107 彼女のために出来る事
「残る?」
アイリの回復を待って、出発の打診をしたルーにカイが言った言葉は、皆の度肝を抜いた。
《本気で言っているのか?》
「幸い、僕は吟遊詩人です。見つかった所で問題はないでしょう。」
「問題ない訳ないだろ!怪しいって捕まるに決まってる。秘密を知られたって殺されるかもしれないんだよ。」
血相を変えてシルキスが詰め寄る。
《カイのおかげでダンジョン攻略が成功したようなものだ。何も遠慮はいらない。アタシ達と一緒にイーウィニーへ行こう。海を渡るのが嫌なら、どこか行きたい所まで送る。》
困惑した表情で手を差し伸べるルーにもカイは首を左右に振った。
「ありがとうございます。ブラフ伯爵。ですが、僕の本来の目的は、まだ果たされていないので。」
《本来の目的?それはなんだ?》
「元々、僕はこの滅びた王国をあちこち見てみたくて、この地を訪れたので。まだ、東も南も見ていません。霊山には近づかないので大丈夫ですよ。」
あくまで意見を変えないカイに、ルーは思い当たることがあった。
化膿した足の切断手術を終え一息ついたラモンに、ルーはスライムが今回の虐殺の引き金になっていた事を伝え、このまま帰国して良いものかを相談していた。
「こんな状態でスライムに遭遇するのは嬉しくないな。」
大きなあくびをしながら、ラモンが言った。
「ねーちゃんがあんな体でスライムと会っちゃったらどうするのさ。今は、無理。一回、帰ろう!」
そう言い出したのはシルキスでそれにミルナスも賛成する。
「アイリ姉さんも姉さんの精霊達もかなり消耗してます。この上、スライム、もしくはダマルカント第二公子の軍と対峙するのは避けたいです。」
《そうだな。魔石に魔力充填できないのが痛い。魔人は気になるが、わざわざ、ダマルカントの権力争いに首を突っ込む必要もあるまい。》
「怪我人はシャナーン国内の村にでも下ろせば、後は王太子か大聖女がなんとかするだろう。それぐらいの後始末はさせろ。」
もう、ルーにとってはこの争いはコルドー大陸国家間の争いだ。首を突っ込めば国際問題になる。ラモン・シモンはそれぞれの学術的立場から、霊山と鳥居に未練はあるが、現地調査は終了し、研究資料は回収済みだ。鳥居に傷もつけてきた。時間はかかっても魔力は失われる。暫くの我慢は、まあ、仕方がない、と言うところだ。
「横入りした奴らに独占されるのは、面白くないけど、ダンジョンは攻略したし。」
「そうだね、僕たちの修行、と言う意味では十分すぎる成果が出ているよ。」
シルキス、ミルナスはさらに成果を主張する。
「ただ・・・。」
と二人は顔を見合わせた。「「ねーちゃん「姉さん」には魔人の事は黙っておいた方が良いと思う。」」
「あー、確かになー。今回の愛し子ちゃんのコルドー大陸入りが‘魔人‘探索だからなー。そりゃ、目撃情報があるのに無視は出来ないだろう。」
ガシガシ、頭を掻くラモンにルーもため息をつく。
《ああ見えて、アイリは頑固だからな。しかし、黙っておく、と言うのも・・・》
「彼女の目的は‘魔人‘だったのですか?」
いつの間に出て来たのか。ルーの後にカイが立っていた。ルーはブラフ伯爵を継いだが、その本質は戦士だ。そうそう簡単に他人に背中をとらせたりはしないし、ましてや、気配を感じさせずに、彼女の背後に立つなど、ただの吟遊詩人にはありえないのに。
ギョッとした彼女達の様子に気づく風もなく、カイは考え込んだ。
『あのリンの消耗の様子はどこかおかしい。』
