119 ソラの欠片
くったりとした身体を抱え、かつて‘魔人‘と呼ばれた監視者は、自分の中を覗く。自分より遥かに矮小な存在。にも関わらず、消えもせずそこに在る。
ざわざわと耳障りな音が外界に生まれた。少し煩わしくなったそれを、いつものように追い払おうとした。普段なら、そう考えただけで耳障りな音は消えるのに、どうした訳か、それは消えるどころか大きくなる。
矮小な存在もモゾモゾコソコソチクチクと鬱陶しい。
「チッ」
そんな小さな音が自分の口から漏れたことにそれは驚き、驚いた事に、また、愕然とし、愕然とした事に、自分に異常が起こっている、と判断した。
【ご主人様?】
長く側を離れていた地の契約精霊が青い顔をして自分を見ている。精霊が顔色を失うなど、自分を含め、何かがおかしい。そうそれは思った。
火と風の精霊は、契約者を守る為に、長らく共に戦った相手と敵対する覚悟を瞬時に決めた。その為にはまず、邪魔者の排除。
【ミルナリス、シルクリウス、立ち去りなさい!】
自分達の契約精霊の更に上位の精霊に精霊名を持って命じられた二人は、なす術もなく後方へ飛ばされた。
《ブラフ・ルー・ヴィシュ、あなたも二人と自分を守りなさい。》
その命令に抗おうとしたルーも自らの精霊に引きづられていく。
【さて、邪魔者は排除したわ。どういうことか説明してもらおうじゃないの?アスクレイトス、オンディット。】
【・・・怖いですわ、ウィンさん。】
ローレイラと呼ばれた水の精霊が、優雅に微笑んだ。
【ご主人様、霊廟に不心得者が侵入いたしました。このような小物は放って、参りましょう。】
小川のせせらぎのような涼やかな声で微笑みを浮かべ、水の精霊は額づいた。
気を失ったままのアイリを腕に抱いていた元魔人は、小さく頷くとチラリとアイリを見た。そのまま腕を離そうとして、動きが途中で止まる。
『?』
そして、再度横抱きに抱き直すと歩き始めた。
【ちょっと、その子をどうする気?】
ゴウ、と突風が巻き起こるが、カイに届く前に土壁に邪魔をされる。
【ウィンさん、アイリ様の安全は僕が保証しますから、ここは大人しく引いていただけませんか?】
土壁が炎に焼かれ、ドロドロと溶け落ちた。
【主を目の前で攫われておめおめと引ける訳が無かろう。】
火の精霊テセウスはその手に槍を構え、地の精霊に対した。
【そう、ですよね。でも、ちょっと待ってください。今、霊廟にスライムが入り込もうとしているんです。非常事態なんですよ。】
【そっちの事情なんて知ったこっちゃ無いわよ!さっさと返して!】
(いや、絶対、ここに残していくと思ったんですけど・・・。)
アスクレイトス、または、オーロンにとって、先程の主人の行動は不可解だった。
彼が仕えていた監視者は役割以外には一切興味を持たなかった。ただ、淡々と霊廟の監視を行い、侵入者を排除した。戸惑いが生まれる隙など無かった。先程、見せたそれ、アイリをその場に捨ててしまおうとして、迷い、結局は連れていく事にしたようだ。しかも、いわゆるお姫様抱っこ。主人はその運び方が愛しい大切な者を運ぶ時の抱き方だと知っているのだろうか?
【オーロン】
自分の胸を切り開いて、魔石を自分に埋め込むカイを見て、衝撃を受けた。やはりヒトでは無かったと思うと同時に彼女の悲しみを心配した。前の主人や自分達の事を思い出したのは、名前を呼ばれた時だった。それまでどうしても外れなかった拘束が、一瞬で消えた。途端に色々な情報が蘇る。
自分と水の精霊が、かつて‘魔人‘とも呼ばれていた同じ主人に仕えていたこと、この少女を守るよう命じられたこと、は覚えていた。今、封印が解けて、全てがはっきりした。と、同時に彼女に名付けられた“アスクレイトス“と言う地の精霊としての記憶や行動がそれ以前の“オーロン“とあまりにも乖離している事に笑ってしまった。それは、水の精霊についても言え、今、目の前にいる水の精霊は、計算高く冷徹な“ローレイラ“で、少し前までのお高く止まってはいても子供の背伸びを超えない純真無垢な“オンディット“では無かった。
自分達の主人は、‘魔人‘として、聖女アイリに討伐された。その時、聖女も裏切りに合って命を落としていた。主人は何故‘ソラの欠片‘を彼女に移してまで助けようと思ったのだろう。何故、自分達に彼女を守るように命じたのだろう。
その問いに答えることは誰も出来ない。何故なら、今、その命令を出した彼らの主人は、後を歩くモノでは無いから。
アレは何物だ?
