14 シモンとラモン 2
聖域とは、聖なる天の力で満ちた清らかな空間、それを作れてこその聖女、と聖徒教会では教わった。だが、聖なる天の力とは具体的にどんなものなのか、アイリにはよくわからない。
この、乱雑な、物に溢れた空間に、聖域に感じるのと同じ『暖かさ』がある。母からもらったお守りを服の上から握りしめ、目を閉じて心を少し解放する。そうする事で集中力が増し、周囲の気配が探り易くなると、あちこちに精霊を感じた。海が近いからか水の精霊が多いが、不思議な形の植物の近くには地の精霊もいてその成長を助けている。魔道具に込められている魔力に惹かれて寄って来ているものも多そうだ。
ピノの体から生えている様に見える地の精霊に、同属性の黄色の綿毛が集まって来ていた。話しかけている様にも見え、微笑ましい。
魔物とは恐ろしいモノだとずっと思っていた。初代アイリを襲った魔物達は恐怖でしか無かった。スライムはその最たるモノで、思い返してみても「敵意」しか感じられない。だが、ピノには恐怖を感じない。恐ろしい魔物と、そうでない魔物と、一体、何が違うのだろう。精霊には善悪はあるのだろうか?悪の精霊が付いたら恐ろしい魔物になって、善の精霊が付いたら怖くない?
2代目アイリが倒して来た魔物は?
討伐依頼が出る魔物は、人々の生活を脅かすモノだった。でも、魔石や素材目的で狩られていた魔物は?人里離れた山奥に魔物を倒しに行ったのは、何故?
このやり直しの始まりになった魔人は?本当に討伐しなければいけない事をしたの?
『知らない。知らない!私は何も知らないまま、言われるままにそれが正しいと信じて、倒して、いいえ、殺して、来た。』
その事に思い至って、アイリは吐き気を覚えた。魔物を倒して良い気になっていた自分が気持ち悪い。2代目アイリの殺された原因が、隣国が糸を引いていた革命だとしても、そのきっかけになった、蝗の大量発生には不必要に倒した魔物が影響している可能性もあるのでは無いのか?
「まだ、怪我が治っていないから、ストレスで噛み付いたりする危険があるよ。可哀想に思う気持ちはわかるけど、もう少し辛抱して欲しいかな。」
『魔物の方が怪我の治りは早いからな。治るまで、精霊には付いていてもらった方が良い。この轡には封印の魔法陣を刻んだが、上手く働いている。』
シモンの言葉が二重に聞こえ、アイリはうっすらと目を開けた。前髪の向こうから確かに彼がこちらを見ているのがわかった。
隣室では、ピノの轡を外して欲しいと頼むナキムに、シモンが出来ない理由を説明している様子だった。小さなピノを怖がらせない様、撫でる時も指の背や指先を使って、ゆっくり撫でている。時間をかけブラシをかける様にシモンの指が動き、ピノを落ち着かせていった。目を閉じて大人しくしている姿から、安心して身を任せている様子が伺える。そしてその指はピノから飛び出しそうに付いている精霊をも撫でたり、くすぐったりしていた。かまってもらって満足したのかやがて精霊は猿の中に沈み込むように戻って行った。
シモンは精霊に触れていた!
見間違いでは無い。アイリは再び目を閉じた。魔石を更にきつく握りしめる。大丈夫、お母さんが守ってくれる、そう考えると気持ちが落ち着いて来る。彼は何者なのだろう?声が二重なのは何故?どうして私を見ていた?どきどきしているのを気づかれてしまっただろうか?魔力が上手く隠せていない?何かを疑っているけど、確信してはいない?だから、こうやってカマをかけて来ている?
「後、数日だから、海神祭が終わったら、また連れて来て下さい。」
『聞こえてる?もし聞こえてたら、又来てくれないか?精霊の愛し子さん。』
アイリは眠った振りを続ける。ここは『聖域』に似ているけれど、精霊達には敵意が無いけれど、「彼」は得体が知れない。アイリは心を閉じた。二重音声も消える。
「食事はこれまで通り、すり潰した物で、水を多めに・・・。」
シモンの話は続いて行く。
不思議な擬似『聖域』と意外にも心地良いシモンの声は、長旅で疲れていたアイリを眠りに誘った。警戒していた筈が、いつの間にか本当にアイリは床に蹲って眠ってしまっていた。
ピノを世話する時の細々とした注意事項を教わって、アイリを起こさずにナキムの長兄がおぶって、彼らが帰った後、作業机の上を片付けるシモンに話しかける者がいた。
『で、どうなんだ、シモン。あの嬢ちゃんが俺らの希望の星なのか?あんな簡単に眠りに引き込まれて大丈夫かねぇ。』
「よくわからないですね。不思議な子だとは思いますよ。精霊の反応はどうでした?」
『精霊はいるぜ。気に入らねぇ事にがっちり護ってる。だけど、普通の精霊付きと精霊、そんな単純な関係には見えなかったな。俺の出番かぁ。ワクワクするねぇ。』
「ラモン、手荒な真似は、」
『しねーって。ちょーっと仲良くなって、俺達に力貸して下さいって、頼むだけだろ。』
「嫌な予感しかしないのですが・・・」
『ははは、まあ、任せとけよ。この天才魔道師のラモン様にかかれば、ガキの一匹や二匹、あっと言う間に、従わせてみせるさ。』
部屋の暗がりに向かって話しかけていたシモンは大きく溜息をついた。
「本当に勘弁して下さい。あなたの尻拭いは本当に本当に大変なんですよ。」
『よく言う。俺はお前だろうに。』
その言葉と同時に、シモンは鬱陶しげに前髪をかき上げ、撫で付けた。背筋をスッと伸ばし、ダブついた服の裾を括り、適当に着崩す。
「さってと。んじゃま、まず、可愛い子ちゃんの居場所でも突き止めますか。」
獰猛に笑う灰色の目をしたシモンであった者は、勢いよくドアを開けて出て行く。
その直後、「あ、こら、テメェ、ラモン!この間の事、忘れたとは言わせねぇぞー!」と罵声が飛び、「えー、なーにー、わかんないなー、僕、シモンだよぉ。」と言う嘲り混じりの返答があった後、バキバキと物が壊れる音と数人が走って行く音が路地裏に響き渡った。
シモン・ラファイアットとラモン・ラファイアットは、一つの身体に二つの魂を持つ存在。そんな彼らにとって、アイリは宿願成就の鍵になるかも知れない人物と認識されてしまった。