も一緒に聞いても良い?」
アイリは掴んでいた母の服を引き、小声で尋ねた。それに対し、テラは少し考え、微かに首を振った。「わかった。」軽く口唇を噛み頷くアイリの頭を優しく撫で、彼女は少し離れた場所に移動した。
父はそのままアイリを抱き寄せ、二人の方を不安げに見遣った。ナキムが小走りにやってくる。ユーリも長兄さんから離れ、父に抱き着いた。長兄さんは座長に経緯を話しているようだ。
しばらくして、母がこちらに笑顔で手を振り、ラモン(シモン?)は深々と頭を下げると立ち去った。
「テラ、大丈夫なのか?」「勿論よぉ。」「一体、何だったんだ?」
ミルナスを受け取り、ダンと何度目かの口づけを交わして、アイリとユーリを安心させるようにしっかり抱き締め、テラは小首を傾げて答える。
「んー、しばらくぅ、この一座に出入りさせて欲しいんですってぇ。座長さんに、聞いてみるわぁ、って答えておいたわぁ。」
「「「なんで!?」」」
「だって、そうでもしないとぉ、ずっと離れないって言うんだものぉ。」
「じゃあ、お母さん、座長さんにお願いしてみるわぁ。」
母は何でも無いことの様に告げると座長の元に行ってしまった。
「ふふふ、そうかそうか。なら、もう二度と来たくないと思わせれば良い、って事だな。」バキバキと指を鳴らし、肩をブンブン回す父の良い笑顔に、アイリとユーリの姉妹は共に手を取り合って顔を見合わせるしか無かった。
一方、ラモンとシモンは明日からどちらが一座に参加するかでその晩、長々と議論をしたが、その勝者が幸せだったかどうかは本人のみが知るところであった。