‘ソラの欠片‘は変質してしまった。当たり前だ。二度も時間を巻き戻したのだ。世界は過去とはかけ離れたものとなっている。‘ソラの欠片‘と自分たちの主人の繋がりが切れてしまっていても、何も不思議は無い。主人に与えられた真名をアレが覚えていたのでさえ、奇跡だ。
オーロンとローレイラはアスクレイトスとオンディットとして半分封じられたまま、新しい主人と仲間と過ごしていくつもりでいたのだ。
‘魔人‘の噂を聞くまでは。
刻を超えるのに魔力を使い果たした魔核‘ソラの欠片‘には、自分達以外の二体の精霊も付いていた。それが、始まりのホムンクルスの片割れの契約精霊だった事は、偶然だったのか?間違いなく、強力な精霊が四体、しかも、皆、属性が異なる状況で、この小さな魔核は‘世界‘になった。
‘世界‘の中で眠りながら、四精霊は魔力を集める。
聖女アイリの二度目の人生は、本来なら、あの革命の時、あのシャナーンの大聖堂で、幕を下ろすはずだった。再度の巻き戻しが起こるなど、誰が想像しただろう。
たまたま、聖女を切り裂いた剣が、彼女の中にあった魔核を掠り、形成されていた‘世界‘を崩壊させた。その崩壊で溢れた魔力が暴走し巻き戻った、とオーロンは考えている。自分達の拘束はその代償。自らの魔力を制限し、それにより対象者を保護する。
三度目のやり直しの人生をこの少女は良く生きたと思う。二度目の人生は、実は四精霊はよく知らない。魔核の‘世界‘の中でずっとまどろんでいたから。目を覚ましたのは彼女が幼女として目覚めた時。
(あの時は笑えた。)
火と風の精霊の顔ったら。思い出して、オーロンは口元がひくつくのを必死で抑えた。
目の前で失ったはずの元の契約者、始まりのホムンクルスのガイアが、生きて、笑って、歌って、踊って。失われた過去の幸せな一時が、何一つ変わる事なく繰り広げられている。いや、何一つ変わらないわけでは無かった。主人から譲り渡された魔核は、二度目の人生でつけられた傷が元で時越えの魔力に耐えられず、砕けてしまった。その欠片を握って巻き戻った聖女は、人生から逃げるのではなく、立ち向かうことを今世で誓う。
そして、世界は変化した。
再度、心酔する契約者を失う未来に絶望していた火と風の精霊は狂喜する。それを冷ややかに見ながらも、自分達もこの少女に惹かれていったのだろうと思う。新たな名付けを許してしまう程に。
今、自分の後を歩いているのは、主に監視者の記憶をもつ‘ソラの器‘。ソラ様でなければ、吟遊詩人のカイでもなく、ましてや、‘魔人‘とも呼ばれた監視者そのものでも無い。‘ソラの器‘の中に入った二つの欠片、変質したかつての主人と繋がっていた‘ソラの欠片‘とスライムによって埋め込まれ、出来損ないと処分されかかった‘ソラの欠片‘。主人の記憶の残滓に過ぎないけれど、その魔力量の差で、カイの人格は消えかかっている。
こうなるとわかっていて、あの吟遊詩人はアイリ様の‘ソラの欠片‘を取り込んだのだろうか?スライムから‘出来損ない‘と呼ばれ、‘ヒト‘ではなく、ソラ様復活の素体として作られた存在。けれど、決してソラ様には成れない。
ソラ様は始まりのホムンクルスの片割れ、かつての魔道皇国ロフェンケトの偉大なる魔道生命の一つ。
あらゆる生き物の骨を全て組み合わせて作られた‘ドラゴン‘。
あらゆる生き物の骨を全て混ぜ合わせて作られた‘スライム‘。
そして、その実験を命じた狂気の皇帝の‘永遠の器‘となるべく作られた‘男女一対のホムンクルス‘。
彼らこそ、魔道皇国ロフェンケトを崩壊に導いた原因。300年後の現世にも語り継がれる滅びの一夜の首謀者。
そして、
「何故だ!何故動けない!」
不思議な模様の描かれた陣の中央、恐ろしく美しい男が蜘蛛の巣に囚われた蝶のように、豪華な衣装を纏い、ぎょくざの上で身を捩っている。その胸の中央に鈍く光る勾玉型の魔石。
魔道皇国ロフェンケトの狂った皇帝は赤く光る目に怒りを湛え、入ってきた一行を睨みつけた。