106 その時何が起きたのか
小雨が降り続いている。こんなに雨量が多いのに、どうしてこの土地はこんなに荒れているのだろう。そんなどうでも良いことをシルキスは考えていた。もたれかかる魔導車の中では、見ず知らずの傭兵を助けるために、彼女の姉がなけなしの魔力を使って浄化を掛け続けている。いくら姉の魔力が桁違いに多いとは言え、ダンジョン攻略からそう日は経っていないのだ。実際、姉の強大な精霊達でさえ、顕現する魔力が足りずに魔石の中で休んでいる。己の拳を握ってみても、ほんのりあかりが灯る程度にしか、自分の魔力も回復していない。
「ホント、お人好しだよなー。」
思わず、声に出る。
霊山に戻ってきてみれば、そこはダマルカントの軍隊に占拠されていて、そこを守っていたブラフの人達は行方不明で、仲間割れをした聖徒教会の人間やその護衛の傭兵が殺されていて。怪我人を助けて、死者を弔って。
それで今は、そこまでしてやった連中に罵られ、気味悪がられている。
折角、ダンジョン攻略していい気分だったのに。
シルキスは自分がまだまだ家族に甘えたい悪ガキに過ぎない自覚がある。だから、自分の家族が一番だし、次にブラフ海賊の仲間達が来る。
その家族の中でも一番は双子のように育ってきた兄ミルナスだが、おっとりしているように見えて実はかなり強かな長女ユーリや、何を考えているのかよくわからない天然の母テラ、随分いろいろな人生を送ってきたにも関わらず単純明快な父ダンを抜いて、二番目にシルキスが心を許しているのがこの姉、アイリだ。
無自覚な人たらしの次姉は、自己評価が異様に低い。四精霊が無条件で従っているのに、彼らを‘借り物‘と言う。それが、三回目の人生の故なのだろう、とは、この旅で知ったが、折角やり直しているなら、好きに生きれば良いのに、とシルキスは思う。何かに怯えるように、償うように生きるなら、そんな人生はいらない、と。
不思議と暖かい笛の音が流れて来た。
音のした方にいるのは、もう見慣れてしまった吟遊詩人。マリを膝に抱いて、手の中に収まるほどの小さな楽器を吹いている。優しい、心安らぐ音色。
『あぁ、これは、ねーちゃんの為に吹いている。』
シルキスはそう思った。
《カイはこんな音を出せるようになったのか。》
初めて会った時は、綺麗だが、ただそれだけ、の音を鳴らす、胡散臭い笑顔の男だと思った。
しかし、次に会った時、それは、つい先日、ここ霊山でだったが、別人かと思う程、人間臭くなっていた事にルーは顔には出さないものの、非常に驚いていた。
そして、アイリを見る眼差しと口調、アイリの打ち解けた表情に、ちりっと嫉妬に似た気持ちが沸いた。
「愛し子ちゃんが人見知りしなくなったのは、ヴィシュがちゃんと面倒見てたからだと思うぜ。」
そうラモンに揶揄われながらも、自分はアイリにあんな表情をしてもらうまで随分かかったのに、とつい口に出してしまう程には羨ましい、と思ったのも事実だ。
《頭領!ネージ達が帰って来ました!》
魔導車での手術が始まって数刻、そろそろ、アイリの魔力に不安を覚える頃、ルーの元に、霊山の拠点から行方不明になっていたブラフ海賊が、無事に合流した知らせが届けられた。
《スライム!?》
《捕食の瞬間を初めて見ました。騎士が、鎧ごと取り込まれたんです。飲み込まれたやつは驚きすぎて、声も出せなかった。勿論、俺たちもあっけに取られて、何が起こったのか、理解するまでしばらく呆けてしまいました。》
ダマルカント第二公子の私兵が姿を現した時、ネージ達拠点待機組は素早く身を隠し、情報収集を開始した。流石に魔導車ごと脱出する事は叶わず、しかし、相手はダマルカント公国。機密情報を渡すわけにはいかない、と魔導車の動力部と遠話の魔導具は持ち出していた。その為、占領はしたものの、宝の持ち腐れ状態になった第二公子は、自分達より魔導車に詳しいはずのシャナーン王国人、つまりは聖徒教会信徒に魔導車の修理を命じた。しかし、命じられた所で、直せる筈もなく、その時の見下した態度や言動に信徒達も反発し、険悪な状況になっていく。その様子をネージ達は、隠れて見ていた。
そこに現れたのが、聖徒教会副教主だった。権威回復の為に自らが入手した情報を手にアルコー第二公子に接触、そのまま行動を共にしていた聖徒教会側の最高権力者だ。
聖徒教会信徒にとってはこの場で最も尊い立場の人。ダマルカント公国第二公子親衛隊にとっては、主人の復権に影響力を持つ人物。その副教主は、無言で険悪な雰囲気を漂わせるその場に立ち、両腕を左右に広げた。
ブラフ達が見ている前で、広げられた両腕の軌道の延長上にいた人は、次の瞬間、副教主に引き寄せられた。それは魚が釣り上げられるのに似ていた。
そしてそのまま胸にぶすぶすと飲み込まれていったのだ。
何事が起こったのか、すぐには理解できなかった。だが、アイリ達から、魔人・スライムがヒトに擬態する事を聞いていたネージ達は、騎士を取り込んだ時の副教主の肉体の変化から、それが行方の掴めなかったスライムである事に気がついた。しかし、その場のダマルカントの騎士達、聖徒教会信徒達はそんな事は知らない。
只々恐怖し、喚き、叫び、逃げ出した。ゆっくりと副教主は歩いてそれを追いかけた。近くの人間を伸ばした触手で突き刺しては捕食していく。魔力の多いものを好むのか、犠牲となるのは聖徒教会の神官達が多かった。
《俺らは、旦那の魔力封じの魔導具をつけていたんで、見つからなかったんです。》
スライムは新たな犠牲者を生み出しながら、真っ直ぐ、霊山に向かって行った。
アルコー第二公子は追っ手をかけ、山に火をかけ、木々を倒し、山狩りを行った。しかし、副教主は見つからず、その後、数刻もたたないうちに、聖徒教会の信徒や司祭達は殆ど拘束され、抵抗するものは殺された。それが、あの惨劇の真実だった。
「結局、ねーちゃん、関係ないじゃん。」
シルキスは吐き捨てるように言った。
《は?アイリ?アイリがどうしたって?》
ネージ達は辺りを見回した。《そういや、ラモンの旦那もいませんね、頭領。》
「あー、お前ら無事だったんだ、よかったなー。」
パタン、と扉が開いて、血まみれのラモンが現れた。
「お前らー、魔石か源石持ってねーか?あったらよこせ。」
《ラモン、アイリは?手術は?》
「・・・俺の心配はねーのかよ。あー、愛し子ちゃんはミルに任せた。手術は今の所、問題ない。まだ、オピムが効いてっから、患者は眠ってる。」
《何の話っすか、頭領?》《色々あったんだよ。》
マリをルーの腕に渡して、カイは魔導車に入っていき、アイリを抱いて出て来た。蒼白な顔をして意識の朦朧とする彼女に、ブラフ達は痛ましい表情を見せる。カイは無言でネージに手を伸ばし、その手から魔石を奪い取るとアイリの手の中に握らせた。
「ゆっくり、ゆっくりだよ。」
手を添えて、魔石から魔力を抽出し、アイリの中に取り込ませるその姿に誰も声をかける事は出来なかった。
「聖女様。」
遠くでつぶやく声はここまで届かなかった。