08:温かい場所
「依織、怪我をしたのか!?」
「大丈夫、かすり傷だよ」
屋敷に戻ってきた私の姿を見て、ほころびかけた表情を鬼の形相へと変化させる白緑。
髪の毛で隠れるかと思ったのだけど、どうやら彼は目敏いようだ。
目にも留まらぬ速さで駆け寄ってきた白緑に、私は両肩を掴まれる。
「……お前の仕業か?」
軽い火傷に触れないように私の頬を撫でた白緑は、一緒に戻ってきた淡紅を睨みつけている。
確かに彼女につけられた傷ではあるけれど、火傷の痛みも吹き飛ぶくらい嬉しいことがあったのだから帳消しだ。
「私がいけなかったんだよ。だけどね、淡紅と友達になったの」
「友達……? だがな、依織。それとこれとは話が……」
「豆狸も友達だけど、あやかしの友達が増えてすごく嬉しい」
「えっ? 依織ちゃん、ちょっと待って。僕も友達じゃないの?」
「え、紫土くんも友達になってくれるの……!?」
「もちろん! っていうか、僕はもう友達だと思ってたし」
「……ひとまず、治療をするぞ」
思いがけない紫土くんの言葉に、私は笑みのこぼれる顔を引き締めることができない。
何かを言いかけていた白緑は、諦めたように溜め息を吐き出す。そのまま私の腕を引いて、部屋に敷かれた座布団へと誘導された。
白緑の睨みに居心地が悪そうにしていた淡紅は、向こうで紫土くんに呼ばれている。
屋敷に戻る道中で、白緑のことは知っていると話していた。王様なんだから当たり前なのかもしれないけど、どうやら紫土くんとも知り合いのようだ。
「一人で出歩かせるべきじゃなかった」
「こんなの平気だってば。おかげで友達ができたんだし、私は気にしてないよ」
「俺が気にする」
私のことを心配してくれているらしい言葉に、心臓がドキリとする。
自分を大事にしろと言われたばかりだったのに、確かに不注意ではあったのかもしれない。怪我をしたこと自体は、反省しなければならないだろう。
傷の程度を確認しているのだろうけれど、距離が近くて視線のやり場に困る。白緑の他人との距離感は、これが普通なのだろうか?
向かい合うように腰掛けた白緑が頬に手を添えると、じんわりとした熱が広がっていく。
徐々に痛みが引いていくのが不思議だったのだけど、どうやら白緑の力で怪我を治してくれているようだった。
こんな風に治療ができるなんて、やっぱりあやかしはすごい。
(本当に大したことないのに……こんなに心配してくれるんだ)
私のこれまでの人生の中では、怪我や病気をすれば『仮病を使うな、勉強に支障が出る』と怒られるだけだった。
両親に失望されてからは、勝手に治療でもしておけとお金だけを渡されていたのに。
誰かに気にかけてもらえるというのは、こんなにも嬉しいものなのか。
「妖具を上手く扱えば、こんな怪我などすることはなかったんだ」
私の手首に数珠がないことに気がついたのか、白緑はそんなことを言う。
痛みはすっかり消え失せているのに、白緑の手はまだ私の頬に触れたままだ。
妖具の扱いが下手なのだと、嫌味のようにも受け取れる。けれど、私を捉える淡い緑色の瞳は、形容し難い甘さを含んでいるように見えた。
「それなら、白緑がしっかり扱い方を教えてくれればいいでしょ」
「そうだな」
耐えきれずに思わず目線を外して、嫌な言葉を返してしまう。
こんな言い方をしたいわけじゃないのに、彼の瞳を見ていると、どうしてだか素直な言葉が出てこない。
私がどんくさいから怪我をするのだと言われるかと思ったのに、彼の返答には拍子抜けしてしまった。
「王の婚約者が傷だらけでは、他のあやかしに示しがつかないからな」
「それは、っ……そうかも、しれないけど」
かと思えば、からかうような言葉を向けられてムッとする。
けれど、婚約者として縁繋ぎの役目を引き受けたのは私自身だ。かすり傷とはいえ、怪我をした事実に変わりはない。
先ほどまで温もりを感じていた頬は、白緑の指によってむにむにと摘ままれていた。
反論できないまま、せめてもの抵抗にと顔を背けてみる。
そうすることで頬を弄ぶ白緑の手からは解放されたのだけど、代わりに腰元にモフリとした毛並みが巻き付いてきた。
「……それ、やめて」
「嫌なら払いのければいい、難しくはないことだ」
「…………」
白緑はおそらく、私の心の内を見透かしているのだろう。
大きくてもふもふの尻尾は、それに触れたいという欲求に抗えなくさせてくる。
これもあやかしの力なのかもしれない。
そんなことを考えながら、私は払いのけるふりをして思う存分もふもふを堪能することにした。
(白緑が優しいのは、利害が一致した婚約者だから。……なのに)
その優しさが、本物であればいいのに。
そんな身に余る贅沢を望んでしまうほど、ここは温かさに溢れた場所だった。
「あのさ、淡紅はすぐ短気起こしすぎ。依織ちゃんは、話せば悪い子じゃないってわかるでしょ?」
「人のこと言えるのかしら? 依織のこと、起き抜けに事情も話さず連れ出した挙句、危険な目に遭わせたクセに」
「なっ、何で淡紅がその話を……!?」
「依織から聞いたに決まってるじゃない。蛇って賢いのに、やっぱりアンタは馬鹿なのね」
「僕だってしっかり賢いですけど!?」
「しっかり賢いって言い方がもう馬鹿丸出しじゃない」
「揚げ足取りしないでくれるかな!?」
縁側の方で何やら話していたと思った紫土くんと淡紅だったが、いつの間にか口喧嘩に発展しているようだ。
聞こえる内容からしても、私が言い争いの原因になってしまっているらしい。徐々に脱線していっている気もするけれど。
悠長に白緑の尻尾をもふもふしている場合ではない。
「あ、あの、二人とも……!」
「依織、放っておけ」
「でも……」
「依織さん、白緑様。お茶でもどうですか?」
立ち上がろうとした私の身体は、先ほどまで触れていた尻尾によって簡単に絡めとられてしまう。白緑は言い合う二人を止めようともしていない。
それどころか、お盆に湯呑みを乗せてやってきた朱さんは、二人の真横を素通りしてきたのだ。あの二人のことが見えていないはずがないのに。
どうやらこれは、彼らにとって見慣れた光景の一部のようだ。
(喧嘩するほど、何とやらってやつなの……かな?)
二人の言い争いは、私たちが湯呑みの中身を空にするまで続いていたのだった。
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