108 聖女を名乗る覚悟
それは、共闘したはずの聖徒教会信者とその護衛の傭兵達の生き残りだった。そして、何故かその中に、カイが混じっていた。二日前、旅立った時には着ていたマントや帽子、楽器は身につけておらず、代わりに殴られた跡が、くっきりと顔に残っていた。
「お前達が協力しなければ、こいつらを一人ずつ殺していく。」
《畜生が!》
「助けて下さい!聖女様!」
「貴女のお力で神を謀るこの不心得者どもを罰して下さい!」
「聖女様!」
小さくこぼすルーの言葉に被せるように、捕まった人々の間から、信じられない言葉が飛び出した。
“聖女“
一体何を言っているのか。助けた信徒達の中に聖女がいたのか?しかし、彼らの視線はルーを通り越し、後、魔導車の前に注がれている。そこにいるのは、ミルナス、シルキス、そして、アイリ。
彼女に今魔力がほとんどないことを、どれ程、感謝しただろう。そうでなければ、彼女の精霊達は、アイリの心の動揺を拾い、彼女を守べく顕現していただろうから。一体ならまだしも、目の前のカイの姿を見て、崩れ落ちるアイリから、四精霊全員が顕現することが火を見るより明らかだ。今も、ミルナスとシルキスの表情から、彼らがアイリを必死に抑えていることがわかる。
「聖女様!」
ルーの不安をよそに、聖徒教会信者の声は大きくなり、こちらに残っている信者からも、アイリに視線が集中する。
「出てこい、聖女!そして、俺に魔力の塊を渡せ!」
そう言ったのはきっとアルコー第二公子。騎士達の後から現れた彼は、手近にいた人質を無造作につかむと、その男を突き飛ばし、その背に剣を突き立てた。
そのまま足をかけて抜き去ると、すごい勢いで血が吹き出し、男が倒れた。囚われた人々から悲鳴が上がる。
「まず、一人!」
「酷い。」
立ち上がり、そちらへ歩き出そうとするアイリをミル・シルが抑える。
《聖女だと!そんな者はここにはいない!そんな事をしても無駄だ!》
ルーが叫ぶ。それをアルコー第二公子は鼻でせせら笑った。
「いつまで、そう言ってられるかな。こっちにはちゃんと情報が入っている。そこの小娘!さっさと来い。」
その目は真っ直ぐにアイリを見ていた。
「聖女様!」「聖女様!」
「聖女様!」「聖女様!」
信じる者、信じていない者。
その場に聖女を呼ぶ声が満ちる。それはかつて二回目の生でシャナーンの大神殿内で聞いた革命に酔った民衆の声に重なった。その時は怨嗟の、今は懇願の。
その場に立ちすくんで動かないアイリに業をにやした第二公子は、次の生贄に手を伸ば仕掛け、そして、ニヤリと笑って、不意にその目的を変えた。
「確か、この優男だったな。」
ぐい、と長めの黒髪を鷲掴みにし、その喉元に剣を当てた。
「カイ兄!」
思わず叫んだシルキスを咎めることは出来ない。アイリは恐怖で喉が引き攣り声が出せなかっただけだったから。
「さあ、どうする?小娘?」
剣でカイの顎を持ち上げる。幅広の剣はそれだけでは致命的な傷を与える事は無い。しかし、そのまま左右どちらかに引けば、カイの喉は掻き切られるだろう。
「行きます。」
《アイリ!》
《行かせて、ルー。》
「行きます。その代わり、そこに捕まっている人たちを解放して下さい。ここにいる人達にも何もせず、この場から立ち去るまで、何もしない事。それが守られるなら、あなたの要求に従います。」
「はっ!この後に及んで、自分に交渉権があるとでも思っているのか?お前にできることは、泣いて跪いて許しを乞いながら、俺のために魔力を提供することだけだ。」
【テス。ウィン。クレイ。ディディ。】
アイリの求めに応じて、四精霊が顕現する。その姿に、周囲は慄いたが、元々の彼女の精霊を知る者達は、その弱体化した姿に拳を握り締めた。本来であれば、顕現体は大人をも凌ぐ大きさを持つ。今、それができるのはダンジョンの魔石で回復している地の精霊のみ。しかし、彼は他の三精霊と歩調を合わせている。恐らく、何かしらの意図があるはず。
《ルー。ミルナス、シルキスをお願い。大丈夫。言うことをきくフリをして、鳥居から魔力を補給するわ。そうしたら、最悪、カイさんを助けて戻ってくる事が出来るから。》
例え、手のひら大であっても、四精霊が揃った状態での顕現は、他に類がなく、強気で推していたアルコー公子も、思わず、カイにあてていた剣をアイリに向けてしまう程だった。
「あぁ、聖女様!」
何人もの聖徒教会信者がその場に膝を付いた。
「ひ、人質を全て解放するわけにはいかない。そ、そうだ、そこの子供!お前達も残れ!」
《けっ、馬鹿な奴。俺達を見かけで判断しやがって。》
《静かに、シル。この際、せいぜい怖がって見せた方がうまく行く。》
「いや、待ってくれ!人質なら、この俺がなる。」
視線で、してやったり、とほくそ笑む会話をしていた弟達の身代わりを申し出た者がいた。それは、アイリとシモンが下肢の切断手術をした傭兵。杖をつきながら、前に出てきた男は、「俺は見ての通り、右足がない。足手纏いの俺がいては、移動速度も制限されるだろう。いざとなれば、切り捨ててくれれば良いから、幼い子供達の代わりに差し出してくれ。」と、二人の実力を知らなければ、とても勇気のある申し出だった。今回は余計な口出し以外の何物でもなかったが。
「何、余計な事してるんだ、おっさん!」
「僕達は彼女の弟です。姉を差し出すなんてできる訳がないでしょう。」
美しい姉弟愛に感動する。しかし、ここでそれを認めるわけには行かない、と。傭兵はグッと、拳を握った。
「俺を連れて行け!」
「最悪だ。」
ラモンは天を仰いだ。
隊長、隊長、と部下に慕われる様子から、悪い人物ではないのだろうが、何とも言い難い空気がブラフ海賊の面々の間を流れた。
口唇を噛み締めたまま、アイリは視線をカイから外さない。カイはアルコー公子の手から、別の親衛隊員の手に渡されていた。憎々しげにアイリを睨むその顔には見覚えがあったから、かつて、アイリと飲み比べをした七人のうちの誰かなのかもしれない。
アイリと片足の傭兵はゆっくり、ダマルカント軍側に歩いていく。解放された人質達は反対側から、こちらに向かって後手に縛られたまま、走って逃げてきた。
魔導車は一台を残して、全て出発している。勿論、マリやラモンは既に遥か遠く、ミルナス、シルキスも最後まで抵抗したが、魔導単車でそれに並走して行った。ルーも第一陣での出発を懇願されたが、ここで我が身に何かあれば、ブラフ海賊の全勢力がダマルカントを滅ぼす宣言をして、残っている。
アイリがカイの元に辿り着いた時、その首に魔力封じの魔道具が施され、彼女の周りに浮いていた四精霊は消え失せた。
高笑いを残して、アルコー第二公子はアイリを引き立てていく。
最後の一人を乗せた魔導車は小雨の中、泥水を跳ね上げながら、西に走り去った。