15 ダブリスの海神祭
ダブリスの海神祭は夏至を挟んで一週間続く。だから、次に、ピノをシモンの所に連れて行くのはまだ大分先だ。
「先生はあー言うけど、やっぱ、可哀想だよなー。」
帰り道、ナキムはピノを胸に抱えて言った。ピノは薬をもらって大人しく眠っていた。
「死にかけてたのをここまで元気にしてもらったのだから、先生の言う事をきちんと聞くべき、だと兄ちゃんは思うぞ。」
ナキムの長兄は背中のアイリの場所を軽く揺すって整えると諭す様に言った。
「無理矢理外そうとして、怪我させたく無いだろう。」
「だから、先生に頼んだのにー。」
「自分の基準で考えるな。今のピノにとってそれが一番良い事なんだろう。可哀想とか言ってないで、お前が出来る事をするべきだろうに。ちゃんと、ピノと気持ちをつなぐんだぞ。」
「・・・うん。」
ピノの頭をそっと撫でる。小さく、暖かい体を大切にしたいと思う。ナキムにとって、初めて任された調教の仕事だ。成功させたいとは思うが、だからと言って無理矢理従わせたのでは、良いパートナーとはなり得ない。
「頑張れ。」
「あー、アイリ、お前、起きてたのかよ。なら、降りろよー。」
「ベーだ。アイリちゃんは病み上がりで旅をして来て、とっても疲れているのデース。」
アイリは長兄の首にしがみついた。
『この人、ユーリお姉ちゃんと今生でも結婚するのかなぁ。お姉ちゃんはお母さんに似てすっごい美少女だから、競争率高いよね。前はあんまり興味無かったから、この人の事よく知らないけど、お姉ちゃん幸せそうだったし、良い人なんだろうなぁ。・・・あの時、お姉ちゃんのお腹にいた赤ちゃん、今度こそ、生まれて来て欲しいな。』
あの残酷な夜、この人もみんなを守る為に戦って果てたのだろう。鼻の奥がツンとして、泣きたくなった。
「あの、私のお姉ちゃんの事、よろしくお願いしますね。」
耳元で告げられたアイリのお願いに、彼はその意味を理解すると真っ赤になって、アイリを背中からずり落としてしまった。
「そそそそれは、どどどどう言う・・・。」
ナキムはそんな兄を残念そうに見て、無理じゃないか、と思うのだった。
都市部での興業では、キャラバンは市街地の外に留まり、公演スペースは最小にしてコストダウンを図る。ダブリスでも港に面した一等地には主に飲食店ブースが軒を連ね、芸を見せる者達は港から市の中心へ向かう主要道路沿いに配置されている。アイリ達のキャラバンは、市壁の外に馬車を停め宿営地とし、主要メンバーだけが割り当てられた区間で舞台を整えていた。
海神トライドン様が歌舞音曲を好むと言い伝えられており、祭りの人気は歌や踊りが中心になる。アイリの母は一座の花形だから、なかなか到着しない彼女に座長はハラハラしていたのだ。
毎年、人気の演者には、最終日に海の上に用意される特別な舞台で演技するチャンスが与えられる。その演者に選ばれる事は非常に名誉な事であり、その演者のスポンサーも翌年の海神祭での公演ブースが優遇されるとあって、時には不正が行われた事もあったと言う。しかし、不正で最終日の舞台に上がった者達は1人としてまともに演技を披露出来ないで海に投げ出された。
その演技は海神様に捧げられるものである以上、紛い物を捧げる訳には行かない、と水と風の精霊が舞台から叩き落としてしまったからだ。そんな事が何年か続けば、精霊が見えない人々にも「これは何かあるのでは無いか」と疑いを抱かせるには十分で、時の共和国国主によって、不正を行った者、行わせた者には厳罰が処せられる事となった。
アイリが生まれる前、母は一度この演者に選ばれていたが、海の上の舞台で踊る事を辞退していた。選ばれた後にアイリがお腹にいる事がわかり、海の上で何か起こったら、と言う過保護な父親の意見が尊重された結果の辞退だったのだが、前代未聞な事であり、現場で不正がばれるのを恐れたのでは?と言う噂が立ってしまった。
祭り関係者や上層部は呆れながらも辞退を認めていた為、キャラバンに咎めは無かったのだが、それがまた癒着などと言う下種な勘繰りを産み、今年になるまで、海神祭への参加を控えていた。
座長が今年参加を決めたのは、その勘繰りで政治生命を絶たれる可能性にも関わらず、弱小キャラバンを無実の罪で罰しなかったダブリス市長が引退を決めたと聞いた為だった。そして、テラが海神祭最終日に特別舞台で演技するにふさわしい女性である事を今度こそ海神様に証明し、市長への感謝と彼らを貶めようとした者たち全てに胸を張る為だった。
アイリがナキムとシモンの元を訪れていた間、テラとユーリは衣装合わせとリハーサルを済ませていた。テラは勿論、ソロで何曲も踊るが、ユーリも群舞の中でペアのパートがあって、気合いが入っている。
「ただいま〜。お母さんもお姉ちゃんもすっごい綺麗。」
到着が遅れたせいで、いきなり本番さながらのリハーサルにアイリもテンションが上がる。
「うふふ、ありがとうねぇ。当日はもっと張り切っちゃうわよぉ。ユーリも良い感じねぇ。」
「うん、舞台の広さも大体わかったから、どのくらいなら思いっきり動けるのか掴めたと思う。」
汗を拭く美少女の笑顔は破壊力が凄い、とアイリが感心していると、周囲で何名かやられてた。
「あー、あー。」頬を染め目を逸らす少年の隣、ナキムの抱く白い猿に抱っこされているミルナスが手を伸ばした。
ヒヤリとしたが、ミルナスに付いている緑色の綿毛、風の精霊が守る様にその周囲を漂っており、ピノも大人しくしている。と、
!!
「ミルちゃん!?」
アイリの大声に周りの人々がこっちを見た。
「あらあら、まあまあ。」
笑顔でやって来た母はアイリの頭をするりと撫でで、大丈夫と落ち着かせると、夫から赤ん坊を受け取った。そのまま、ミルナスの頬をツンツンと突いた。キャハッとミルナスは嬉しそうに笑い、周囲の緊張が解けた。
そして、アイリの目には、ミルナスの手からわたわたと逃げ出す様に飛んで行く綿毛が見えていた。小声で聞いてみる。
「お母さん、今、ミルちゃん、精霊を捕まえたよ、ね?」
母がにっこり笑った事で、その疑問は肯定された。
『うわー、やられた。何それ、私が知らないだけで、精霊って、見たり話したり出来るだけじゃ無くて、触れるの?あー、待って。うん、これわざと教えてくれなかったってやつだ。だって、ちょっと考えたら想像つくもん。』
ジト目で見上げるアイリに対し母は凄く良い笑顔だ。
「それって、見える人には普通に出来る事?」
「アイリも赤ちゃんの頃はしてたわよぉ。今、付いてる子達とは別の子達だけど。」子達
「む」
またまた、考えなければならない疑問が出て来た。私は何処かで精霊を失う様な事を仕出かしていたのだろうか?
「女神だ!」
『女神様!』
そんな時、アイリ達の後から、感極まった叫び声(二重)が響いた。