120 狂皇帝の玉座
それは見たこともない不思議な空間で、恐らく非常に高度な技術が使われていると思われた。複雑に入り組んだ大量の配管、魔石。
来るな、と言われても、待っている事など出来なかったルー達は、少し離れて精霊達の後をついて、一部崩壊した霊山の隠されていた建物の中に、足を踏み入れた。
「何だよ、これ・・・。」
シルキスが辺りを見回す。ミルナスも警戒を露わに弓を構えた。
「霊山の下にこんなものが・・。何の為に?これが、ロフェンケトの魔道文明?」
とりあえず、そこが最終目的地であったのか、前を行く精霊達の足が止まった。
そこは、宮廷の大広間の様な空間。正面玉座に座す人物から噴き上がる魔力の凄まじさに圧倒される。しかし、その人物は身を捩り苛立ちに声を荒げている。
「何故、ここから出れない。魔力は十分な筈だ。」
【それは特別製の檻なんですよ。】
【狂皇帝を封じて閉じ込める苦肉の策です。】
地と水の精霊が、男に答える。
【あなたもよくご存知のはずです、シャオシャオ様。】
その呼びかけにシャオシャオと呼ばれた男はピタリと動きを止めた。
【お忘れですか?あなたとロン・ロー様でその陣を張った事を。】
男は周囲を見渡した。一段高くなっている玉座を中心に八方向にそれぞれ異なる八つの記号が描かれている。その記号に向かって魔力が流れ込んでおり、記号から記号へ蜘蛛の巣の様に縦横に魔力で模様が描かれていた。
「八卦陣・・・」
【そうです。思い出しましたか?】
【その体から、早く離れて下さいませ、シャオシャオ様。】
【【贄になりたいのですか?】】
最悪だ、なんで自分から、狂皇帝の中に入ってるんだ、あのスライムは?何の為に八卦陣を敷いて、霊山なんて箱まで作ったんだ。全て、こいつを封じる為じゃなかったのか?どうする?ロン・ロー様にどうにかして連絡を、そうオーロンが考えた時、それまで乱れていた男の魔力が、すうーっと引いていった。
「そうだ。八卦陣は、外から破るのは困難だ。だから、僕は中から破る事にしたんだ。贄になる?笑わせる。これはもうただの僕の操り人形。」
一度、大きく息を吐くと男は、ゆったりと玉座に腰を下ろした。そうして、その一段高いところから、精霊達を見下ろした。
「この身体はロフェンケト魔道皇国の最も偉大なる狂皇帝。不老不死を求め、幾つもの実験を命じ、数多の生命と時間と黄金を注ぎ込んだ。生あるうちにその望みが叶わないことを知ると、己の肉体と魂を現世に留める為の魔道具を作らせた。それが、ここ霊山とオベリスクだ。」
その考えが幼稚だと、鼻を鳴らす。
「そして、自分は寿命が来る前に眠りについた。次に目覚める時は、不老不死を手に入れているはずだった。」
「だが。こいつは裏切られた。こいつの狂気の犠牲になった魔道士達によって、こいつの魂は二つに分たれ、一つはここに、もう一つは別の所に封じられた。おかげでこいつはただの腐らないだけの死体だ。生前から、魔力の器としてはかなりなものだったが、魂が無い分、この死体の方が、魔力の変換効率が高い。」
そう言うと、つまらなさそうに男は左手に炎を灯した。
炎はその色を黄から赤、青、そして白へと変えていき、その勢いもぐんぐん上がっていった。男はそのまま左手を握り込むと、槍のようにカイに向かって投げつけた。
しかし、それは八卦陣の結界を越える事は出来ず、弾かれた炎が四方に飛び散った。自分に向かってきたそれを手の一振りでかわして、焼け爛れた皮膚をぺろりと摘み上げた。その下からすぐに新しい皮膚が再生してくる。
「うん、悪くないね。それで?君たちは何?ここの事にも詳しそうだけど。」
先程の攻撃が挨拶だった、とでも言うように、淡々と男は続けた。
「僕がシャオシャオって知ってるのに、敵対するの?」
アイリを抱えた元カイだったものは、シャオシャオを見据えたまま、何事か呟いた。数歩後にいた火の精霊テスが進み出て彼女を受け取る。そして、風の精霊と共にルー達の所まで下がった。
「姉さん!」「ねーちゃん!」《アイリ!》
「気を失っているだけです。」
テスが人語で話す。「主を連れて帰りましょう。」
《しかし、彼ら、は?》
「あの者達にはあの者達の目的があります。我らにはどうすることも出来ません。」
促して立ち去ろうとするテセウスに、玉座から狂皇帝が声をかける。
「ちょっと、その‘ニンゲン‘置いてってよ。僕、そいつとそいつ嫌いなんだよね。」
そう言って、アイリとカイを男は顎で示す。
「そいつらのおかげで、大事なソランが作れなくなっちゃったじゃない。ちょっと汚れてるみたいだったけど、かなり大きな‘ソラの欠片‘だったから、上手く行くかも知れなかったのに・・・。」
そう言いながら、狂皇帝の目からポタポタと涙が流れた。
「本当はわかってた。もう、何をしてもソランは帰って来ない事ぐらい。だけど、諦めきれなかった。はは、僕もこの狂皇帝と一緒だ。手に入らないものを求めて、300年余り。とっくに狂っている。だから、もう、そろそろ、終わりにしても良い、だろう?」
「この世界毎!」
玉座を中心に、八卦陣が光を放った。陣につながる配管がゴンゴンと耳障りな音を立てる。霊山の鳥居に溜められていた魔力が、配管を通って八卦陣に流れ込んでいく。
膨大な魔力で陣を強化しなければならないほど、玉座に座した男から放たれる魔力は暴力的なまでに強い。
「う、」
テセウスの腕の中でアイリがかすかにみじろいだ。それをきっかけに、火の精霊は一気に大広間の入り口まで駆け戻った。慌ててルー達も後を追う。
【シャオシャオ様!】
水の精霊ローレイラが、綺麗な礼をとる。
【私どもは、ロン・ロー様の精霊でございます。訳あって、記憶と魔力を封じられ、ロン・ロー様のお持ちになっていた‘ソラ様の欠片‘と行動を共にしてまいりました。】
「ふーん。それで?」
【ロン・ロー様は、‘ソラ様の欠片‘を彼方の少女にお渡しになり、我らにあの者を守るよう命じられました。ですから、我が主人に免じて、あの者達はお見逃し頂けないでしょうか?】
ローレイラは膝を床について、最上級の礼をとった。隣のオーロンもすぐに同様に膝を折る。
【同じくロン・ロー様の精霊である、地のオーロンからも伏してお願い申し上げます。】
「ここで見逃してもどうせ世界は滅ぶんだよ。たかが、数時間、生命を引き延ばしたところで意味があるとは思えないな。」
心底つまらなさそうに言ったスライムに
「世界は滅びない。」
そう答えたのはカイだった。
「そんな事はさせない。」
そう続けたのはアイリだった。