魔力は桶に入った水の様なものだ。汲み出して使ってしまえば、空になる。ヒトの桶の大きさは生まれつき決まっていると言われているが、桶の水(魔力)を使ってしまっても、桶の持ち主には影響はない。その桶にはまた自然と水(魔力)が溜まっていく。だが、アイリは、桶が空になっても自身の血肉を水(魔力)に変えて魔力を使っているようだ。だからこその、あの疲労なのだろう。その魔力の使い方は精霊に似ている。アイリの四大精霊たちも自身の身に纏う魔力を使っている。一般的な精霊と精霊付きの魔法の行使方法とは、全然違うのだ。そうミルナスたちが言っていた。だから、アイリは魔石から取り込んだ魔力を水(魔力)だけでなく、自身の血肉に変える事が出来る。
《あぁ、カイ、アイリの様子はどうだ?》
「眠っています。魔石を分けてもらったので、顔色も少し戻りました。」
皆がほっとし、シルキスとミルナスがソワソワし始めた。
「僕達、側についてて良いですか?」
頷くカイに頭を下げて、二人はかけだした。
「リンにスライムの事を伝えないのは良い判断だと思います。知ればきっと追いかける。今は、その時ではありません。」
「あー、まあ、それに、今スライムがどこにいるのかもわからねぇしな。」
撤退方針を固め、アイリが移動に耐えられるようになれば、出発、と決め、そして冒頭の会話に戻る。
「ねーちゃん!ねーちゃんも止めなよ。カイ兄と離れても良いの?」
「リン。ちゃんと目的を果たしたら、会いにいくよ。どこにいても会いに行く。信じてもらえる?」
「信じる?」
信じるとは何を信じれば良いのだろう。カイの言葉?カイの気持ち?言葉は嘘をつく。気持ちは変わる。
ポロリと涙が流れたことにすら、アイリは気が付いていなかった。そして心の声が外に出ていた事も。
「信じてもらえない?いいよ。信じないで。僕はただ、リンを探して会いに行くだけ。リンはリンの好きに生きて。」
涙を掬って、カイはアイリを見つめる。「その時、君に好きな人がいても、結婚して子供がいても構わないんだ。僕が、もう一度、リンに会いたいだけだから。どんな君でも、きっといつも綺麗だ。」
翌日、カイは一人、世闇に紛れるように、東に消えた。
そして更に二日後、旅支度を整えた一行は、一路北上しシャナーン王国を目指し、出発しようとしていた。
そんな時、ダマルカント公国第二公子の部隊が動いた。
「イーウィニー大陸の海賊ブラフ!大人しく降伏せよ!」
《はあ!?何寝ぼけた事、言ってやがる。嫌に決まってるだろう。》
「こちらはダマルカント公国次期公主となるアルコー公子様ぞ。」
《生憎こちとら、野蛮な海賊なもんでな。礼節なんて持ち合わせちゃいない。目障りなら、とっと消えるから、放っておいてくれ。》
「貴様らには、あの丘にあると言う魔力の塊を取り出してもらわないといけない。」
!?
成立しているのか、していないのかよくわからない会話。しかし、彼らは、霊山と鳥居の秘密に気がついていないのか?疑問に思いながら、表情には出さず、ルーは時間稼ぎの会話を続ける。ラモンとマリの非戦闘員を後退させ魔導車に向かわせる。戦闘員はお互いの死角を補うような位置取りをする。ブラフ海賊を名乗るには、三人一組の動きが指示なしで出来る様になる必要があった。咄嗟の時にも、体が勝手に動くまで、徹底して鍛えられる。だから、今回も、ルーが何も指示せずとも、ブラフの面々は動いた。アイリ、ミルナス、シルキスも一組となって魔導車を守る位置についた。
《はっ!いい気味だ。お預け食らった犬みたいだな。せいぜい頑張りな!》
しかし、ルーの煽りにアルコー公子の騎士は、ニヤリと笑った。
「これを見ろ!」
一列に並べられた後ろ手に縛られた人々の中に、カイを見つけたアイリの口から音にならない悲鳴が漏れた。