100 最後の謎
階下から聞こえてくる話し声は、とうとう、ダンジョン主の部屋を見つけた、と言う喜びと興奮の声ばかりではなく、本人達を前にしては言いにくいような、気恥ずかしい感想を述べ合っていて。けれど、何処かの風の精霊の魔法のおかげで、しっかり本人達には届いている、と言う、居た堪れない状況にあって、さすがのアイリも、あうあうと口を開けても言葉にならない。
一方、カイは、これはダマルカント公国に入ってすぐに、自分が奏でた音楽を周囲に届かせた風の魔法だ、と妙に落ち着いて納得していた。彼の腕の中で、アイリがゴソゴソ動いているので、更に力を入れて抱き止める。
「大丈夫、離さないよ。」とすぐ近くで囁くように言われ、アイリは今度こそ、固まった。
「それは、一体、どういう意味で言われたのでしょうかぁ、カイさん!」
声が裏返ってしまう。
「?そのままの意味だよ。」「はうっ。」
『これは、真剣に聞いてはいけなかった事?』
「ととと取り敢えず、上に戻りましょうね、ここにいても、どうしようもないですし?」
クレイに頼んで、二人の乗っている床をそのまま上昇させる。舞台の抜けた底から一階に戻ると、ラモンがニヤニヤしながら、待っていた。
「おかえりー、ってとうとう自覚した?」
「自覚って何をー!」「ブラフ伯爵に認めて頂いた。」
「え!?そうなの?」
「って、愛し子ちゃんが驚いてどうするの!?」
「違うのかい?さっき、許す、と言われた。」
「あ、あ、あれは、その、きっと、違う意味だと・・・?」
「さっきから、疑問形ばっかだぜ。」
真顔のカイと意地悪な笑顔のラモン、生温かい視線のガンジとデリに囲まれて、アイリは力尽きた。
【あははー、笑えるー。こんなあんた初めて見たわ。】
くるくる踊るウィンディラを咎める様にテセウスは目を眇めた。
【緊張感がないですよ、ウィン。今は攻略中と言うことを忘れずに。ですが、】
そこまで言って、テスはにっこりと笑ってアイリを見た。
【主に相愛の方が出来て、我らも喜ばしい限りです。】
【そう、あい?相愛って何ですかー!?】
精霊語で叫んだ自分を褒めてやりたい。テスの不穏な言葉を理解したのは、アイリだけだ(と信じたい)。そろっと聞き取れた可能性のあるカイを見たが、真顔のまま小首を傾げられた。ラモンは会話の内容を聞き出そうとしてきたが、アイリは頑なに口をつぐみ、二体にも教えないように頼んだ。
ケラケラ笑い転げるウィンは涙目にすらなっていた。
「それはそうと、愛し子ちゃんは攻略には参加しないのか?」
「私?うーん、戦うのはあんまり好きじゃない。でも、行った方が良いのかな?ダンジョンが‘そこで使われた魔力を使って魔物を生み出している‘のなら、きっと、ここのダンジョン主は相当量の魔力から成っている、はずだよね。」
ようやく話題が切り替わった時、下から、風が吹いてそれに乗せてミルナスの声が届いた。
「姉さん。ラモンさんも、カイさんも、上に残っている人、全員降りてきて!大至急!」
何事かと五人が慌てて降りていく。舞台の下は広大な空間が広がっていた。壁に沿って螺旋に下る階段の行き着いた先に、ルー達は集まっていた。黒い岩肌はしっとりと湿り気を帯びており、この空間の上部が、五重塔の建てられた池である事を確信させた。広さもほぼ同じ位に思われる。入り口のほぼ真下に、同じように扉が立っていた。但し、それは、遥かに横も縦も大きく、左右を巨大な、アイリの三倍はあろうかという、オーガの石像が侵入者から守る様に立っていた。
《済まない、アイリ。ラモンもカイも悪いが、ちょっとだけ付き合ってくれないか?》
困り顔のルーは降りてきた五人を門の所に連れていった。
その門にはいくつもの手形が押されており、不気味な印象だ。
《この先がダンジョン主の部屋だと思うのだが、扉が開かないのだ。》
そう言って、扉に向かって顎をしゃくった。
色々試してみたが、その内、扉に手形がついている事に気がついた。力任せに押した時についたのか、と思ったが、どうやら一人に一つ反応する手形があるらしい。両手をついてもそれは一つと数えられる。結局、そこに居た人間全部が扉に手をつけても、未反応の手形が、五つ残った。
その時、ミルナスが言ったのだ。
「これ、ひょっとして、ダンジョン攻略に参加した人全員の手形が必要なんじゃないですか?」
《それで、ラモン達に来てもらった訳だが、もしこれで扉が開いても、お前達は戦いに参加する必要はない。むしろ、危険だから上に戻ってくれ。》
本当は巻き込みたくなかった本心を隠さず、しかめ面でルーが言うのを、ラモンは安心させる様に、大きく頷いた。
「わあってるよ。じゃ、さっさと手をついて逃げますか。」
そう言うとラモンは門に手をついた。その手形が一瞬光り、すぐに光は消えた。続いてガンジとデリも手をつくと、同じ様に手形が光った。残る手形は二つ。アイリとカイの分だ。
アイリは左右の巨大なオーガの像を見上げた。まるで今にも動き出しそうな躍動感に溢れた姿をしている。なんとなく気持ちがざわざわして、そばにいる精霊達に意見を聞こうとしたが、シルキスに腕を取られ早く、早く、とせっつかれた。同じ様に、反対側のオーガ像を見ていたカイも促される。ラモンは階段のところまで既に下がっていた。
「ねーちゃん、カイ兄、よろしくっ!」
やる気満々のシルキスが拳を打ち当てて、門が開いたらすぐに飛び込みそうな体勢で待っている。
カイの手が触れた手形が微かな光を灯し、消え、場の緊張感が高まる。何か見落としているような気がしつつも、アイリも最後の手形に手を乗せた。
ぱぱぱぱぱ、と一つ一つの手形が輝く。息を詰めて見守る中、しかし、何も起こらなかった。
扉には。
パラパラと何処かで何かが剥がれるような音がする。
一番最初にそれに気がついたのは、階段に避難し、全体を見ることが出来たラモンだった。
「ヴィシュ、避けろ!」
その声に反射で飛び退いたルーのいた所に、巨大な刀が叩き付けられていた。
門の左右に立っていた巨大オーガ像が動き出した。