1 プロローグ
はじめまして、よろしくお願いします。
『どうしてこうなった?』
アイリ・ランバードは自ら流した血の海の中でぼんやりと思った。周りには同僚の聖女達が、あるいは虚な目を見開き、あるいは苦痛の呻き声を上げていた。
「クィンちゃん」
左を向けば、さっきまで繋いでいた手が離れてしまった親友が涙を流して、自分を見ていた。
「ア・イリ・ちゃ・ん、なんな・の・これ?わた・し、死ぬ・の?・・・こ・わい・よ」
「クィンちゃん、手、私の手、掴んで。治療、大丈夫、治るよ。知ってるでしょ、私、国一番の聖女なんだよ。」
だが、しかし。親友の指は、もう、ピクリとも動かなかった。
アイリ自身、治療出来るとは思っていなかった。息が出来ない。今はもう、はっはっとした短く浅い自分の呼吸音だけが、耳に届いている。おそらく、大聖堂の外は物凄い罵声と何かが壊れる音で満ちているのだろう。それは革命の勝利を謳う音。隣国ダマルカンド公国の侵攻を受け、300年の歴史を閉じようとするシャナーン王国の断末魔の声。
アイリにとって、この生は2回目にあたる。最初の人生は18歳で魔族に殺された。いや、正確に言うなら、魔族討伐に向かった先で、勇者パーティに裏切られ、魔人共々刺し殺された、が正しい。
「おまえが悪いんだぜ。王子に色目なんか使うから、こんな事になるんだ。名誉の戦死さ、聖女様。」
勇者?違う。あんなに弱い勇者なんていてたまるか。彼はちょっと強いだけの傭兵。騎士ですらなかった。そう断言出来るのは、アイリがこの2回目の人生で本物の騎士達の戦いを間近で見たから。
最初の生ではそんな事すら見えていなかった。だから、この生では間違わない様に、頑張って友達も作り、必死に聖女の義務も果たして来た。なのに・・・。
『何の為にやり直したの?』声にならない問いの答は返るはずも無く、光を失ったアイリの切り裂かれた腹部から、拳大の魔石がゴロリとこぼれ落ち。そして、砕けた。
ーーーーーーー
旅芸人一座の馬車の中、粗末な布を体に巻きつけて、アイリは悲鳴をあげて目を覚ました。
「どうした?アイリ。怖い夢でも見たのか?国境まではもう少しあるから、まだ寝てても良いぞ。」
「お・父・さん?」
『何?何よ、これ。夢?』
何度も目を擦るアイリにすぐ横から女の子の咎める小声。
「アイリ、うるさい。ミルナスが起きちゃうでしょ。」
「お姉・ちゃん?」
『ユーリお姉ちゃん?ミルナス?生きてる?じゃあ』「お母さんは?」
「あらあらぁ、アイリまで赤ちゃんになったのぉ?シャナーン王国では、アイリにミルの世話をお願いしたかったのだけれど、無理かしらねえ。」
姉の呆れた顔、父の笑いを堪えた口元、母の柔らかい笑顔、生まれて一年に満たない弟はその腕の中ですやすや眠っている。そして、自分の小さな手。
遥か昔に失ってしまったはずの幸せな幸せな家族の時間。
『また、戻ってきた。』
あの痛みも苦しみも、この時間をもう一度過ごすことが出来るのなら、許せる様な気さえしてくる。
だが。
そう。
これは夢では無いのだ。ゴロゴロと車輪の音を立てて、馬車が芽吹き始めた草原の道を行く。仲間達の歌声が暖かな春の陽射しに溶ける。
今ここにあるものが失われる事を知っている恐怖にアイリはぎゅっと手を握り締めた。
『何度も奪われてなるものか。』
これは3回目の人生。訳も分からず繰り返される人生に、挫けそうになりながら、まだやれる筈、と気持ちを奮い立たせた。
『でも、今だけは泣いて良いよね。』
あの夜、血の匂いの立ち込める闇の中で、炎の中に消えてしまった愛する人達の、記憶より若い元気な姿に、アイリは声を上げて泣いた。懐かしさと後悔とを込めて、5歳と言う幼い自分に巻き戻った理不尽さに憤りを抱えて。そんなアイリの手の中には血の色をした魔石のかけらがいつの間にか握られていた。
プロローグが短いので2話目も同時投稿です。